SECT.17 フェルメイ=バグノルド
フェルメイを連れて、外に出た。
もう既に真夜中へと近づいた夏の空気が出迎える。微かにひやりとしているが湿気を含んだ、少しまとわり突くような独特の風だ。街の明かりが消え薄暗い松明のみが照らし出す中、空は満天の星に彩られていた。戦場とは思えない静けさがあたりを支配している。
頭上の煌きに見惚れる暇もなく右手首に下げたコインを握り締めた。
「サブノック!」
悪魔の名を叫ぶと、空間がゆらりと揺らめいて第43番目の悪魔サブノックが現れた。ライオンの頭部を象った兜をかぶり、くすんだ青のマントを身に着けている。
兜に隠れて顔は見えないが、気難しそうな壮年男性の声がした。
「何用だ」
「ご無沙汰しておりました」
「クロウリーの若僧か」
サブノックは、気分屋ではあるが人間に危害を加えたり攻撃したりということをしない。
その点ではハルファスと違って呼び出す時に安心感を持っていた。
「黄金獅子が天命を全うして450年 もうそろそろこの国も潮時であろう」
サブノックの声はとても落ち着いている。
グリモワール王国の現況と現在の戦況を伝えようと思ったのだが、まるで今回の戦の何もかもを知っているかのような口ぶりだった。
「それでもなお 存続を望むか」
「無論です」
間髪いれず答えた自分に、サブノックはぽつりと呟く。
「自ら犠牲の道を選択するか 世界を支える可能性を秘めし悪魔の末裔」
その意図するところが分からず首を傾げた。
悪魔の末裔、というのはおそらく自分を指しているのだろう。しかし、自らを犠牲にするつもりはない。グリモワール王国を守るのも戦うのもすべて自分の意思だ。
どういう意味なのか聞こうとしたが、先にサブノックがフェルメイに視線を映した。
「何を望む 少年」
自分が若造でフェルメイは少年……サブノックの瞳に、自分たちはどんな姿に映るのだろう。
信じられないほど長い時の中で、いったい幾人のレメゲトンと契約してどれだけの人間に武器を与えてきたのだろうか。
少年と呼ばれたフェルメイは短い質問を噛み砕くようにゆっくりと目を閉じた。
幾許かの沈黙を経て少年は目を開いた。
強い意思の光をその新緑色の瞳に灯した彼ははっきりとした口調で告げた。
「この世界の存続を。国の人々に未来を。そのために武器を取り戦う事は躊躇わない」
迷いなき瞳に映るのは未来。果て無き闘争も先を見据えれば一つの布石となる。
凛とした彼の横顔に人を背負う強さを見た。人の前に立つ先導者の輝きの片鱗を見た。
きっといつかフォルス団長の跡を継ぎ、国を守る炎妖玉国境騎士団を率いていく存在へと成長するだろう。
ふと垣間見えた姿に思わず頬が緩む。
兜に隠れたサブノックの表情は分からない。しかし、負の感情が放たれることはなかった。第43番目の悪魔はフェルメイを認めたようだ。
「光が別った世界 その存続を望むなら」
サブノックはそんな言葉を残して掻き消えた。
その場に残ったのは満天の星空と耳につく沈黙だけだった。
「明日には武器が出来上がるだろう」
「本当ですか?」
ぱっと顔を上げたフェルメイは、サブノックを前にしていた時と打って変わって幼い表情を残していた。
「ああ、怖かった……」
ほっと息をついて胸をなでおろしたフェルメイに、先ほどの凛とした空気はない。
フォルス団長が座を明け渡すまでにはまだもう少しかかりそうだ。サブノックが少年と呼ぶのは仕方のないことなのかもしれない。
それでも、きっといつか。
「それでも本物の悪魔に会ってしまった……! すごい!」
興奮に打ち震えるフェルメイを見ながら、サブノックの言葉を思い出す。
光が別った世界。
世界を支える可能性を秘めし悪魔の末裔。
自らの犠牲――
このフレーズをどこかで聞いた事があると思うのは気のせいなのだろうか。
晴れないわだかまりを残したまま、城塞都市トロメオの夜は更けていった。
悠長にしている暇はなかった。
次の日にはまたセフィロト軍が侵攻してきたのだ。
「幻想兵を盾に一気に攻め入るつもりね」
城壁から敵軍を見下ろすねえさんの声が冷たい感情を帯びた。
自分とその隣に立つのはフォルス騎士団長と、サブノックの剣を手にしたフェルメイ――わずか4名の対 幻想部隊だった。
レメゲトンと違って悪魔の加護がなく空を飛べない二人は自分たちと別行動で騎馬部隊の先頭に立つことになっている。
対して自分とねえさんは空中から敵の真っ只中へ突っ込み、霍乱するというなんとも無謀な作戦だった。
ねえさんは金の瞳でフォルス団長とフェルメイを射抜いた。
「あなたたちはレメゲトンと違って悪魔の加護を持たない普通の人間です。サブノックの武器があるとはいえ、決してご無理なさらないでください。特にフォルス騎士団長、炎妖玉騎士団長が倒れれば、騎馬軍全体が揺らぎます。引き際を心得てください」
きっぱりと言い放ち、背に翼を広げる。
その姿を見て声を失ったフォルス団長は感嘆のため息をついた。
「まるで悪魔そのものだ……本当に人間なのか?」
それを聞いたねえさんは唇の端をあげる。
全ての人間を魅了する悪魔の微笑で。
「もう半分は悪魔になってしまったのかもしれないわ」
「素晴らしい! 惜しいな、剣士であれば騎士団長になれる素材だ」
意味の分からない団長の言葉に、フェルメイは小さくため息をつく。
「フォルス団長、お気持ちは分かりますが……」
「だからレメゲトンなのだな! ウォルといいファウスト女伯爵といい、ゼデキヤ王が羨ましいぞ! 炎妖玉騎士団に一人回せ!」
むちゃくちゃな理屈を言って豪快に笑った団長に、ねえさんが困惑のまなざしを向けている。
またも大きなため息をついたフェルメイを見て、自分は微かに笑んだ――フォルス騎士団長、心配しなくてもちゃんとあなたの跡を継ぐ素材は育っています。
そんな言葉を飲み込んで、ハルファスの名を呼んだ。
耳元がむず痒くなってどうにも納得する事のできない愛らしい加護が出現した。
「ははは、似合わんな、ウォル」
「……それは自分が一番分かっています」
終始楽しそうなフォルス団長に軽く礼をして空に浮かび上がる。
高いところからはセフィロト軍の全景が見渡せた。
数万にまで膨れ上がったセフィロト軍はその10分の1近くが幻想だと思われる。それも、一般兵にまぎれて普通の人間に襲い掛かる恐ろしい傀儡だ。
「グリモワール独立戦争の折、古の大天文学者ゲーティア=グリフィスは……」
隣のねえさんが軍を見下ろして呟いた。
「死霊遣い(ネクロマンサー)ホドとその幻想たちを倒すために、初めて悪魔を召還したそうよ」
稀代の天文学者ゲーティア=グリフィス、つまりあのくそガキの先祖だ。
もともとセフィロト、クトゥルフなどの隣国が均等に支配していたこの地に悪魔崇拝の国を作り上げたのは彼と初代国王ユダ=ダビデ=グリモワールだった。
幾つもの敵に囲まれた苦しい戦いの中で彼らは悪魔を召還するようになり、その後建国してから72の悪魔と正式にコインでの契約を結んだ。
「初めて召還した悪魔は、魔界の創造主とも言われるリュシフェルだったのは知っているわよね?」
「ああ。本当か嘘かは定かではないが」
神と同一視されるリュシフェルは、魔界の頂点に立つ堕天の悪魔といわれていた。
ただしその存在は伝承のものでしかなく、メフィストフェレスやベルフェゴールと並んで偶像崇拝になりかけている最高位の悪魔のうちの一人だった。
「そう、それが本当かどうか分からないのよ。でも、彼は実際にホドを退けているわ」
ねえさんは魅力的に、妖艶に微笑んだ。
「彼と同じように悪魔の加護を持つ私たちが勝てない理由がどこかにあるかしら?」
不敵な笑みはいつもと変わらなかった。
これから何万もの敵に突っ込んで幻想と現実の入り混じった兵と戦闘するというのに、不安など微塵も感じさせない。
「そうだな」
思わずつられて微笑むと、ねえさんは意地悪そうに笑った。
「よく微笑うようになったわね、アレイ。それもあの子のお陰かしら?」
思わぬ言葉に絶句したが、ねえさん相手に意地を張っても仕方がない。
「……そうかもしれないな」
「はっきり認めなさい。往生際が悪いわよ?」
それには肩をすくめるだけで答えて、左手で剣を抜いた。
「ゲオルグ=ファウストの末裔の力、見せてもらおうか」
「あなただってレティシア=クロウリーの子孫だというところを見せて欲しいわね」
そういって笑い合う。
互いの実力を認めているからこそできることだった。
「ご先祖様たちに恥じない戦いをしましょう」
「ああ」
たとえ敵が万の兵でも負ける気はなかった。
ハルファスの加護を全身に受けて、軍の真っ只中に向かってねえさんと二人、急降下した。




