SECT.15 幻想兵
上空から見下ろした城塞都市トロメオの正門前では多くの兵が接近戦を繰り広げていた。
眼下の戦場からから飛んで来る矢をハルファスが軽くいなしていく。
「ねえさんはどこだ?」
きょろきょろと見渡すと、なんとねえさんは兵の先頭に立っている。
ろくな装備もしていないドレス姿のねえさんは背の翼を翻し、周囲にいくつもの黒球を浮かべて兵を先導するように戦っていた。
レメゲトンが一般兵を相手にするとは、いったい何があったんだ?
兵同士がぶつかり合う戦場に急降下した。
剣が交わる音が響き渡っている。
こちらに気づいたねえさんは戦場からいったん退いて空に浮いた。
いつも余裕の彼女には珍しく、うっすらと汗をかき軽く息が乱れている。
「一体どうしたんだ? ビナーは?」
首を傾げて訊ねると、ねえさんは眉を吊り上げた。
「ビナーは退いたわ。代わりに傀儡を大量に置いていったのよ!」
「傀儡?」
「……いるのよ、兵の中に。斬っても斬れない、通常攻撃が効かない幻想たちが!」
「は?」
「生身の兵の中に幻想の兵が紛れ込んでいるわ。あいつは悪魔の力でしか倒せない。普通の兵だと思って切りかかったら大変な事になるわ」
「何だと!」
あれはコクマの能力ではなかったのか?!
「……ビナーってばあんなかわいい顔してなんて厄介な事を!」
ねえさんの金の瞳が怒りの炎に燃えている。
が、その言葉に一筋の違和感を覚えた。
「あれはビナーの能力だったのか?」
てっきりコクマの能力だと思っていた。
「どういうこと?」
「コクマも幻想を持っていた。10人程度だが、物理攻撃が効かなかった」
「あいつが?」
ねえさんはきゅっと眉を寄せた。
「ビナーの加護かしら? いえ、それよりは……」
表情が険しい。
「死霊遣い(ネクロマンサー)が戦場に来ているというの? だとしたら大変な事になるわ……!」
「ネクロマンサー?」
「セフィラ第8番目、栄光の天使ラファエルを使役するホドのことよ。ここに来る前、メイザース侯爵から受け取った資料の中にあったわ」
ねえさんは険しい表情のまま一息に告げた。
「グリモワールの独立戦争の折、最も苦戦した戦いがあるのよ。それが死霊遣い(ネクロマンサー)ホドが戦場に出てきた時のことよ。詳しい事は後で話すけれど、剣で斬っても死なない幻想の軍勢にグリモワール軍は壊滅的な被害を受けたの」
金の瞳がこちらを貫いた。
「そうなる前に幻想たちを消すのよ! 一般兵じゃ傷もつけられないわ!」
「分かった」
話は後だ。
悪魔による攻撃でしか滅せない傀儡を相手にできるのもレメゲトンだけだ。
セフィラ、幻想。
その双方を一手に相手しなくてはいけない。
「行くわよ、アレイ!」
漆黒の翼を追って、再び戦場に降下した。
ねえさんが周囲に浮かべている黒球は重力の塊だ。
名もなきその技に一度触れてしまえばその力に反する事は不可能だ。
「一般兵と幻想兵の区別はつかないわ。だからって躊躇しちゃ駄目よ」
彼女が指を向けた黒球は粉々に砕け散り、その破片はすべて凄まじい速度で甲冑に身を包んだ兵士に向かう。
最前列にいた兵士はその黒い破片をもろに受けてしまった。
声を出す事もなく霧散したその兵は幻想。
その隣で劈くような悲鳴を上げて折れ曲がっていく自身の右腕を掲げているのは現実の人間。
「この軍全部を止めるつもりで行きなさい。後ろには幻想に抵抗する術を持たないグリモワール兵が控えているのよ!」
叫びながらねえさんは背に漆黒の翼を広げ、飛び立った。
そのまま敵兵の真っ只中へ突っ込んでいく。
後姿を見送り、自分も左手で剣を構えた。
千里眼を持つあのくそガキなら人間とそうでない者を見分けられただろうか。
「レメゲトンに続け!」
兵団長が叫ぶ声を背に聞きながら、ハルファスの加護を湛えたまま長剣を閃かせて軍に突っ込んでいった。
数時間後、日暮れと同時に一斉にセフィロト兵が退き始めた。
何とかトロメオの城門を守りきったものの、疲労度はこれまでの比ではない。
「これが……狙いかしら」
「消耗戦と言うわけだな」
荒い息で地面にへたり込んだ自分を、ねえさんは毅然とした態度で見下ろした。
「そんな姿をみんなに見せちゃ駄目よ、アレイ。立ちなさい」
「……手厳しいな」
「もしメイザース侯爵が発見した資料による伝承が本当なら、これからはもっと辛い戦いになるわ。こんな程度じゃ済まないわよ」
同じ時間、何百もの幻想たちを相手にしてきたのだ。ねえさんだって疲れていないはずはないのだ。
それでも不敵な笑みを絶やさず、しっかりと地面を踏みしめて立っている。
思わず笑ってしまった。
この人には、勝てないな。
重い体を起こして立ち上がった。
自分より目線はずっと低いのに。力を入れれば折れてしまいそうな腕をしているのに。
どうしてこの人はこんなにも強いんだろう。
「でも本当に何か対策を立てない限り死霊遣いを撃退する事はできないわよ」
「その死霊遣いというのは何なんだ? セフィラ第8番目ホドにはどんな能力があるというんだ?」
問うと、ねえさんは小さくため息をついた。
「栄光の天使ラファエルは、血を使って人間の分身を作り出す事が出来るのよ。天使の作ったものだから物理攻撃は受け付けない。破壊できるのはそれに順ずる悪魔の力だけ」
「血……?」
ふと思い出して、先ほど拾ってきた赤い羽根をねえさんに差し出した。
「これは?」
「幻想を斬った跡に残っていたものだ。天使の羽根だと思うのだが」
「羽根に血が染み込んでいるわね」
ねえさんは唇を噛んだ。
「どうやらホドがどこかに潜んでいるのは間違いないようだわ」
薄暗くなった平原を遠く睨んで、レメゲトンの長は目を細めた。
その凛とした眼差しは、まるでどこかに潜む敵を見つけ出すかのように鋭く、深い光を秘めていた。
悪魔の力でしか滅ぼせない幻想兵。ホドの力がどれほそのものかは分からないが、その数は計り知れない。
それをこれからたった二人で、それも他に出てくるセフィラを相手にしながら消滅させていくというのか……?
気の遠くなりそうな予感に、もう一度ふらつきそうになった体を必死で支えた。
収めるのを忘れていた剣を地に突いてバランスを取る。
サブノックの剣。
天使の攻撃を裂き、幻想を切り裂く――
「ねえさん」
「なあに?」
「もしかしたら……突破口があるかもしれない」
金の瞳が大きく見開かれた。




