SECT.14 狂風鷲(フレスヴェルク)
一人目の胴を分断した瞬間、その体は霧散した。
「!」
その場に残ったのは、真っ赤な天使の羽根が一枚――
目の前をふわりと通り過ぎ、地面に舞い降りた。
その様子を見てコクマは驚いた声を出す。
「噂は本当だったわけ? 天使の攻撃を分断する……ネツァクの勘違いかと思ってた」
天使の攻撃、つまりこの分身もネツァクが矢から放ったガラスのヴェールと同じように天使の力で出したものだと言うわけだ。
コクマはあの分身たちを『フラウス』、と言った。セフィロト国の古代語で『幻想』『幻惑』という意味を持つ言葉だ。羽根を核にして実体化してあるのだろう。
物理的には分断できないはずのそれは、サブノックが鍛えた剣ならば容易に斬る事ができる。躊躇する理由はなかった。
肩をすくめたコクマを無視して自ら二人目に切りかかっていく。
振り下ろした剣は二人目の篭手で止められ、先ほどと同じタイミングで拳が追ってきた。
「学習能力はないようだな」
もう一度拳をつぶして……と思ったが、そううまくいくはずもなかった。
完全に止めたと思ったはずの拳は生物にはありえない硬度を持っていた。
「くっ!」
攻撃の勢いを止めきれず、後ろ向きに飛ばされた。
何とか体勢を立て直して着地する。
同時にコクマの亡霊が数体、一気に飛びかかってきた。
なんとか応戦するが、いかんせん数が多い。それも、どうやら剣以外の物理攻撃ではダメージを与えられないようだ。
物理攻撃が通用しないとなるとこれだけの数を一度に相手するのは不可能だ!
「ハルファス!」
いったん空に逃げた。
分身の方に天使の加護はさすがにないらしい。空にまで追ってくることはなかったが、このまま放置しておくわけにはいかない。
何より、上司から完膚なきまでに叩きのめすよう指令が出ている。
あまり時間をかけるとそれはそれで叱責を受けそうだ。
剣を納めて両手を下に向ける。
その先にあるのは……数体の『幻想』。
穏やかな風に耳の羽根が揺れた。
「力を借りるぞ、ハルファス」
「ひひ! うまく使えよ! 強いぞ!」
「それは……重々承知だ」
一瞬だけ先日の惨劇が目の前をよぎる。震えそうになる手に力を入れ、脳裏によぎる光景を打ち払うようにぶんと頭を振った。
大丈夫だ。うまくコントロールすればきっと風は味方になってくれるはず。
前に突き出した手を取り巻くように風の渦が生じる。
その風の流れに同調して全身が熱くなる。
「ひゃはは! そいつ(・・・)の名前教えてやる! レラージュがつけてくれたんだ!」
ハルファスの声が頭に響く。
悪魔の力を使役するのは意志の力だ。技に名をつけることでそれ自体が強くなるわけではないが、名を口にする事で意志の力を強めて力のコントロールを潤滑にする事が出来る。
微かに唇の端をあげ、片隅に届いた名を呟いた。
「狂風鷲……」
瞬間、その場の大気はすべて自分の制御下に落ちた。
狂風鷲とはよく言ったものだ。
遠い異国の地で伝説の中に存在するという風を起こす鷲、死体を食うとも言われる凶鳥だ。腕に羽根を持つ狂戦士ハルファスが使う技の名としてはこれ以上のものはない。
完全に制御権を握ったこの大気中は、ある種の特殊空間と言えよう。
地面に向けた右手を軽く振るっただけで大気が轟音を上げて飛び荒ぶ。
二人のコクマが宙に浮いた。
まるで糸でつられた操り人形のように自由を明け渡した彼らは、手で足でもがくように空気をかく――自分の支配下にある大気を。
刺すような動作でそちらに左手を突き出すと、その先からハルファスが普段飛ばすようなかまいたちが飛んだ。
鋭く空を裂いたそれは一瞬にして二人のコクマの姿を霧へと変えてしまった。
「ひひひ! お前うまいな!」
ハルファスのお褒めの言葉を聞き流して風を操る事に全神経を集中する。
ガキが千里眼を使うときはこんな状態なのだろうか。
思うとおりに動かせる、と言うことは全ての情報を頭の中で処理してやりたい事を正確に打ち出さねばならないということだ。
与えられる情報量も動かせる手足の数も半端ではない。
額に玉の汗が浮かんだ。
確かにこれは長い間使っていられるものではないだろう。
大きく手を広げて一気に両手を振り下ろした。
大気が押しつぶされて地面にいるコクマたちは相当な圧力をかけられたはずだ。
幻覚は残り8人。
ねえさんに怒られる前に、自分の制御が効いている間にカタをつけたい。
「ひひひ! たくさん斬を出したかったらな! 手を使ってるようじゃ駄目だ!」
「どうすればいいんだ?」
「もっとたくさんついてるだろ! お前の手!」
どういうことだ?
眉を寄せたが、自分の手を見てはっと気づく。
一度により多くの斬撃を飛ばすには、全体で一つ飛ばすのではなく……
「ありがとう、ハルファス」
胸の前でクロスした手をぎゅっと握り締める。
「これで終いだ!」
叫ぶと同時に突き出した手をめいっぱい広げる。
その瞬間に指の先から無数のかまいたちが飛び出した。
「!」
声も上げず次々と霧散していくコクマの分身たち。鋭い風に身を裂かれても悲鳴一つ上げず塵に帰していく。
なお勢いを増す大気の刃は地を抉り草木を蹴散らしていく。
怒涛の嵐のような攻撃が止んだとき、傷ついた大地の上に最後に残るのは本体だけだった。
狂風鷲の結界を解き、荒い息を整えながら地面に降り立つと、残ったコクマ本体は負傷した手を庇いながらもへらりと笑った。
「やるねぇ、伯爵さん。こうも簡単に幻想が殲滅させられるとは」
もう何も手札は残っていないはずなのだが、この余裕は一体何なんだろう。
いずれにせよコクマの動きを止めねば。
指の先に風を集中させる。
「おっと、やられる前に逃げるよ。10体程度じゃまだまだ余力がありそうだね」
「逃がすか!」
指の先からかまいたちを飛ばす。
それでも大量の情報に精神が疲れて集中力が落ちたいま、飛ばした斬撃に先ほどまでの威力はない。
「危ないな」
それでもコクマの大腿をかすめた風は薄く神官服を切り裂いた。
敗れた箇所から白い肌が見え隠れした。
が、違和感を受ける。
白い肌に浮かぶ黒い紋様は、自身が入れた刺青とは考えにくい。
「これでいったんサヨナラだ。気の強いねえさんによろしく」
コクマは背の翼を広げた。
追うか迷ったが、トロメオからあまり離れるのはよくないだろう。
退けたことでよしとして砦に戻る事にした。
ねえさんに叱られるのは避けられないだろうが、仕方がない。ありのままを報告してビナーの戦闘に参加するとしよう。




