SECT.11 先ニ待ツ答エ
砦の門が開いて誰かがこちらへ馬を駆ってくる。
ぼんやりと振り向くと、馬上から見慣れぬ青年が降ってきた。
「ウォル先輩っ!」
「ルーパス……か?」
理屈と関係なく滑り出た懐かしい名とともに疑問がこぼれた。
「そうですよ! 忘れちゃったなんて言いませんよね?!」
くっきりとした猟犬のような目を持つ少年は、炎妖玉騎士団の一員だ。
自分がまだ部隊長をしていた頃に新入りとして入ってきて、やたらと自分に懐いていた当時15歳の少年……だった。
今は見る影もない。顔つきは完全に大人のものとなり、身長は伸びてほとんど見下ろさなくてもいいくらいだ。何より声のトーンが落ち着いたものになっていた。
きゅっと眉間に皺が寄る。
「ひどいですよ! オレを置いてレメゲトンになっちゃうなんて!」
そういえば以前フォルス団長が言っていた気がする。
ルーパスなんぞ後を追わん勢いだったぞ!などと。
人懐こい猟犬は尻尾があったら盛大に振っていただろう、大きな目をいっぱいに開いた。
「すっげー会いたかった!」
間髪いれず抱きついたルーパスのぴょんぴょんはねた茶髪が顔の横にくすぐった。
多少の耐性を持つらしいルーパスは昔からよく自分にくっついていた。当時は腰の辺りに抱きついていたのに、今では首に手を回せる身長になっている。力も当時の比ではない。
昔なら仕方なくくっつけたまま歩いていたのだが、もう15の少年ではないのだ。さすがに絵的にまずいし、引きずって歩くには大きすぎる。
両手を肩について体を離すと、ルーパスは悲しそうな顔をした。
「とにかく離れてくれ」
「冷たいですよ、先輩。久しぶりの再会なのに!」
手品師を目の前にしたときに似た危機感が胸中をよぎる。
思わず一歩退くと、転がっていた兵士に足が当たった。
びくりと体を硬直させると、ルーパスはぽんと手を打った。
「そうだ! 倒れている人の中から生きている人だけでもすぐに手当しないと! ってフォルス団長が。」
「先にそう言え!」
思わず叫んでしまった。
するとルーパスはめをぱちくりとさせた。
「珍しいですね、ウォル先輩が声を荒げるなんて!」
しまった、くそガキに怒鳴る時のように思わず……
思わず頬が引きつる。
自分は思った以上にあのくそガキに影響されているらしい。
続いて出てきた騎士団員たちが散らばった人と馬の群れを掻き分けていく。
むせ返るような血の匂いが辺りに立ち込めた。
ほとんどの兵は即死だった。遺体を並べ、地面の血をぬぐい、まだ息のある者は城内に運び込んでいった。
手伝おうと思ったのだが、ねえさんが呼んでいるという伝令を受けてすぐに砦へと向かうことにした。
ドアをノックすると入っていいわよ、とねえさんの声がした。
部屋に入るとねえさんはすでに正装からラフなワンピースへと着替えていた。
「ねえさんの方も大丈夫だったのか?」
「ええ、ビナーには少し手間取ったけれど、コクマはたいした事ないわ。見かけ倒しよ。2人とも軍と同時にあっさり退いていったわ」
たいした事ない、ときられた彼も敵国では崇拝されるセフィラの一員なのだが。
「あなたの方こそ大変だったんでしょう。ハルファスの力を解放したの? ずいぶんと派手に立ち回ったようだけれど」
「ああ」
予想以上のハルファスの力に振り回されてしまったが。
「グリモワール側はすごい騒ぎだったわよ? 悪魔の光臨、ゲーティア=グリフィスの再来……もう普通に人前を歩く事はできないでしょうね」
いくらか予想はしていた事だ。
それでも表情が曇ったのは仕方のないことだろう。
「私もちょっと見とれちゃったわよ、アレイスター=クロウリー伯爵?」
「戦闘中だったはずだが……余裕だな、メフィア=ファウスト女伯爵」
ねえさんがくすりと笑い、つられて微笑んだ。
「双方に最小限の被害で退けたのは功績よ。とくに自軍の被害はほぼゼロ。あなたはレメゲトンとして誇っていいわ」
その言葉で先ほど目の前に広がった光景が返ってきた。
抉り取られた地面に累々と横たわる死体――
「きっとまたクロウリー家の新しい歴史として刻まれるでしょうね」
「あんな……一瞬の出来事だろう。味気ない話だ」
「一瞬だからこそ、よ。かの『暗黒の33日間』がなぜ今も語り継がれていると思うの? レティシア=クロウリーがほんの3日で王都を奪還したからよ。それこそ一瞬で、たった一人で1000人単位のセフィロト軍を追い払ったあなたは確実に名を残すでしょうね」
「よしてくれ」
英雄になりたいわけじゃない。名を残したいわけじゃない。
「悪魔の力を兵にぶつけるつもりはなかったんだ。ただ、ハルファスを制止出来なかった」
重い感情が心を支配していく。
綺麗ごとを言いたくはなかったけれど、ねえさんを前に弱音がこぼれた。
「人間に持ちえない力で軍勢を蹴散らすなど……」
「甘い事は言わないで、アレイ」
はっと見るとねえさんの瞳には黄金のきらめきが映っていた。
「あなたが守りたい物はいったい何? それを一つに決めろ、とあの子に言ったのは他でもないあなたよ」
息を呑むほど絶対的なオーラを纏ったレメゲトンの長は厳しい声で言った。
自分の心の中をすべて見透かしているかのように自分を諭した。
「確かにセフィロト国にもグリモワール王国と同じように歴史がある。人々が住んでいる。一人一人に歴史があって、家族がいる。あなたが躊躇するのも分かるわ。悪魔の力をそんな人々にぶつけたくないと言う気持ちも理解しているつもりよ。でも、それはグリモワール王国も同じこと。すでにカーバンクル周辺に住んでいた人達に死傷者は出ているし、トロメオの人は家を失っているのよ。それこそ亡くなった騎士団員の数は……」
ねえさんはそこで口を噤んだ。
しかし彼女はすぐに続けた。
「私達には世界を変える力なんてないわ。それこそ人ではない力で戦争をやめさせられるのだったらとっくにそうしてる。でも、そんな事現実にはありえない。だから……選びなさい」
きっぱりとねえさんは言った。
迷いなき瞳だった。
「与えられた世界で生きていくには理由はどうあれ選択しなくちゃいけないのよ。自分が生まれたから。好きだから。そんな自分勝手な理由で誰もが大切なものを選ぶのよ。もしあなたがあの子のいる王都を、グリモワール王国を選んだとしたらもう迷わないで頂戴。国の要であるあなたが揺らいだら国全体が揺らいでしまうわ」
「ねえさん……」
「気をしっかり持って、アレイ。とても辛いのは分かっているわ。でもお願い、あなたはこの国に必要なの。私の前でいくら弱音を吐いてくれてもいいわ。私をどれだけ貶してくれても構わない。それでも、あなたにしか出来ない事があるのを忘れないで」
どこか悲痛な叫びに、声を失った。
「ごめんなさい、アレイ。私一人じゃどうする事もできないの。3年前も、今も――」
細い指が頬に触れた。
涙は見えなかったが、きっとねえさんは泣いていた。
自分と同じようにねえさんも涙を忘れてしまったのかもしれない。
「どうして私の大切な人はみんなこんな力を持ってしまうのかしら」
自分はどうする事もできずにその場に佇んでいた。
きっとみな表に出せぬ痛みを抱えているのだろう。
自分がいくつもの傷を刻んできたように、それぞれがそれぞれの過去をどこかに残しているのだ。それはいつも迷いなく強く揺ぎ無いねえさんも例外ではない。
何度も迷って、何度も傷ついて、何度も何度も挫けながらそれでも前に進んでいく。
いつかその先に答えが見つかることを信じて。




