SECT.8 陽動
美しい天使に愛されるにはやはり造形が美しくないといけないのだろうか。
銀髪のティファレト、人形ネツァク、手品師ゲブラ……いずれも整った顔立ちと均整の取れた肢体をしていた。
初めて見る目の前のセフィラもまた美しい容姿をしていた。
一見すると優男と思える柔和な顔立ちのセフィラは、器用にも空中で礼儀正しく挨拶した。
「こんにちは、レメゲトン。長のメフィア=ファウスト女伯爵と悪魔の末裔アレイスター=クロウリー伯爵?」
「よくご存知ね」
そのセフィラの灰色の瞳を睨み返した。
「ならついでだからあなたたちのことも教えてくださらないかしら?」
「おおっと、これは気の強い美女だ。なかなか好みだねぇ」
優男は色素の淡い茶の髪を揺らして笑った。
ねえさんは不機嫌を隠す気がないらしい。憮然とした表情でその優男を睨んでいる。
「申し遅れました。セフィロト国のセフィラ第2番目、コクマです。以後お見知りおきを」
「残念ながらもう二度と会いたくないわ。私、あなたみたいに浮ついた人が一番嫌いなのよ」
「これは手厳しい」
印象と物腰だけは柔和なコクマはひょい、と肩をすくめた。
「じゃ、そちらの彼女は?」
「この子は第3番目ビナー。残念ながら誰も声を聞いた事がなくてねぇ、言葉を忘れてしまったんじゃないかな」
グリフィスの末裔とそう変わらない年に見える少女は表情もなくただ空に浮いていた。白い神官服のサイズが合っていないのかこの少女が標準より小さいだけなのか、服に埋もれている。長い袖からほんの少し指先がのぞいていた。
青空と同じ色の瞳はぼんやりと宙を見つめている。
「この子はなりたてだからねぇ。きっともうすぐ言葉を思い出すよ」
コクマの言葉ではっとした。
セフィラは職に就くとき全ての記憶を消す――ネツァクがそう言っていた。
「なりたてを戦場に送り込むなんてセフィロトは人手不足なのかしら?」
「いやいやそんな事はないよ。うちは王の発言が絶対だから」
なりたてだという少女が戦場に引っ張り出されたのはネブカドネツァル王の指示らしい。
先日は、ねえさんだけに飽きたらずレメゲトンをさらに捕まえて来いと無茶な指示をしたり、虚言を使って戦争を起こしたり……どうもネブカドネツァル王はあまりよく出来た統率者ではないらしい。
「そんな人が上司だなんて、あなたも苦労するわね」
「本当にそう思う?」
優男はふわり、と純白の翼を広げた。
十分な距離をとりつつ相手の動きに対処できるよう身構える。
「セフィロト国にはケテル様とマルクト様がいる。あのお二方がいらっしゃる限りセフィロトは栄光の中を進む」
手品師ゲブラといい人形少女ネツァクといいこの優男のコクマといい、どうもセフィラにはおしゃべりが多いらしい。
例外は銀髪のティファレトくらいか。とはいえあいつも感情のコントロールがうまくいっていないように見える。
天使を司るセフィラがこんな調子で、本当に大丈夫なのだろうか?
と思ったが、よく考えればこちらにも脳と口が直結しているガキのレメゲトンがいた事を思い出して小さくため息をついた。
そうだ、あいつも3年以上前の記憶はない。人格がリセットされたという点ではセフィラと同じ立場だ。
思わぬ共通点を見つけた。自分もねえさんもあのくそガキの相手にはかなり慣れている。もしかするとうまくコクマを操作して情報を聞き出せるかもしれない。
ねえさんにそれを伝えようとすると、どうやらねえさんも既に考えていたらしく、軽くウィンクして見せた。
「それじゃあ、今回の軍の指揮も王が執っているわけじゃないのね」
「無論だよ。総指揮官はマルクト様さ。あのお方はすごい! ケテル様の右腕として最高の英知を手にしていらっしゃる」
「第10番目マルクトが参謀って訳ね。ティファレトはどうしているのかしら?」
「ああ、あいつらは謹慎中。ケテル様の命に背くからあんな事になるんだ」
楽しそうに笑うコクマは、銀髪のティファレトと仲が悪いのだろうか。
思ったとおり、このおしゃべりなセフィラは簡単に答えられる質問には即答する。それによって生じる利害は考えていないようだ。
複雑な質問でなく、一言で答えられる質問を出来る限り自然に並べていけばかなりの情報を得られそうだ。
「今日の作戦もマルクトが立てたの?」
「そう、任務はあなたたちレメゲトンの足止め」
「あら奇遇ね」
ねえさんが物騒な笑みを湛えた。
「私たちも同じなのよ」
「うわあ、残念。でも綺麗な女の人には手を出さないって決めてるんだけどなぁ」
大げさなリアクションで嘆いたコクマは、すっと顔を隠すように手を当てた。
「仕方ない」
一瞬で雰囲気が豹変した。
放たれた殺気に反射的に抜刀してしまう。
「ビナー、クロウリー伯爵のほうを頼むよ」
先ほどと打って変わって冷徹な声に変化したコクマは白い神官服を脱ぎ捨てた。
柔和な顔立ちに似合わぬ鍛え抜かれた肉体が姿を現す。
ねえさんはそれを見て肩をすくめた。
「優男かと思ったら案外鍛えてるのね、少しだけ見直したわ」
それを聞いたコクマはにやりと笑った。
神官服に埋もれそうな少女が自分の前に降りてくる。
少女が両手を大きく広げると、背に生えた純白の翼がゆらりと揺れた――同時に、背後の空間から起き上がるようにして理解の天使ザフィケルが出現する。
ゆるやかに波打つ栗色の髪、慈愛に満ちたその表情は至高の母の名に相応しい。
眠そうに半分瞼を閉じた少女は、声も出さず表情も変えずに右手のひらを前に向けた。
何が来ても対応できるようにと剣を正眼に構えたとき、ねえさんの鋭い声が響いた。
「アレイ、こっちはいいからすぐに軍のほうへ向かいなさい!」
「なぜだ、1対1の方がやりやすいはずだ」
敵から目を離さずに聞くと、ねえさんはもどかしそうに叫んだ。
「何のための足止めだと思うのよ、敵にレメゲトンの人数は知れているのよ? こっちで二人を足止めして他のセフィラが正面から攻めてくるに決まっているでしょう!」
しまった、そうか!
「ありゃ、ばれちゃった」
コクマが肩をすくめる。
どうやら本当らしい。
すぐに向かわねば!
慣れない空中で方向を変え、都市の入り口へ進路を向ける。
「待て!」
コクマの声がしてビナーが思わぬ素早さで目の前に立ち塞がった。
が、次の瞬間少女は何かに殴られたように急降下した。
重力を操るバシンの仕業だ――デカラビアとの悪魔同時召還。
悪魔がよほど天文学者に服従していないとできない芸当だった。そうでなくては悪魔同士で争いを始めたり機嫌を損ねて魔界へ帰ったりしてしまう。
「早く行きなさい!」
ねえさんの叱咤を受けてくるりと方向を変え、納刀する。そして遠目にも矢が飛び交っているのが分かる正面ゲートを見据えた。
背後では激しい戦闘がすでに始まっている。
ねえさんなら大丈夫。
振り向かず、できる限りの速度で都市正面のゲートへ向かった。
城壁の上から矢が乱れ飛んでいる。向かう先はトロメオの正面に集結したセフィロト軍だ。
敵から打ち返された矢を避けながら城壁の上に着地した。
同時に背から漆黒の翼が消失する。
「ウォル先輩?!」
戦線で指揮を取っていたらしいフェルメイが驚いた声を出した。
「すごいですね、さすがレメゲトンです。まさか空から来るとは思いませんでした」
「何をのんきな事を言っている」
思わずため息が出そうだった。
「いや、でも今ので敵がひるんだのも確かですし、こちらの士気が上がるのも確かです」
「……それならいい」
のぞき穴から敵陣営を確認する。
どこに隠れていたのか数は約3000、その最前列に見慣れた影がある。
ねえさんの読みは当たりだ。
「セフィラの相手は俺がする。兵団の方は頼んだぞ」
「はい、任せてください!」
フェルメイはぴっと敬礼し、去っていった。
さて。
レメゲトンが姿を見せれば見せるだけ士気が上がると言うのは本当らしい。
それならばせいぜい派手にやらせてもらおう。




