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LOST COIN -tail-  作者: 早村友裕
第三章 PAST DESIRE
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SECT.4 別レノ言葉

 フォーチュン家を出てそのままねえさんの屋敷に向かった。

 どうやってこんな短時間にと思うような大量の荷物を準備して出迎えてくれたねえさんは意外といった口調で言った。

「早かったわね」

「別れを言う相手もいないからな」

「ラックなら上にいるわよ? 泣きそうな顔してるから会っていきなさい」

 思わず顔が引きつりそうになったが、抵抗するより会いたいという気持ちの方が強かった。


 馬車に荷を積み込むねえさんを置いて、屋敷の二階の廊下に黒髪の少女の姿を見つけた。

「……ねえちゃん」

 階下の馬車を見下ろしてポツリと呟いた少女は今にも壊れそうな世界を必死で保っているように見えた。

「おい、くそガキ」

 声をかけると漆黒の瞳がこちらを向いた。

 かすかに潤んでいるようでどきりとした。

「……アレイさん」

「世界の終わりみたいな顔しやがって」

 そう言うと少女はまた顔をゆがめた。

「アレイさんも行っちゃうんだね」

「ガキの戯言を聞かなくていいかと思うと清々する」

 いつものように台詞を吐いたつもりだったが、ガキの顔はますます歪んでいった。

「泣きそうな顔をするんじゃない。もう二度と会えないわけじゃないだろう?」

「そうだよ、そうだけどさ……」

 泣きそうな顔するな、と言ったくせに我慢する姿は見ていたくないと思う。泣きたいなら泣けばいいと思うのに泣いている姿を見たくないと思う。

 この少女を前にするといつも自分の中で矛盾と葛藤がせめぎあう。他の貴族の女性を前にした時とは感情の起伏が全く違っているのだ。

 誰より愛しいグリフィスの少女は何かをこらえるように唇をかみ締めた。

「俺の前で我慢するな。見ちゃいられない」

「だって……だって……」

「ねえさんの前では言えなかったんだろう?」

 本当は行かないで、と言いたかったはずだ。

 そうやって必死に何かを押しとどめようとする姿すらも愛おしいのはもう末期なのかもしれない。

 本当は傍を離れたくない。

 ずっと傍にいてやると、舞踏の夜に約束したはずなのに。

 自分はその誓いを既に破ろうとしている。

「うっ……だって……」

 少女の大きな漆黒の瞳から涙が零れ落ちた。

 二度目の涙だった。

 一度目は滅びの悪魔グラシャ・ラボラスに左腕を食われた後だった。あの時怖かったと言ってすがりついた少女の姿は今でも脳裏に焼きついてはなれない。

「分かってるのにっ……おれが弱いから……一緒に行けな……でも、ほんとは、ほんとは……」

 しゃくりをあげながら切れ切れに言葉を紡いだ。

 美しい涙の粒に目を奪われた。

 それを隠すように少女は床に目を落とし、そのまま胸元に額を預けてきた。

 思わずその体を受け止めて黒髪に手を当てた。

「顔、上げろ」

 そう言うと少女は顔を上げるどころかますます強く額を押し付けて胸元をぎゅっと掴んだ。

「傍にいてくれるって言ったじゃん……」

 絞り出された声は確実に胸を貫いた。

 あの時誓った言葉は嘘ではなかった。

 だが、心と裏腹に目まぐるしく変化する時代がその誓いを引き裂いていく。

「おれだって知らない場所でアレイさんが危険な目に遭うのなんてやだよ。すぐ助けられるように傍にいたいよ」

 傍にいたい、と言ってくれる事が心躍るほど嬉しいはずなのに、今は胸の奥を締め付けた。

 離れたくない。

 心がそう言っても聞き入れてくれる世情ではない。

「おれに出来ることなんて……すごく少ないけど」

 そんなことはない。

 過去を受け入れられたのも、人の優しさに気づいたのもすべてお前のお陰だ。

 これほどまでに感情は揺れ動くものだと知ったのも、人のために自分の全てをかけてもいいと思えるようになったのも――

「約束を破るつもりはなかったんだ」

 かろうじて呟いた言葉はただの言い訳でしかなかった。

 それでも傍にいようとした気持ちが本当だという事だけは疑って欲しくなかった。

「知ってる。戦争だって……王様が……」

 戦地に行ってしまえばこうして震える肩を抱いてやる事も出来ない。弱音を受け止めてやる事もできない。

「うそつき」

 少女の言葉は鉛の様に重くのしかかる。

 反論する術を自分は持たない。

 不意に少女の漆黒の瞳が自分を貫いた。

「行かないでよ、アレイさん……!」

 最後通告された気分だった。

 苦しい。どうしようもなく胸が苦しい。

「すまない」

 どうして自分はこの少女の傍にいてやれないんだろう。

 自分は傍にいたいと願い、この少女は傍にいて欲しいと願ってくれたのに。

「どうしても行かなければならないんだ」

 世界の崩壊を悲しんでただ涙を流し、見上げてきた少女の額にそっと口付けた。

 額にするキスは尊敬。

 驚いたように目を見開いた少女の頬にもそっと唇を寄せた。

 頬へのキスは――愛情。

 愛していると言葉がこぼれそうになるのをこらえて、震える桃の唇に惹かれる気持ちを抑えて艶やかな黒髪を撫でる。

「俺はミュレク殿下のようにお前を安全な場所に匿う術など持たない。だから……待っている。お前が自分で俺と同じ位置に立てるようになるまで」

 自分に出来るのはそれだけだから。

 この少女の強い魂を信じ、願う事を叶えてやるにはそうするしかなかったから。

 それでも傍にいることを願うから――今のことでなくずっと先の未来を見据える事が出来たなら、少女はきっと自らを鍛える道を選ぶはずだ。

 強く抱きしめると華奢な肢体はふわりと浮いた。

「代わりにお前がいる王都を、この国を守ってやるから」

 静かにそう呟くと、少女は首に手を回してぎゅっと抱きついてきた。

 もうこの少女以外要らない。それが父親に反抗する事になったとしても。

 自分を選んでほしいと思う気持ちはおそらくずっと消えはしないだろう。傍にい続ける限りずっとその気持ちに翻弄されながら生きていくのだろう。

 心地よい鼓動が重なって、少女の震えが次第に止まっていくのがわかった。

 もし、もう一度だけ勘違いしてもいいと言われたなら、迷わず自分は少女の手をとるだろう。

「ごめんね、アレイさん。ワガママ言っちゃったよ」

 首に手を回したまま耳元でポツリと呟く少女の声は、どこか恥ずかしそうに響いた。

「構わない。その方が……嬉しい」

 もし、この少女がこんな風に弱みをさらけ出すのが自分だけだとしたら、少しは期待してもいいんだろうか。

「そうなの?」

 不思議そうな少女の声に答えるつもりはなかった。

 いつか少女の瞳が自分にだけ向けられる日が来るのなら……そんな事を考えないようにするのは一種の保険なのだろう。



 小さな街の片隅で初めて見かけた時には、すでに決まっていた事なのかもしれない。

 たとえそれが自分の中に流れる悪魔の血が呼んだ縁だとしてもかまわない。この時代この少女に出会えたこと自体が奇跡に思える。

 これが世の女性たちの言う運命と言う奴なら、その存在を少しは信じてやってもいい。


 何度も溢れそうになる気持ちを押しとどめておく事が最善だと言い聞かせていた。

 少女が自身の気持ちの変化に気づき始めているのだとは知らず、言葉を何度も胸の奥に飲み込んだ。きっとこの感情をまだ知らない無垢な魂は受け止める事などないだろうから。

 それでももしこの時少女に気持ちを伝えていたら、未来は変わっていたのだろうか?

 それとも――

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