SECT.3 陥落
王国最強の炎妖玉騎士団が守る東端の砦カーバンクルが陥落した。
その知らせに頭を殴られるようなショックを受けた。
同時に目が覚めた。
いまは戦争の時だ。結婚がどうの、自分の願望がどうのと言っている場合ではなかったのだ――昨日までの自分を反省し、すぐにジュデッカ城に参上した。
王の執務室にレメゲトンが全員集合していた。
メイザース侯爵が静かに戦況を告げる。
「大使が書簡を届けた日の午後にはすでに攻撃が始まっていたようです。準備が不完全だった炎妖玉騎士団は応戦したものの被害は甚大、残った兵を連れて団長であるバーディア卿が東の都トロメオに退いたそうです。」
「宣戦布告をした瞬間に攻撃とは、してやられたな。」
ゼデキヤ王は頭を抱えた。
部屋を沈黙が支配する。
炎妖玉騎士団は3年前まで自分が騎士として部隊長を務め、今はレメゲトンとしても所属する思い入れの深い騎士団だ。
団長のフォルス=L=バーディア卿にはプライベートでもかなり世話になっている。
みな無事なのだろうか。
「……すぐトロメオに向かいます」
そんな言葉が自然に口から滑り出た。
「頼む、クロウリー伯爵。それにファウスト女伯爵、すぐに出発してくれ」
「御意」
「おそらくセフィロト国も戦にセフィラを投入しているはずだ。普通の兵だけではいくらも持たんだろう」
そうだ。
早く向かわねば。
「アリギエリ女爵、国家医師団から数名選出し、物資を届ける一団と共に戦地へ向かってくれ。到着後市民退去の指揮を執れ。準備ができ次第、輝光石騎士団と現在トロメオから最も近い琥珀騎士団を向かわせる。老師とメイザース卿は戦況と敵の戦略を調べ随時報告してくれ」
「はい」
「現場の総指揮はバーディア卿に一任してある。被害を最小限に食い止め、トロメオを最終点としてセフィロト国の侵入を防ぎ、防衛ラインをカーバンクルまで戻したい。まずはそれからだ。とにかく国土を防衛する。人々への被害を増やすな」
「承知しました」
ゼデキヤ王は的確に指示を出し、レメゲトンはそれぞれの持ち場を与えられた。
「すぐ行動に移ってくれ」
「はっ!」
その中で動けていない人間がいる。
レメゲトンになったばかりのグリフィス家の末裔だった。
くそガキは戦場に出るにはまだ早い。おそらく王都残留が命じられるはずだ。
呆然となっているガキを一人残し、戦場へ向かう準備のため執務室を後にした。
「おそらくラックは漆黒星騎士団の訓練所に移るはずよ」
廊下を早足で急ぎながら、隣のねえさんが言った。
「義兄上ならうまくやってくれるだろう」
「そうね。いまの実力で戦場に出るのは無理よ。まだ修行が足りないわ」
そこでねえさんは少し目線を床に落とした。
「離れ離れになっちゃうわ。あの子はまた……悲しい思いをするのね」
「大丈夫だ、あのガキは強くなると言ったんだ。大切なものを自分の手で守りたいと、はっきりミュレク殿下にも申し上げたそうだ」
「まあ、あの子殿下にそんな事を!」
ねえさんは小さくため息をついた。
「そう言ったって事をあなたに宣言してる辺りが一番問題かしらね」
「は?」
「こっちの話よ」
城を出たねえさんは、数刻後に迎えに来るよう言ってから、颯爽と去っていった。
やはりねえさんは自分のことを御者か何かと勘違いしているらしい。
屋敷に戻ったが父親は公務で入れ違いにジュデッカ城へ向かったようだ。
沈黙の中に安堵した。
またあの人の前に出て、戦いに赴く事を直接告げる勇気はなかった。
黙って王都を離れよう。後々どれほど叱責を受けようと連れ戻そうとしようと、戦地へ向かう事は王命なのだ。忠実なあの父親が強く出られるはずがない。
もし王都に別れを告げる人がいるとしたら、それは幾人にも満たない。
一番会わなくてはいけないのはきっと、彼らだろう。
在宅か分からなかったが、とりあえずねえさんの家に行く前にフォーチュン家へ向かうことにした。
どこか落ち着かない景色の中に戦の気配がある。
輝光石騎士団は自分たちと共に戦地へ向かう。数百人規模の大所帯だ。その準備は即日で行われているのだから今頃団員たちは大忙しだろう。
屋敷に着くと、すぐに姉上が出迎えてくれた。
「ごめんなさい、クラウド様はいらっしゃらないの。忙しくなるそうね」
「……はい」
「見合いのこともクリスに聞いたわ。大丈夫、そっちは私から父上に申し上げておきましょう」
この人にはなんでもお見通しなのだろうか。
ほとんど年の変わらない腹違いの姉はいつも自分のことをよく見ていてくれた。昔はそれが苦手だった。何もかも見透かされているようで怖かった。
でも今は――
「ちゃんと帰ってくるのよ、アレイ。あなたたちの結婚式、楽しみにしているのよ?」
「……いつの話です」
「いつでもいいわ。戦地で婚姻したって飛んでいくんだから」
「無茶はやめてください」
軽くため息をつくと、姉上はいつものように軽く微笑んだ。
ふわりと温かい空気がその場を包む。
「貴方は強いからいつもそんな風に弱みは見せてくれないのね。ずっとそれが寂しかったのよ?」
自分と同じ紫の瞳は、悪魔の血を引く印だった。
「ラックのことはクラウド様に任せてちょうだい。あの人はきっと立派に育ててくれるわ。何しろ養女にしようと言っていたくらいなんですから」
「……そうですね」
そうだ、漆黒の瞳の彼女にも一度別れを告げねばならない。
またあいつは泣くんだろうか。それとも困らせないようにと我慢するんだろうか。
「さあ、行きなさい。貴方はグリモワール国のレメゲトンよ。貴方にはこの国を勝利に導くがある。この国の人々を守っていく力があるわ」
「はい」
ゼデキヤ王に誓った忠誠が揺らいだ事はない。
セフィロト国が攻め込んできた今、セフィラを相手に出来るのは今自分とねえさんしかいない。
これまで自分が力を磨いてきた意味があるとしたら、きっとこの戦で国を防衛するためだ。
炎妖玉騎士団は東の都トロメオに退いたという。
トロメオは大都市だ。そこが戦場になれば多くの人が犠牲になってしまう。早急に防衛ラインをカーバンクルまで戻さなくてはいけない。
「ちゃんと帰ってくるのよ、アレイ」
「ありがとうございます……行ってきます」
不思議と怖さはなかった。
もし自分の持つ力で人々を守れるのだったら、全力を尽くそうと思った。
ただ、一度だけ見たくそガキの涙が頭の中をちらついて離れなかった。




