SECT.1 悪魔ノ末裔
大使の謁見を終えて屋敷に戻ってくると、執事のクリスが待っていた。
「ぼっちゃま、旦那様が……」
「分かっている」
顔がこわばるのは止められなかった。
父親が待つ応接室の一つへたどり着き、その前で一度深呼吸した。
意を決してノックする。
「入れ」
扉越しに声がした。
部屋に足を踏み入れると、壁まで迫る本棚が出迎えた。
もともと本の好きな父親は若い頃学者を目指していたと聞いた。最も、クロウリー家の当主にそんな選択肢はない。
悪魔耐性が弱くコインの所有者になれなかった彼は政治家の職に就き、いまも忠臣としてグリモワール王家に仕えている。
「遅かったな」
「申し訳ありません」
「まあいい」
そう言い捨てて父親は抑揚のない声で言った。
「すでに幾人かに話はつけた。レヴィ公爵家の長女セリーヌ=M=レヴィと次女フィリア=M=レヴィ。それにフローラ=K=ビエラ。いずれもクロウリー家跡継ぎの母として申し分ないだろう」
3人とも名前に聞き覚えがるからおそらくどこか公式の場で顔を合わせた事があるのだろう。何よりレヴィ家もビエラ家もクロウリー、グリフィス、ライアット等と並ぶグリモワール王国に7つしかない公爵家だ。
こういう時に、公的な場にほとんど出席しなかった自分が恨めしく思われる。
その娘がどんな人物であるかを全く思い出せないのだ。
「明日には一度全員と顔を合わせられるよう手配する。今月中には式を……」
「父上、それは」
「口答えは許さん」
びくり、と体が震えた。
どうしてだろう、幾つになっても全身がこの人を畏怖する。逆らえない。
「先方は是非にとおっしゃっている。明日の午前には引き合わせよう」
思い出せない。
初めて会った時からこうだったのか……?
張り付いたように声が出なかった喉は、最後まで反抗の言葉を紡ぐ事が出来なかった。
一体どうしてこんな事になってしまったんだろう。
眠れない一夜を過ごした後、重い頭と体を引きずって起き上がった。
思考がほとんど停止している。よく分からないままクリスの指示で装丁を整え到着するというレヴィ公爵家の娘を待った。
心を占めるのはあの笑顔。
もう離れないと誓ったのに。
「ぼっちゃま、本当によろしいのですか」
「……」
戦争に行く前に式を挙げる。
それはある意味子孫を残した後は用済みだと宣告されたようなものだった。
あの父親を知る者からすれば当たり前の事であるし、いつかはこうなると予測していた事でもあった。以前ならきっとそれを諦めて受け入れただろう。4年前、レメゲトンの職に就いたときのように、自分を殺して偽りの言葉を唱えて。
だが、今は違う。
大切な人が心に住んでいる。
あの少女以外はいらないと、心の底から叫んでいた。
「セリーヌ様がご到着されました」
いったいどうしたらいいのか。
答えが出ないままに扉は開いた。
音に反応して振り向いた。
開いた扉の向こうには黒髪の美しい女性が立っていた。完全に少女の域を脱した顔立ちは教養に溢れた理知を示唆していた。
しかし、すでに名も忘れてしまった彼女にかける言葉が見つからなかった。
「お久しぶりです、クロウリー伯爵」
久しぶり、と言われても全く覚えていない。
どうしたものかと思っていると、彼女はくすくすと花がほころぶように微笑んだ。その様子は姉上の雰囲気ととてもよく似ていた。
「やはり、もうお忘れなんですね。セリーヌ=マリア=レヴィと申します。公式の場で幾度かお会いしましたのに、いつも伯爵は私の事をお忘れでした」
「ああ、それは……申し訳ありません」
いつものことではあるのだが、我ながら失礼極まりないと思う。
かといって覚えようと思っても、毎回何十人も挨拶に来る女性の名を覚えるのはなかなか困難なわけなのだが――最も、覚える気がないといってしまえばそれまでだ。
「もう自己紹介は必要ないでしょうが……」
礼儀に従って膝を折った。
「アレイスター=ウォルジェンガ=クロウリーです。以後お見知りおきを、婦人」
手をとって軽く口付けた。
そのまま手をとって導き、椅子を引いた。
優雅な仕草で腰掛けたレヴィ家の娘は、幼い頃から貴族としての嗜みを叩き込まれてきたのだろう。無駄な動きは一切なく、表情までも計算されているのではないかと思うほどだ。
その反対側に座り向かい合わせの体勢をとる。
「本当に今回は驚きました。まさかクロウリー公爵様直々に私の元へ令を下されるなんて」
娘は本当に嬉しそうに微笑んだ。
「いつかこうやってお話してみたいと思っていました。それがこんな形で叶うなんて思っても見ませんでした。まるで夢を見ているようです」
困惑して口を噤んだ。
もともと話すのは得意ではない。上に一方的に好意を押し付けられるのは好きではない。
相手に失礼のないようにと思ってはいるのだが、愛想よくするのは最も苦手とすることだった。終始笑顔の義兄上じゃあるまいし、女性との会話など思いつきもしなかった。
ずっと自分の事ばかり話すレヴィ家の長女を持て余しながらぼんやりとしていた。
「アレイスター様とお呼びしてもよろしいですか?」
「どうぞお好きに」
姉上が騎士団長クラウド=フォーチュンと出会ったのはやはり社交の場だったらしい。
すでにレメゲトンとして国内を忙しく回っていた頃の出来事なので詳しくは知らないが、どうやら姉上の方から積極的に近づいたのだとか。確かにフォーチュン家は侯爵家でありさらにその当主の義兄上は騎士団長でもあるが、公爵家であるクロウリーの娘を、それも父上の思い入れの深い姉上をそう簡単に迎え入れられたとは考えにくい。
姉上自身の強い意思がなくては無理だっただろう。
何より、クロウリー家の者と婚姻を結ぶにはとある条件が必要だった。
その条件によってクロウリー家は近親婚が多く、さらに血が濃くなる傾向にあった。
今日3人ともに会え、と言った父上の言葉の裏には試せ、という命令も入っていたはずだ。
がたりと席を立った。
「アレイスター様?」
驚いたような娘の声を尻目に、テーブルの反対側にいた娘の背後に回った。
本当ならいくらか時間をかけて調べるのだが、もう面倒だった。後で叱責を受けてもいい。どうせ自分はもう幾許もないうち戦争のためこの家を出るのだ。
「少しの間だけ失礼します」
義兄上は幸運にも耐性に恵まれたらしい。
忌まわしきクロウリーの系譜だった。
公然の秘密として、クロウリー家は悪魔の子孫だと言われている。それは何も噂に限った事ではない。
「ア、アレイスター様……?」
椅子の後ろからレヴィ公爵家の長女を抱きしめた。
「無礼をお許しください。しばしの間だけ……」
娘は頬を染めてじっと俯いた。
静寂が通り過ぎていく。
1分、2分……
この娘が何を考えるかは知ったことではない。ただ、10分ほどこうしていればいい。
すぐに答えは出る。
沈黙が部屋を支配してから10分以上過ぎただろう。
それまできっちりと姿勢を正していた娘の体勢が不意に崩れた。だが、それに何の感慨もわかない。
早く自分から離して休ませなくてはいけない。
「お加減が悪いようですね」
「あ、いえ、大丈夫です……」
ずっとまわしていた手をほどいて使用人を呼んだ。
「別室でお休みください」
「あの、アレイスター様」
まだ何か言いたそうな娘を部屋から追い出して、一息ついた。
悪魔の血は確実に耐性を持たない人間を蝕む。
クロウリー家に嫁ぐためにはレメゲトン並みとはいかなくても、それなりに強い耐性が必要だった。特に悪魔耐性の強い自分は悪魔の血が濃いとされている。
ダンスで手をとるくらいならたかが知れているが、全身を密着させた状態では普通なら10分前後が限界だった。
「かあさま……」
幼子のように呟いて窓の外を見た。
庭園が広がり、ダリアの花が最後の艶姿をひらめかせていた。




