--- ハジマリ ---
ディアブル大陸の西岸を支配するグリモワール王国は穏やかな気候と豊かな国土に恵まれ、およそ450年以上も安定を保ってきた。
その大きな支えとなったのがレメゲトンと呼ばれる王国付きの天文学者たちだった。
初代グリモワール国王ユダ=ダビデ=グリモワールは稀代の天文学者ゲーティア=グリフィスと共に、72の悪魔を冥界から召還し、悪魔それぞれと契約した証に全部で72のコインを作ってレメゲトンにそれぞれ与えた。
レメゲトンたちは悪魔の強大な力を使役してグリモワール王国に反映の時代をもたらした。
しかし、何百年もの時は流れ、王家が所有するコインの数はいつしか減っていた。レメゲトンの数も今ではわずかに6名、所有するコインは23。
それは長く領土拡大の機会を狙っていたセフィロト国にとって好機といえた。
グリモワール国建国から466年目の夏、セフィロト国はグリモワール国に対して宣戦布告した。
これは短く、しかし激しい戦争の始まりだった。
今日はセフィロト国の大使がやってくるという。
理由はいわずとも分かっている。
先日のセフィラ王都乱入事件の後、ゼデキヤ王は原因究明と関係の保全に全力を尽くした。何が何でも戦争を避けようと奔走したのだ。
だが、その努力は実らなかった。
ネブカドネツァル王はセフィラ王都侵入を認めず、国を貶める卑劣な言いがかりだと声を荒げた。また、レメゲトンがセフィラに対して攻撃を加えた事を盾に謝罪を求めてきた。
無論セフィラと交戦したのは事実だが、ねえさんを取り戻すための正当な戦闘だ。
とはいえ任務通達は王からの口頭、急を要する事態だったため任務中の記録はとっておらず、レメゲトンがほぼ単独で動いた先日の事件を証明する手立てはなかった。
挙句の果てに国境を守る炎妖玉騎士団が領権侵害したなどという虚言まで使い、開戦の理由を国際的に知らしめた。
全く持って信じられない事だった。
本日到着するセフィロト国の大使がセフィラであるという情報が入っていたため、謁見にはレメゲトンが参列する事になった。
天使を召還するセフィラに対抗できるのは、悪魔を召還するレメゲトンだけ。
急いで準備を済ませ、家を出ようとすると珍しい声がした。
「アレイスター、待ちなさい」
その名で呼ぶのは一人しかいない。
「……父上」
グリモワール国の重鎮、クロウリー公爵――つまりは、自分の父親だった。
紫水晶の目には感情が映らない。自分も人の目にはこんな風に気難しく映るのだろうか、凛とした冷たい空気をもつとても近寄りがたい人だった。
そして自分にとっては逆らえない人物だ。
この人の命令で自分はこの家に連れてこられ、教育され、さらには騎士への道も絶たれたのだ。
「何でしょうか」
「グリフィス家の末裔の事だ」
どきりとした。
思わずつばを飲み込んだ。
「どうやらずいぶんと入れ込んでいるようだが、ほどほどにした方がいい。王家を敵に回すのは得策ではない」
「!」
一体この人は、何をどこまで知っているんだろう?
くるりと振り向いた父親の姿は何年経っても変わらない威圧感で大きく見えた。
「グリフィス家の娘に構うな」
有無を言わさぬ口調だった。
これまでならそこで口を噤んで何も言えなくなっていたかもしれない。
「……それはできません」
クロウリー家に引き取られてから20年、反攻したのは初めてだった。
初めて父の驚いた顔を見た。
この人にもこんな表情があったのか。
思わず目を見開くと、クロウリー公爵はふいに後ろを向いて口早に言った。
「すぐにお前の婚姻相手を探してやる。クロウリーの血を途絶えさせるわけにはいかない。大丈夫だ、育てろなどと言わん。生まれた子はこちらで引き取ろう。とにかく」
「父上!」
「お前はもう戦に赴く身だ。その前に……」
「聞いてください、父上!」
「アレイスター。お前はまだ自分の立場が分かっていないのか?」
そういわれて言葉に詰まった。
冷や汗が全身から噴出す。逆らってはいけないと心のどこかが叫んでいる。
「謁見が終わればすぐ戻って来い。それまでに用意させる。」
喉が震えて声が出ない。
言葉を紡ぐ事はままならず、そのまま父親の背を見送った。
完全に遅刻だ。
「遅くなりました。アレイスター=クロウリー、ただいま参上しました」
慌てて謁見の間に飛び込むと、すでに到着していたライアット公爵の冷たい声が放たれた。
「クロウリー伯爵、レメゲトンならそれなりの節度を持って行動していただきたい。今は国の一大事なのですから」
「申し訳ございません」
すぐに頭を下げ、謝罪する。今は事を荒立てている場合ではない。
王族が高い壇上に並び、その階段元を漆黒星・輝光石騎士団長が大きな槍を手に守る。
そこから向かって左側にじじぃを始めとしたレメゲトンが並び、右側にはライアット公爵を筆頭に貴族議会の有力者たちが並んでいる。
息を整えながらレメゲトンの列に並んだ。
するとすぐに扉が開いて、セフィロト国の大使が3人謁見の間に入ってきた。
先頭を歩くのはセフィラの神官服に身を包んだ男性だった。細いフレームの眼鏡をかけていて狡猾そうな笑みを湛えている。淡い茶の髪はかるく波打っていた。何番目のセフィラなのだろうか、大使の主任を務めるくらいだからおそらく第1番目ケテル、または第10番目マルクトあたりか。
その右後ろは聖騎士団の鎧を身につけた赤茶の髪の女性だ。気の強そうな顔はあまり好ましくない。敵国の王族を前にするというのに不遜な態度だ。
そして、左後ろに控えていたのは見覚えのある燕尾服だった。
「ゲブラ」
隣のガキが震えるような声で呟いた。
それに気づいたのか細長い手品師はこちらに向かってにこりと微笑んだ。
大使3人は全員が見守る中颯爽と壇の下まで進み出て跪いた。
「遠路はるばるご苦労、セフィロト国の大使よ。長い挨拶はいらぬ、本題はもう分かっておる」
壇上から王の声が降ってくる。
その中に微かな怒りが混じっている事は王に仕えて久しい者ならすぐに分かったろう。
「セフィロト国、ネブカドネツァル王より親書をお預かりしております」
先頭のセフィラは丸められた親書を差し出した。セフィロト国の象徴が刻まれたそれは、たった一枚だったがこの国を左右する多大な権力を持っていた。
季節はちょうど夏を迎えようとしていた頃、グリモワール王国とセフィロト国の間に戦争が勃発した。




