SECT.32 懐カシイ再会
あいつを『一つだけ』に選んでから、自分の中でよく呟く言葉がある。
お前が望むのならその望みを叶えてやる。強くなりたいのなら、多くを知りたいのならば手助けをする。迷ったなら選択肢を減らしてやる。
が、もし、あいつが平穏な生活を望んでいるとしたら……?
自分に出来ることは果たして存在するんだろうか。
胸を裂く様な気持ちを抱えるくらいなら、想われる事がなくとも傍で見守っていこうと思っていた。成長していく様を見届けようと思っていた。
だが、もしあいつがねえさん以外の誰かを、例えばミュレク殿下を『一つだけ』に選んだとしたら?
傍にいることさえも許されなくなってしまうのか。
パラディソ外郭の中にあるパーティ用の建物は今日のこの日のためにきらめかしく彩られていた。
深紅の絨毯が床一面に敷き詰められ、中庭まで開放されて人々が多く談笑している。
メインホールは3階まで吹き抜けになっており、天井には豪奢なシャンデリアが下がっている。2階のバルコニーへと続く階段も金の装飾を施された手摺に彩られ、その中ほどにゼデキヤ王が立っていた。
ところが、もうずいぶん前にパーティが始まったというのに主賓であるミュレク殿下とくそガキが姿を現さない。
一体どうしたんだと訝しんでいると、人ごみの中からひときわ目立つ美貌を持つレメゲトンの長がこちらに向かって歩いてきた。
レメゲトンの女性の正装は体のラインがくっきり浮かび上がる細身の黒いドレスだ。マントを羽織っているとはいえ、その服は彼女の魅力を最大限に引き出していた。
金の猫目が楽しそうに細められる。
「御機嫌よう、クロウリー伯爵」
「あのくそガキはどうしたんだ?まだ着かないのか」
「慣れない靴を履くものだから苦労しているのよ。もうすぐ来るはずよ? ミュレク殿下と一緒にね」
その名前に心臓の拍動が早まった。
ねえさんには確実にそれが伝わってしまったようだ。
「ふふ、心配ねえ。相手は手強いものね」
「何の話だ」
分かっていたが憮然と言い返した。
「それよりあの子の正装は必見よ! もうかわいすぎて自慢して歩きたいくらいだわ!」
「……興味がない」
「なあに、人一倍気になってるくせに。素直じゃないんだから!」
ねえさんは楽しそうに笑うと、声を潜めて呟いた。
「心配しなくても大丈夫よ」
「え?」
そのことばの真意を聞く前に中央のゼデキヤ王が高らかに宣言した。
「やっと今日の主賓が到着したようだ」
はっとして王が指し示す方向を見ると、ミュレク殿下の隣に口をぽかんと開けていつもの阿呆面をしたガキの姿があった。
「本日19の誕生日を迎えるサン=ミュレク=グリモワールと、新たにレメゲトンに就任したラック=グリフィス。どうか盛大な拍手でお迎えください!」
だから口を閉じろ!と叫びそうになってしまう。せっかく着飾っているのに台無しだ。
それでも周囲の群衆からはため息が漏れた。
「なんと美しい方だ」
「本当に悪魔の化身のようだわ」
細身の黒いドレスは華奢な体によく似合っていた。コインを下げた金ベルトがアクセントとして引き締めており、首のペンダントと蒼水星の髪留めもとてもセンスがよかった。
何より絹のように滑らかな象牙色の肌と肩まで艶やかに流れる黒髪が縁取る意志の強そうな漆黒の瞳が目を惹いた。
殿下に手を引かれて広間の中央へ進み出る間も辺りをきょろきょろ見渡している。
どうせねえさんでも探しているんだろう。
と思って隣を見たがすでにねえさんの姿はなかった。
「グリフィス家の生き残りだということだが」
「コインを所有していたらしいですよ。本当に末裔なのか、その辺で拾ったわけじゃないんでしょうかね」
嫌味っぽい一部の貴族が会話しているのも聞こえたが、聞こえない振りをした。
ゼデキヤ王がラックをグリフィスの者と認めた理由はコインの所有だけではないのだが、そんなことをここで言っても仕方がないだろう。
絵画のようにぴったりと寄り添ったグリモワール国皇太子と新しいレメゲトンの姿を見ていられなくなって、風のあたる中庭へと逃げた。
主賓の到着でホールに人が集まり、庭はほぼ閑散としていた。
給仕が配るワインを手に取り、一人風に当たっていると懐かしい声がした。
「やあ、レメゲトン。何故そんなところで一人なんだ? お前ほどの美男子なら女性から引く手数多だろう?」
国で王に次ぐ位のレメゲトンに対しこんな口を利く者は非常に少ない。
顔を上げると案の定懐かしい騎士団長の姿があった。
「フォルス騎士団長。お久しぶりです」
炎妖玉騎士団長フォルス=L=バーディア卿は深紅の騎士装束に身を包んでいた。
陽に透けると濃い緑だとわかる漆黒に近い短髪、それと合わせた様に濃い緑の瞳……3年ぶりに見る上司の姿だった。
腕は全く衰えていないだろう、丸太のような腕も逞しい胸板も全く変わっていなかった。
「全く、ほとんど連絡もよこさず何をやっているんだ。隊のみんなも心配していたぞ。特にルーパスなんぞ後を追わん勢いだった」
「申し訳ありません、団長」
「いや、無事で何よりだ。一度顔を出してくれ……と言っても、そのうち嫌でも合流せねばならんかもしれんが」
セフィロトとの国境を守るのが炎妖玉騎士団だ。
敵国の動きに最も敏感だろう。
「最近セフィロトの動きが怪しい。今回王都に来たのもゼデキヤ王との謁見もかねているのだ」
「やはり……」
戦になるのは時間の問題かもしれない。それはすなわち自分がレメゲトンとして騎士団と合流する日も近いということと同義だ。
そうなれば自分は国境に赴く。その時はねえさんも一緒だろう。
では、あのガキは……?
親しくない者には無表情としか映らない顔を見て、騎士団長は声を潜めた。
「どうした。悩みか? まだレメゲトンは嫌だとごねているんじゃないだろうな?」
確かにレメゲトンになる時真っ先に相談したのはフォルス騎士団長だった。騎士団を離れたくない、騎士を辞めたくないと散々我侭を言った自分を諭したのはこの人だった。
「いえ、もう大丈夫です。守りたい人が……できましたから」
ぽつりとそう言うと、騎士団長は深緑の眼を大きく見開いた。
「そうか! そうだったか!」
なんとも嬉しそうに背中をバンバンと叩いてきた。
身長は自分の方がいくらか上だが、丸太のような腕は見た目どおりの力を持っている。衝撃に思わずむせそうになったのを何とかこらえた。
「んで、相手は誰だ?」
にんまりと笑う騎士団長に情報を漏らせば、次の日には騎士団全員の知るところとなるのは周知の事実だった。
とても言うわけにはいかない。
じっと口を噤んだ。
「何だ、お前の上司のあの別嬪さんか? ファウスト家の長女の」
「……」
「違うのか? じゃあ実のお姉さんか。ダイアナさんと言ったな。彼女も美人だ」
「何故そうなるんです。第一、姉はもう結婚しているでしょう?!」
「そういや一年ほど前にクラウドと祝言を上げたな。贈り物を選ぶのに手間取った覚えがある」
この人は相変わらず適当だ。
呆れると同時にすこしほっとした。
「誰なんだ? 白状しろ!」
フォルス団長が両手を目の前に掲げる。
言わなければ腕ずくで、という暗黙のサインだ。
炎妖玉騎士団の基地ならともかくこんなパーティ会場で暴れるわけにはいかない。中庭の人は少ないとはいえみな上流の貴族ばかりだ。
「やめてください団長。ここはカーバンクルではないのですよ?」
「構わん」
その言葉に血の気が引く。
この人なら本当にやりかねない!
本気で組み合ってすぐ取り押さえるか言葉で何とか宥めるかと迷っていると団長の後ろからテノールの響きが助けてくれた。
「バーディア卿、私の大切な義弟を苛めないでくださるか?」




