SECT.5 王ノ勅命
次の日、馬を一頭借りて王都を目指した。
王都までは早足で3日、馬車でのんびりいくと5日はかかる距離にある。
急ぐ必要はなかったのだが、少女のいる街から離れて頭を冷やしたくてちょうど3日で王都に到着した。
王都ユダ・イスコキュートスは王の住むジュデッカ城を中心にした同心円の都市だ。一層目は貴族の住むプルガトリオ外郭が囲む敷地、二層目は一般市民が住む城下町だ。最外郭をインフェルノ外郭が取り巻いている。
今回は半年振りの帰郷だった。
迎えは期待していなかったが、王都ユダと外を隔離するインフェルノ・ゲートで家の者が待っていた。
「お帰りなさいませ、ぼっちゃま」
「もうその呼び方はよせ、クリス」
執事兼自分の世話係を勤めるクリストファー=マーロウ。今年60歳になる老父だが、背筋はしゃんとしていて口元のひげが白いのを除けばとてもそうは見えない有能な執事だ。
「ゼデキヤ王からジュデッカ城への参礼を言付かっております」
「わかった。すぐ行く」
久しぶりの実家だった。
父親は王家に仕えるクロウリー公爵、母は先代ヨヤキン王の叔母にあたる。建国以来ずっと繁栄を支えてきた名実共にグリモワール王家の重臣である。
ちなみに上官であるのねえさん――メフィア=R=ファウストは、伯爵の位とレメゲトンの地位を持つ自分たちのリーダーだ。それも、彼女の母はゼデキヤ王の妹に当たる。少なからず血縁のある相手、それも共にグリモワール王国の重臣の家系ということで幼い頃から顔を合わせる機会も多く、特に自分もレメゲトンになってからはかなり深い付き合いになっている。
自分はもともと15歳のときに騎士の地位はもらっている。所属する炎妖玉騎士団では5年で部隊長まで上り詰めた。
その生活はコインを継承した時に一変した。
20歳の誕生日にマルコシアスのコインを父から受け継いだのだった。
3ヶ月かかってマルコシアスと契約を結んだ。それはクロウリー家始まって以来の長期戦だったらしい。
父も母も自分を諦め見限っていたが、それは予想できない事ではなかった。もともと自分にあまり興味のない両親だ。最初から愛想もよく母に似た美貌を受け継いだ姉だけが彼らの興味を惹くところなのだから……学問に限りをつけ騎士という身分を求めた自分にその干渉が及ぶことはまずない。
それが終わったと思ったらすぐに王の勅命を受けてロストコインの回収にグリモワール王国中を駆け回った。忙しい合間に王都へ戻り、第43番目の悪魔サブノックとも契約した。二回目はそうかからなかった。わずか3日ほどで戻った自分を迎える者はいなかったが、その結果にゼデキヤ王からは栄誉を与えられ、父や母は珍しく手放しで喜んだ。
家の者と顔を合わせたくないわけではない。だが、実の家族よりねえさんや同じレメゲトンのくそじじぃのほうがよっぽど身近なのは確かだった。
実家に戻ってすぐ正装に身を包むと、王の待つジュデッカ城に向かった。
何度来てもこの大きな城には慣れることができない。床のやけに柔らかい絨毯も高すぎる天井もどうにも落ち着かない。
常にゼデキヤ王が公務をこなしている東の角部屋にまっすぐ向かった。
普段謁見の間は使われていない。堅苦しいことを好まないゼデキヤ王が、無駄に長い挨拶や通過儀礼のような儀式を省くために廃止した。
今では多くの場合が公務――主に書類整理だが――を行う小さな部屋で謁見が行われる。
もっともその部屋の警護は堅固なものだが。
「アレイスター=クロウリー、参りました」
「うむ。早かったな」
書類の山の隙間からゼデキヤ王がひょこりと顔を出した。
自分の父と同じくらいの年齢だが、どうもこの王には茶目っ気というものが備わっているようだ。
「ファウスト女伯爵の書簡を拝謁した……グラシャ・ラボラスのコインが見つかったのだな?」
「はい。この目で確認しました」
「そうか」
ゼデキヤ王は少しの間だけ眉を寄せた。
「ファウスト女伯爵の願いもあるのだが、そのグリフィス家の末裔と思われる少女をレメゲトンに任命しようと思うのだ」
「レメゲトンに……ですか?」
それはあのねえさんが最も望まないことになるのでは。
その空気を察したのか、ゼデキヤ王は軽く笑った。
「そんな怖い顔をするな、クロウリー伯爵。むろんファウスト女公爵も共に王都に戻ってもらう」
「それは……」
「クロウリー伯爵、そなたもアリギエリ女爵もメイザース侯爵もすぐに戻ってもらおうと思っている」
「?」
いぶかしげな表情を浮かべると、国王は真剣な顔つきに戻った。
「戦が……始まるやも知れんのだ」
「!」
思わず大きく目を見開いた。
隣国セフィロトとの関係はそれほど悪化していたのか!
通りでセフィロト王国の天文学者であるセフィラが国内に姿を見せるはずだ。
「セフィラが現れたことも聞いておる。まだセフィロトから直接的な動きはないが、事態は一刻を争うようだ」
「御意」
深く礼をして賛同の意を示す。
「ファウスト女伯爵の見解からすると、6人目のレメゲトンはかなりの力を持つらしい。グラシャ・ラボラスの力を使わずともかなりの戦力となろう。未だ持ち主のつかぬコインはまだ残っている」
その台詞でどきりとした。
あの少女がレメゲトンになるということは契約の儀式を通過せねばならないということだ。命が危険にさらされるあの儀式に……
「グリフィスの末裔は未だ少女です。今はセフィラから受けた傷が元で床に伏しております」
「無論すぐにとは言わぬ。だが、なるべく早く戻ってきて欲しい。その意をファウスト女伯爵に」
「はっ!」
短く返事をして部屋を後にした。
基本的にレメゲトンへの指令は口頭だ。それだけ王が信頼していると共に、密命もかなり多いということだ。
もう一度あの街に戻らねばならない。あの少女に会わねばならない。
嬉しいと同時にひどく怖かった。