SECT.31 見ツメル先
次の日もジュデッカ城に参上し王に謁見を求めた。
非常に忙しかったようで、数時間ほどお待ちください、と言われた。
仕方がないので広大な城の庭園を見て回ることにした。
ついこの間まで一面に咲き乱れていたヤマブキの姿は消え、代わりに青々とした葉が一面に広がっていた。もう夏の気配がすぐそこまで来ている。
緑の中に燦然と輝く赤を見つけて近寄ってみると、名も知らぬ花が咲いていた。
大きく広げた花弁は秘めた情熱のように深紅に輝き、何枚も折り重なるように湧き出ている。
「ダリア、というそうですよ。ご存知でしたらすみません」
突然の声にはっと振り向くと、朗らかに微笑むねえさんの姿があった。
「……ミュレク殿下」
皇太子のサン=ミュレク=グリモワール殿下がその場に佇んでいた。
さっとその場に跪いて頭をたれると、殿下は困ったように言った。
「やめてください、クロウリー伯爵」
「ですが」
「僕には父上のように人の上に立つ事は似合いません」
「いえ、聡明さと信念を持ったお人柄については聞き及んでおります。ゼデキヤ王も優秀なご子息を持ってさぞかし安心されていることでしょう」
「噂だけです。僕は未熟者ですから」
殿下はねえさんと同じ猫の眼に穏やかな光を灯していた。
同じ顔でもずいぶん表情が違うものだ。
妙なことに感心してしまう。
いつまでも見上げているのは失礼にあたる。ダリアという花から視線を外して立ち上がると、ミュレク殿下はにこりと微笑んだ。
「2日後のパーティにはいらしていただけるんでしょう?」
「はい。僭越ながら出席させていただきます」
「ありがとう」
そこで殿下はいったん口をつぐんだ。
何かを迷っているように見えた。
「少しだけ質問してもいいですか?」
「何なりと」
おずおずと口を開いた殿下は全く予想もしていなかった質問をした。
「ミス・グリフィスの事です。どうですか、あなたの目から見て彼女の能力は」
ミス・グリフィス?あのくそガキ?何故そんな質問を?
一瞬迷ったが、思ったとおりのことを答えた。
「グリフィス家の末裔と呼ばれる理由は流れる血だけではありません。コインに対する耐性、悪魔との親和性、優れた五感と運動能力……どれをとっても国家天文学者レメゲトンとして申し分ないでしょう。今はまだ経験が浅い面が目立ちますが、これからの訓練次第では史上に残る働きを残すはずです」
王にガキの教育係を申し付けられ、今回の旅では様々なことを教え込んできたつもりだ。グリフィス家の末裔はそれを全て吸収し、期待以上のものを手にした。
そのことを今日ゼデキヤ王に報告するつもりだった。
「そうですか」
お気に召す報告だと思ったのだが、ミュレク殿下はそれを聞いて暗い顔になった。
あのガキは国家に貢献する能力を秘めている。それは喜ばしいことだと思うのだが、殿下の表情は重かった。
その苦悶の表情のまま殿下はぽつりと呟くように訊ねた。
「あなた自身はミス・グリフィスの事をどう思ってらっしゃるのですか?」
質問の意味がわからず眉を寄せると、どうやらそれが不機嫌な顔に見えたらしい。
殿下は慌てて弁解した。
「あの、ご気分を害されたのなら謝ります」
「いえ、そうではないのですが……」
どう言ったらいいだろうか。
皇太子相手にあいつは鳥頭だの阿呆だのと言うわけにはいかない。頭が足りない……と言うのも少し憚られる。精神年齢が低い?それもどうかと思う。
非常に困り果てていると、殿下はぽつりと言った。
「彼女はとても優しい心の持ち主です。傍にいると温かい気持ちになれる、愛らしい人だと思うのです」
その言葉にどきりとした。
「しかしフラウロスとアガレスのコインを持つ彼女は戦線に立つレメゲトンになる。あの優しい心で敵と戦うことになる」
殿下の灰色の瞳が真直ぐこちらに向けられた。
「本当にそれでいいと思いますか? 心優しい彼女にそれができると?」
ああ、そうか。
唐突に理解した。
きっと殿下もあのくそガキの心に惹かれたのだ。人を思いできる限り救おうとする見返りを求めないあの心に。
自分と同じなのだ。
そう気づいて心のどこかがちくりと痛んだ。
「同じように戦線に立つあなたを侮辱するつもりではありません。でも、彼女はあなたと違って女性です。わざわざそんな危険な場所に向かうなど、僕は……耐えられません」
大きな感情が胸の内でぐるぐる渦巻いて言葉が出なかった。
殿下があのガキのことを想っている。その衝撃とともにミュレク殿下の顔を見て頬を染めたガキの姿を思い出す。
もしかすると、あのガキも……
「できることなら彼女を王都に留めておきたい。これは僕の我侭かもしれないけれど、我侭でもいいから彼女を守りたい」
心臓の音がすぐ近くで聞こえた。
「クロウリー伯爵もそう思いませんか?」
最後の問いには返答できなかった。
ガキを戦地から遠ざけ安全な場所に匿おうなど、これまで考えたこともなかったからだ。
あいつは戦場に身を置き、常に前を目指すと思っていたから。あの果てしない向上心と内に秘めた類稀な才能を自らの力に変えていくと思っていたから――
「明後日には彼女に訊ねてみようと思います。グリフィスの名があれば政治で重要な地位につくこともそう難しくない。危険を犯すことなどないのです」
「……きっと殿下のお心は彼女に届くでしょう」
かろうじて口から出た言葉は微かに震えていたかもしれない。
殿下はひどく複雑そうな顔をした。
「クロウリー伯爵、ですが、あなたも」
続く言葉は分かっていたが、少し視線を落とすことで殿下には通じたようだ。
それ以上言葉を紡ぐことなく皇太子はダリアの花の向こうに消えた。
ミュレク殿下の言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。
レメゲトン以外の職に?あいつが?
ねえさんと共にあることがあいつのすべてだったから、当時は選択肢がなかった。レメゲトンになれば自動的に爵位をいただけるし、何よりロストコインを探す育て親のねえさんと共にいられる。
だが、戦争を目前にして事態は大きく変わっていた。
ロストコイン捜索を中断し、戦に向けた軍備強化が始まろうとしている。
レメゲトンになったガキがその中に組み込まれるのは時間の問題だった。
ずっと王都に残留するのが安全なことは分かっていた。
「クロウリー伯爵、聞いているかね?」
ゼデキヤ王の声にはっとする。
「申し訳ありません!」
謁見の最中だというのに上の空だった自分を恥じた。
「何か考え事でも?」
「いえ、陛下のお耳に入れるようなことではありません」
「ラックのことではないのか?」
「!」
驚いて目を見開くと、ゼデキヤ王は髭を揺らして困ったように笑った。
「我が息子が先日相談に来たところだ。そなたのことも聞いていったよ」
「私のことをですか?」
何故?
「自分で思う以上にラックはそなたに頼っているよ。傍から見ていても分かるくらいにはね。育て親のファウスト女伯爵は別としても、そなたは彼女の世界の大部分を担っているはずだ。不肖の息子はそれが気になってしょうがないようだよ。もう18……次は19にもなるというのに仕方のない奴だ」
「いえ、そんな事はありません」
むしろあいつはミュレク殿下に惹かれている。
一度しか見ていないが、特別な態度を示すことは一目で分かった。
「まだ先の話だが――おそらくラックはこの国になくてはならない存在になる。グリモワール王国の重鎮グリフィス家の子孫、それもあの容姿だ。有力な貴族は決して彼女を放っておかないだろう」
「はい、そう思います」
マルコシアスは最初からそう言っていた。自分もそう思った。
おそらく明後日に行われるお披露目で貴族たちの目の色が変わることになるだろうという予想も容易だった。
それは王家にとっても同じこと。
「これは私の勝手な考えだが、彼女を王家に迎え入れる事も視野に入れている」
もちろんこれまであのくそガキの将来など考えたこともなかった。
とにかく今が必死で、次から次に襲ってくる困難を乗り越えることに全エネルギーを注いでいた。
が、ふと立ち止まって考えてみればあと2・3年もすればあいつもそんな年齢になる。その時、自分は一体どうするのだろう……?
「もちろん、彼女がそう望めばの話だが」
どこか含みのある言い方でゼデキヤ王は締めくくった。
心の中にぐるぐると渦巻く感情を残したまま。




