SECT.30 帰還
来た時とは正反対ののんびりした旅を経て王都に到着した。
出発する時には振り返らなかった王都ユダは、変わらぬ姿で自分たちを出迎えてくれた。
郷愁に浸る間もなくすぐにゼデキヤ王に今回の事を報告に向かう。王は今日も執務室で忙しそうに働いていた。
書類の山から見え隠れするゼデキヤ王を相手に、とても不本意だったがガキと交互にセフィラとの戦闘やグリフィス家の屋敷について報告を行った。
報告を終えると、王は唇を強くひき結んだ。
「今回もセフィラが絡んできたか……ネブカドネツァル王は本気だな。グリフィス家の隠れ里も一度捜査せねばなるまい。たとえセフィラが資料を奪っても、何かしら情報が残っているはずだ」
するとねえさんが名乗り出た。
「それには私が参ります、ゼデキヤ王」
「ねえちゃん?」
「どうしても確かめたい事があります」
今は平気そうに見えるが体の血を死の直前まで失くしたのだ。体の調子がいいとは言えないだろうに、ねえさんは強い決意でゼデキヤ王に託した。
王はその瞳に帝王の輝きを灯しながら承諾した。
「ふむ……いいだろう。10日もあれば往復できるな?」
「はい。ありがとうございます」
ねえさんは深々と頭を下げた。
ガキの中の悪魔の事は王に進言しないつもりらしい。当事者であるくそガキ本人にもいうつもりはないのだろうか?
いや、これは不確定要素だ。
無闇に口にして動揺を誘うこともあるまい。
ゼデキヤ王は苦笑しながら続けた。
「ただ、すまぬがあと3日ほど王都に滞在してくれぬか? 3日後に息子の誕生会を開くのだが、そこで新しいレメゲトンのお披露目も兼ねようと思っておるのだ」
そうか、もうそんな時期か。昨年のこの時期にも遠く南の都からはるばる戻って誕生パーティに参加した記憶がある。
この時勢に、とも思うがこの時期であるからこそ無理を押して行うのだろう。
ガキのお披露目は、レメゲトンが一人増えた、つまり戦力が増強したと隣国へ釘を刺すいい機会になる。また、貴族たちに対して安心感を与えることにも繋がるからだ。
「後見人のファウスト女伯爵にはぜひ出席して欲しい。こんな時勢にパーティなど本当は開いている場合ではないのだが……」
王の言葉の途中だったが、突然執務室の扉が開いた。
「ゼデキヤ王、クトゥルフ国大使との謁見のことなのですが」
灰色の猫目と肩までのストレートブロンド――グリモワール国皇太子のサン=ミュレク=グリモワール殿下だった。ねえさんによく似た猫目の美人で女性に間違われがちだが、芯は強く頭の回転も速い期待された跡継ぎだ。
顔を合わせるのは昨年の誕生パーティ以来だろう。従兄弟にあたるねえさんとはこまめに連絡を取っていたようだが、血の繋がりも遠く年も離れた自分とはあまり個人的な接点がなかった。
ミュレク殿下は来客に気づき、すぐ頭を下げた。
「失礼しました、謁見中でしたか」
「サン!」
途端にガキの表情がぱっと明るくなる。
それにつられるように殿下も微笑んだ。
「ラック、無事に帰ってきたんだね!」
その親しげな言葉に少しどきりとした。
一体いつこのくそガキは殿下と接点を持ったのだ?しかも呼び捨てとは、何という無礼な奴だ。
殿下はねえさんに視線を移し、嬉しそうに微笑んだ。
「ファウスト女侯爵もご無事で何よりです」
「ご心配をおかけしました、殿下」
「貴方が無事に戻ってこられる事が何より大切です」
性別以外は慎重も顔の造形もよく似た二人だ。対になるよう作られた人形のようだった。
それでも性格の違いか、表情は全く違う。
「3日後のお前の誕生パーティでは新しいレメゲトンのお披露目も兼ねることになった」
「そうですか。楽しみです」
ミュレク殿下はねえさんが決して見せないであろう柔らかな微笑を湛えた。
それを見たガキが目を見張るのを隣で見ていた。微かに頬も色づいた気がする。
初めて見るその表情に胸のうちがざわめいた。ねえさんに対するものとは違う嫉妬の心がぐるぐると渦を巻き始めた。
執務室を出た瞬間にねえさんが嬉しそうに言った。
「ライバル出現かしら? 面白いことになってきたわね。相手はラックと同じ年代のしかも王子様なんて手ごわいわよ、アレイ?」
「何がだ」
やはりねえさんには気づかれてしまったようだ。思わず顔が引きつった。
本人はきょとんとした顔でそれを見つめている。
「いいのよ、ラック。あなたはあなたの好きなようにしなさい」
ねえさんは楽しそうに笑って黒髪を撫でた。
ガキはその微笑を嬉しそうに見上げて、心から満足した表情になる。
とにかくこの話題から離れなくてはいけない。
「ガキの服はどうするんだ。今度はヨハンの服を借りるわけにもいかないだろう」
「大丈夫、ラックの正装はすでに発注してあるわ。もう少し掛かりそうだけれど、急いでもらいましょう」
「正装って、ねえちゃんが着てたやつ? もしかしてずっと前に採寸したあれ?」
「そうよ」
ねえさんが言うと、ガキはいやそうな顔になった。
「また踵の高い靴を履くのかあ……」
「あら、ラック用にそんな靴あったかしら?」
「ダイアナさんがくれたんだよ」
ねえさんが消える直前、フォーチュン家を訪問したときのことだ。
そうだ、忘れていた。姉上と義兄上のところにも顔を出さねばならない。おそらくかなり心配をかけてしまっただろうから。
ねえさんたちと別れてすぐ、フォーチュン家を目指した。
屋敷の玄関で出迎えた姉上は言葉より先に抱きついた。
「あ、姉上っ」
「よかった、無事に帰ってきて」
「よしてください、貴族の女性がそのような」
「いいじゃないか。それほど心配して待っていたんだよ」
首筋に手を回して離れない姉とそれをにこやかに見守る義兄上に言葉を失くした。
義兄は緑翠を穏やかに細めてやさしく言った。
「お帰り、アレイ」
「……ただいま戻りました。ご心配をおかけしました」
「無事で何よりだ」
どうしてこれまでこの世界の人間が自分から遠いと思い込んでいたのだろう。
そんなことは全くないのに。あの優しい街の空気のように、帰ってきた自分を温かく包み込んでくれる人たちがいるというのに。
自分はこれまでいったいこの人たちの何を見ていたんだろう。
「もうすぐ夕食だ。食べていくといい」
「それなら今日は私が作るわ!」
姉上がぱっと顔を上げた。
貴族の娘には珍しく、自分で料理を作るのが趣味の姉上だ。その腕前はシェフの折り紙つきだった。
「昨日、蒼水星騎士団長のギルド卿から届いた北方の魚介があるのよ。せっかくだからいただきましょう」
「それは楽しみだね」
義兄上の翡翠と姉上の紫水晶が交差した。
互いが互いを思う心がにじみ出ていて思わず微笑んだ。
「ああ、そうだ、ミュレク殿下がラックの話をしていたよ。とても可愛らしいレメゲトンだ、とね」
「とてもお気に入りの様子だったわよ。どうするの、アレイ?」
またその話題か!
この二人の情報網は一体どこにあるんだ?!
先ほどまでの温かな気持ちは消えうせて、顔が引きつるのを止められなかった。




