SECT.28 傍ニイル
夜が明ける前に何とか二人をカトランジェの街まで運び、朝一番に医者に診てもらった。
ねえさんは両手首の切り傷と極度の貧血、ガキは腕に軽い火傷を負っているだけだった。二人とも今すぐ命に関わる怪我ではなかった。
特にガキは、その日の夕方には目を覚ました。
微かにうめき声を上げて漆黒の瞳を開く。
「起きたか」
ほっと息をつくとガキは半分しか開いてない瞼で辺りを見回した。
「アレイさん……ここは?」
「ねえさんの店の奥だ」
ベッドに起き上がろうとしたガキは一瞬動きを止めた。
そして自分の両腕をしげしげと見つめている。その腕は赤く腫れあがっていて、動くと痛みが走るはずだ。
さすがに服を変えることは出来なかったが篭手だけははずしてあった。
左手の甲に埋め込まれたグラシャ・ラボラスのコインに目を移し、すこし眉をひそめた。
「アレイさん、篭手は?」
「ここだ」
フラウロスの熱で焼け焦げた篭手を手渡した。同時に、裏に縫い付けられていた羽根も。
「フラウロスに直接触れるなど自殺行為だ……マルコシアスの加護に守られたな。」
「あっ、あの時の……」
初めての稽古の時マルコシアスがガキに渡した純白の羽根だった。
今では見る影もなく真っ黒に焦げてしまったそれは、どう考えても灼熱の獣の熱からガキを守ってくれたとしか思えなかった。
ガキはその黒く変色した羽根を大事そうに両手で包み込んで呟いた。
「ありがとう、マルコシアスさん」
しばらくそうして目を閉じると、やがて漆黒の瞳をこちらに向けた。
「マルコシアスさんにお礼が言いたいんだけど、呼び出してくれないかな」
「いいだろう」
名を呼ぶと褐色の肌の戦士はすぐに姿を現した。
「無事で何よりだ 幼き娘」
「ありがとう、マルコシアスさんのお陰だよ。この羽根がおれを守ってくれたんだ」
「それは我が加護の一部 主を守るよう働く だがフラウロスの炎は 防げぬようだな」
マルコシアスはそう言うと悲しげな瞳でガキの頬に手を伸ばした。
赤くなっている頬は触れられて微かに痛んだようでガキは少し顔をしかめた。
「こうなるのが分かってたの?」
「お主の性格上 命の危機があると思った」
「だろうな。考えなしの無鉄砲だからな。これからもきっと何回も……」
言いかけて口を噤んだ。
そんな事望んでいないのだ。口に出してしまったら本当にそうなりそうでいやだった。もちろん口に出さなくてもそうなってしまうのは分かっているのだが。
「心配事が尽きぬな」
マルコシアスは優しげに微笑んだ。まるで子を見る父のような表情だった。
そしてどこからか羽根を一枚取り出した。
「これは クローセルからだ」
「クローセルさん?」
「水を使うクローセルの加護があれば フラウロスの炎も遮断できるだろう」
「クローセルさんがおれにくれたの?」
「持っているといい きっと役に立つ」
「わかった。今度お礼言っておくね!」
「我の加護も 与えよう」
褐色の肌の剣士は自らの翼から一枚の羽根を抜き取ってガキに手渡した。
「ありがとう。大事にするよ」
マルコシアスに次いでクローセルまでこのガキを甘やかし始めた。
コインがアガレスとフラウロス、それとグラシャ・ラボラス。さらにクローセルとマルコシアスの羽根――この時点ですでにガキはねえさんと並ぶ5人の悪魔の印を手に入れたことになる。
まったく、末恐ろしいガキだ。
「出来れば使わないでいて貰いたいな」
それはすなわち危険な目に遭うということだから。
するとガキは少し上目遣いに覗き込んできた。
「アレイさん、もしかしておれのこと心配してくれてたの?」
「……してない」
これは嘘だ。
「そうなの?」
「お前は心配して欲しいのか? 毎回毎回死にそうな目にあうんだ、心配していたらこっちの身が持たん」
「おれだって好きで危険な目にあってるわけじゃないよ!」
「少しは努力しろ」
このガキの中にはまだまだたくさんの才能が眠っている。
それは楽しみでもあり怖くもあったが、道を指し示してやり、支えてやることでこいつはどこまでいけるのか知りたいという好奇心が一番強かった。
とどまることを知らず成長するグリフィス家の末裔はぷくっと頬を膨らました。
「アレイさんのいじわるー!」
「好きに言え」
いつものやり取りに少しほっとした。
ねえさんを救出した。これで今回の任務は終了だ。
さらに東方に足を伸ばしているアリギエリ女爵と合流し、王都まで戻らねばならない。
だが今は少しだけこの日常をかみ締めたかった。
こんな風にガキの隣にいる事が出来るのもいつものように言い合えるのもきっと当たり前のことではないから。
それこそとても『幸福』なことなのだ。
数日後には回復したねえさんにガキはべったりと張り付いていた。
安否が確認できなかった時間を取り戻すかのようにベッドの横に頬杖をついて頭を撫でてもらっては喜んでいた。
火傷はまだ痛むはずだが、そんなそぶりをねえさんの前で見せることはしなかった。
相変わらず……いや、みなまで言うのはやめておこう。
「聞いて、あのね、フラウロスさんと契約したんだよ。それから、アガレスさんの加護があると『千里眼』っていうのが使えるようになったの。まだうまく使えないけどね」
「千里眼ですって?」
ねえさんは素っ頓狂な声を上げた。
自分もまさにそう言いたい。
「信じがたいことに本当だ」
「すごいじゃない!」
ねえさんがえらいわ、と褒めるようにガキの頭を撫でてやると、ガキは相好を崩した。
その顔はとても18歳の少女がするものではない。
「阿呆面で笑いやがって」
「それからおれが住んでたかもしれないお屋敷があって、おれの本当の名前も分かったかもしれないんだ」
「どういうこと?」
ねえさんの疑問に、ここ数日のセフィラとの交戦の様子も兼ねて答えることにした。
「グレイシャー=L=グリフィス……それがあなたの本当の名前なのね」
「そうかもしれない。でも、おれはラックだよ。3年前にねえちゃんが拾ってくれて、名前をつけてくれた日からずっと。」
そう言うとガキは何かを思い出すようにして微笑んだ。
「おれはレメゲトンのラック=グリフィスだ。言葉にしたらすごくはっきりした。もう探索者のラックじゃないんだって思ったよ」
言葉を少しずつ選ぶように、ゆっくりとガキは心境を口にする。
「ゲブラとネツァクが街の中に現れたときにね、ヒトを守りたいって思ったんだ。街を壊されたくないって思ったんだ。もしそんなことをしようとする奴がいたら……やっつけてやるって。おれはきっとこの世界が好きなんだ。だから傷つけて欲しくない」
そうか、あの時――ガキの中では大きく変わっていたんだ。
だからあの後飛躍的に能力が向上したわけだ。手品師と互角に渡り合ったのは相手が手加減してくれたことだけが理由ではないのかもしれない。
真直ぐな瞳で自分とねえさんを交互に見つめながらガキは言葉を紡いだ。
「きっとレメゲトンってそういう職業なんだよね。大切なヒトを守らなくちゃいけないんだ。みんなが幸せに暮らせるように。おれはそのお手伝いをしたいよ」
その言葉にどきりとした。
偶然か必然か、自分がレメゲトンになる時に心の中で繰り返した台詞だった。
「おれ立派なレメゲトンになるよ。もっといろんな事勉強して、もっと強くなって国の人たちを守っていきたいよ。だから、いろんな事教えて欲しい。大切なものを……守れるように」
漆黒の瞳と金の瞳がクロスした。
「『探索者』のラックはもういないよ。おれはラック=グリフィス。グリモワール王国のレメゲトンだ」
最後にもう一度そう宣言して、ガキはにこりと微笑んだ。
言葉を失った。
ねえさんがいなくなって、二人のセフィラと戦闘して、過去が眠る屋敷に足を踏み入れた――この数日で経験したことはガキの中でとてつもなく大きな実りになったようだ。
ゼデキヤ王に心の中で報告する。
あなたの考えは正しかったようです。こいつはちゃんと経験を積んで、それを生かす力を持っていた。賭けはあなたの一人勝ちですね。
「大きくなったわね、ラック」
感動したように目を潤ませるねえさんの気持ちを少しばかり理解してしまった。
これからも自分はこうやってこのくそガキの成長を見守っていくんだろう。
それはそれでいいかもしれない。
この胸を裂くような気持ちに振り回されるよりは、傍でずっと見守っていく方がいい。相手からも想われることがなくとも、ただ、傍にいよう。
今までにない温かな気持ちで未来を見つめる事が出来た。
少しずつ変化しているのはガキだけではないのだ。




