SECT.26 フラッシュバック
道は進むにつれてだんだん広くなっていった。馬車一台くらいなら何とか通れそうなほどの幅を持つ砂利道に変化していた。
「本当にこの先は何かの隠れ里らしいな。だが轍の具合から見てもすでに何年か使われていないだろう。捨てられた里と見て間違いない」
その道をまたしばらく行くと、この深い森に包まれた山と隠してある道に全く似つかわしくない立派な建造物が目の前に忽然と現れた。
「これが隠れ里……?」
これではまるで貴族の住む屋敷だ。
不自然すぎる。
驚きと不信で立ち止まっていると、背中にいたガキが震えるような声を出した。
「アレイさん……止まって。降りるよ」
「どうした?」
下ろしてやると、森の中に現れた屋敷から目を背けるようにじっと俯いた。
どうも様子がおかしい。
ガキは肩を震わせながら、さらに勇気を振り絞るようにして震えるような声を絞り出した。
「わかんないけど……あのお屋敷が怖いんだ」
体全体が小刻みに震えている。寒いわけでないのは一目瞭然だった。
屋敷から逃げるようにして背中に張り付いてきた。マントを強く握り締めている。震えが伝わってきて、必死に恐怖と戦っているのが分かった。
なぜかは分からないが、あの屋敷そのものがこのガキに恐怖を与えているようだった。
「ここで待っていろ。ねえさんを連れてすぐ戻る。」
ガキの過去に関係があるのだろうか。
そういえば、ねえさんが3年前このくそガキを拾ったのはラッセル山中だ。
まさかあの屋敷は――
足を踏み出そうとすると、マントを引っ張られて進めなかった。
振り向くとガキはマントの端を掴んで離さなかった。俯いたまま、恐怖に震えながらそれでも必死にそこに立っていた。
そんな風に無茶をする姿など見たくない。
「行くか行かないかすぐに決めろ。これ以上ねえさんをほうっておくわけにいかない」
それでもあの場所にねえさんがいると思われる以上行かなければならない。
冷たい言葉だったが『待っている』と言う返答を期待した……淡い期待だが。
「行……く」
必死に絞り出した声はひどく弱々しかった。
「無理するな。駄目だと思ったらすぐに言うんだ」
こんな時に全く力になれない自分が悔しい。その苦しみを代わってやれたらいいのに。何か優しい言葉でもかけてやれたらいいのに。
それでも自分に出来ることは何もないから、ただ行く道を示してやる。
強くなりたいなら手助けしてやる。迷ったときは選択肢を減らしてやる。叶えたい願いがあるならそれを叶えられるよう尽力しよう。自分に出来るのはそのくらいしかないから。
自分はきっとこの台詞をこれから何度も繰り返すだろう。
そして、このくそガキの傍にい続けることを誓うのだ。
屋敷の壁は前面漆黒に塗り固められていて、年月を感じさせる蔦が一面に這っていた。割れている窓がほとんどで壁に崩れている部分もある。
何年も人の手が入っていないことは明らかだった。
もし本当にガキの過去に関連していたとするなら、いったいここは何故捨てられたのか?ガキが大怪我を負って行き倒れていたことと何か関係があるのか・・・?
ガキが後ろについてきていることを確認してから扉に手を掛けた。
「がっしゃーん!」
すさまじい音がして扉は向こう側に倒れていった。
ひどい腐食だ。
「入るぞ」
「うん」
一歩屋敷内に足を踏み入れた。
その途端、ガキの悲鳴が廃屋の静寂に響き渡った。
「うあああああ!!」
「?!」
漆黒の瞳を大きく見開いて目の前の何かに怯えている。
もちろんその空間には何もない。
「おい、くそガキ!」
ガキはがくりと膝をついて震えるように自らの両手を見た。
そして激しい頭痛をこらえるように両手で頭を押さえて床に這いつくばった。
「助けて……!」
震えるような声で思い出す。
これは以前にもあった。ということは……
「ラック!」
跪いて両肩に手を置き、鋭く名を叫んだ。
少しずつ漆黒の瞳に光が戻ってきた。
やはりそうだ。過去のフラッシュバックに支配されていたんだ。
ガキが時々過去の光景を白昼夢で見ることは、以前ねえさんから聞いていた。それにはいくつかキーとなる光景があるらしい。血の匂いや暗闇、銀髪は最も強く想起させてしまうらしい。
そのフラッシュバックには激しい痛みと嫌悪感が伴うと言っていた。
「ああ、前にも一度こんなことあったね……」
肩に額を預けるようにして息をつくガキがポツリと呟いた。
そうだ。あの銀髪の双子がミカエルを召還した時だ。あの時もひどく苦しそうな様子で助けを求めていたんだ。
「このお屋敷ね、たぶん知ってる。昔来たことあるよ。もしかしたら、住んでたのかもしれない」
「何だって?!」
過去を思い出したというのか?!
そしてここはやはり王都を追放されたグリフィス家の隠れ屋敷なのか?
「よく分かんない。ぜんぜん覚えてないんだけど、そういう風景が見えたんだ、さっき」
つまり過去へのフラッシュバックでこの屋敷を見たらしい。
ガキは何かを思い出すようにホールの中を見渡した。
天井に立派だったであろうシャンデリアが下がっていて、床はかつての絨毯が切れ端のように存在していた。そして、目の前に伸びる大きな階段が吹き抜けのホールから3階へ伸びている。
何より目を引くのは、ホール全面に貼られた大きな窓。
「……え?」
ガキの呆けたような声がした。
そして次の瞬間にはぱっと飛び上がって駆けて行った。
「ねえちゃん!」
驚いて階段の上を見ると、窓から入る月明かりの逆行で見覚えのある影が見えた。
十字架に両手を広げて括りつけられたねえさんの姿がそこにあった。
一気に階段を駆け上がったガキは十字架に括られたねえさんを降ろそうとした。
が――
「レメゲトン!」
最も聞きたくない声がその場に響いた。
銀髪のセフィラが階段の下に立っていた。




