SECT.24 残サレタ謎
ハルファスの加護とはシンクロ率が全く違う。
体中の細胞が躍動するような感覚と共に加護が全身にいきわたった。
人間にはありえない速さで地をけると、同じようにアガレスの加護を受けているガキもぴったりとついてきた。
耳元を飛び去っていく風の音がうるさい。
「山のどの辺りかわかるの?」
その轟音に逆らうように張り上げた声に、こちらもそれなりの声量で答えてやる。
「おそらく登山道からそう外れてはいない」
「どうして?」
「おそらくねえさんがバシンで移動した先はレグナの住処だからだ」
「え?」
「事件のあった日、レグナの住処から轟音を聞いた者がいる。それは十中八九セフィラとねえさんの戦闘によるものと見ていいだろう。だが、そこにねえさんはいなかった」
それはなぜか。
答えは簡単だ。場所を移動したのだ。今現在ねえさんがセフィラに拘束されていることを考えると本人が移動したとは考えにくい。
「そうなると考えられるのは、セフィラがねえさんをどこかへ運んだということだ。このあたりにまだいたことから考えて、天使の力による移動は行っていないようだ。なぜそうしないのかはまったく分らない」
これは本当に分からないことだった。
何か制約があるのか、それとも何か狙っているのか、もしくは……これが罠だということも考えられる。
「ねえさんを束縛した時点ですぐにセフィロト国へ送ればよかったものをこんなところでぐずぐずと……まあ、こちらにとってはそれが好都合だったわけだが。いずれにせよ、セフィラが物理的にねえさんを移動したことは間違いない」
「だから登山道からそう離れたところには運べない、って言うんだね」
「そうだ」
自分の少し後ろを掛けてくるガキはなるほど、と頷いた。
「先ほどの二人がどういう行動をとるかは分らない。とくにあの細長い方のセフィラ……奴は何かがおかしい。とてもセフィロト国を第一にして動いているとは思えん」
「そうなの?」
「そう思わなかったか? あいつの実力は俺でも勝てないかもしれない……それなのにフラウロスの加護を受けているわけでもないお前がほんの数刻だとしても耐えられると思うか?」
本当にそうだった。
手品師には得体の知れぬ恐ろしさがあった。実力は動きの端々から相当なものだと推測できたが、その行動はまるでこちらに有利に働いているかのようにも見える。
ねえさんを移動していないこと、わざわざこちらの前に姿を現したこと、ガキを相手に本気で戦わなかったこと……数え始めればキリがない。
あのセフィラが本当にセフィロト国を第一にし、忠誠を誓っているのかという大前提が揺らいでいた。
特にネツァクの話、記憶を消すと言う件を聞いたときに強く感じた。
あの手品師は自我を持っているのではないのか?過去を持っているがゆえ国に完全な忠誠を誓っていないのではないだろうか。
思索に耽っていると、ガキが唐突に言い出した。
「男のヒトが好きだって言ってたよ。アレイさんが好みなんだって」
どうにも返事の仕様がなくて黙り込んだ。あいつの視線は何かと気色悪いが、やっぱりそうなのか。というかそんな事知りたくもない。
加護を与えているマルコシアスが失笑する声が聞こえた。
「それとね、天使さんには悪魔さんの片割れがいる事があるって言ってたよ」
「……どういうことだ?」
天使に悪魔の片割れ?何の話だ?
「おれにもよくわかんない。ただ、フラウロスさんはカマエルさんとすごくよく似てて、お互いがお互いを消そうと思ってるみたいだったよ」
そうか、あの手品師はセフィラ第5番目ゲブラ――カマエルを召還する神官なのか。
『すごく似ている』というのは姿形が似ているということだろうか。それとも性格?
ガキの言葉の真意を掴みかねて、師でもあるマルコシアスに訊ねた。
「マルコシアス、何か知っているのですか?」
一瞬の沈黙があった。マルコシアスにはとても珍しいことだが返答を拒んだように思えた。
抑揚のない声が返ってきた。
「耳にした事はある だが我よりアガレスの方がよく知るだろう」
その声の裏には、知っているが話したくない、思い出したくもないという感情が見え隠れしていた。
マルコシアスが悪魔だということを再認識させられる。有無を言わさぬその口調は頑なに真実を拒んでいるようだった。
天使に悪魔の片割れ。この言葉はマルコシアスにとって禁句のようだ。
「ねえ、アガレスさん。知ってる?」
ガキは隣を飛ぶ金目の鷹に問いかけた。
鷹の姿をしたアガレスはしゃがれた声で滔々と語った。
「同じ魂は惹かれあい いつか互いを滅ぼすだろう 一つを別つ元は 光輝にある 古の戦がそもそもの発端 光は世界を二分した 波紋は様々に」
同じ魂は惹かれあう?別つ元は古の戦?光が世界を二分する……?
まったく意味の分からないフレーズだった。
古の戦によって、天使には悪魔の片割れが生じた。その二つは互いに引き合う。そして互いを滅ぼそうとする。
フラウロスとカマエルは同じ魂を持つ天使と悪魔の双子とも言うべき存在なのだろうか。そして二人はお互いを消そうとしているらしい。
それと『光が二分した世界』には何の関係があるんだ?
ガキも訳が分からなくなったようで、うんざりとした顔になった。
「半身を捜せ 滅ぼせばそれが真実だ 幼き娘」
「ありがとう、アガレスさん」
礼を言うガキに、今度からアガレスと頻繁に話せなどとは言わないようにしようと思った。
ひとつの質問への返答がこれでは確かに頭をいくら回転させても持たない。
見るとガキは少し焼けて赤くなった額に手を当ててじっと黙り込んだ。そこは以前ティファレトと相対したときに見たこともない悪魔紋章が浮かび上がった場所だった。
何かを探すように額をなで、しかし見つからなかったらしく手をはずしてガキは小さく呟いた。
「悲しいな。自分の分身と戦うなんて。戦って一人を消すんじゃなくて、二人が一緒になって一つになったらいいのに」
「……お前の言葉はたまによく分からん。きちんとした言葉を習ったほうがいいぞ、くそガキ」
「おれにだって分かんないんだよ!」
そんな風に言いながら、ネツァクが惜しげもなく漏洩した情報を思い出していた。
ティファレトの双子のことだ。一方は耳がよく口うるさい。おそらくガキに向かって敵意を剥き出しにする方のセフィラだろう。そしてもう一方は目がよく物静か。
ネツァクが残した謎の言葉だ。『天使召還の間だけ一人に戻るんだから、面白いわよね』――この言葉は一体何を表していたんだろう?
確かにミカエルを召還したとき双子のうち一人は消えていた。
一体どちらが消えたのかは分からないが、もし言葉通りだとするとセフィラの双子は天使を召還するとひとつになる、つまり物理的に融合すると言うことになるが・・・あまりにそれは突拍子がない。
光によって別たれた世界、天使と悪魔の双子、滅ぼすべき敵と一つになる仲間。
とにかく分からない事だらけだ。
立ち塞がるラッセル山に続く登山道は目の前だった。
ラッセル山の登山口に到着して歩を緩めた。
その場に停止したガキは驚いたように体をひねったり伸ばしたりしている。
「すごいね。ぜんぜん疲れないや。加護を受けてるヒトには生身じゃ敵いっこないってこと、よくわかったよ」
加護を受けると身体能力が爆発的に増強される。それは筋力・速度にとどまらず、五感全体にいえることだった。
「それなら今のお前には見つけられるはずだ」
「え?」
きょとん、と見上げたガキの漆黒の瞳は深い森の闇と同じ色をしていた。
「もともとお前の洞察力は突出している。今は加護を受けて人知を超えたものに達しているはずだ。山に入ったら周囲をよく見ろ。おそらく何かしらの痕跡が残っているはずだ」
「……分かった」
漆黒の瞳に強い意思の光が灯った。




