SECT.22 ネツァク
ネツァクの背後に浮かぶハニエルが矢を番えると、ネツァクはピンクのステッキをこちらに突き出した。
その瞬間ステッキの先から何かがこちらにものすごい速度で打ち出された。
「?!」
避けると、キィンと言う軽い音がして石畳に何かが跳ねた。
「ああもう、簡単に避けないでよ!」
キンキンと甲高い声が響く。
先ほどからフラウロスが原因と思われる熱風が吹き荒れていたが、それがさらにひどくなった。
その熱に思わず目を細めると、また何かがステッキの先から飛んできた。
今度は見えた。大きさは拳より一回り小さいくらいの水晶のような透明な結晶が凄まじい速度でこちらに向かって飛んできたのだ。当たったらそれこそ風穴が開いてしまう。
とはいえ、避けられない速度ではない。
次々に飛んでくる水晶をほとんどその場を動かず体をひねってかわした。
全く当たらないことに苛立ちを覚えたネツァクは天使の名を叫んだ。
「ハニエル!」
弾かれるように矢が放たれる。
が、それは自分の手前の地面に突き刺さった。
何だ?外したのか?
そう思った瞬間、矢から硝子のヴェールが飛び出した。それは自分を大きく包み込むように広がった。これで動きを止めようということらしい。
「これで逃がさないわ」
ピンクのステッキの照準が合う。
仕方がない。
真直ぐこちらに飛んできた水晶を、抜刀の勢いで吹き飛ばした。
「!」
人形少女が驚いた顔をしているうちに返し様で硝子のヴェールを鋭く切り裂いた。
ヴェールははじけるようにして霧散し、矢は一瞬蜃気楼のように揺らめいたあと跡形もなく消え去った。
「なん……生身の人間の癖に天使の攻撃を切るなんて! なんて非常識なの!」
「戦場でそんな格好をしている貴様に非常識などと言う権利はない」
マルコシアスとの稽古の賜物だろうか。それともただ単にこのネツァクが弱いだけなのか。
いや、違う。
この剣のせいだ。サブノックが鍛えた剣、これのお陰で天使の攻撃も防御も難なく切り裂くことが出来るのだ。
「ああ! もう! ハニエル、どんどん行っちゃって!」
ネツァクの言葉と共に大量の矢が飛んできた。
さすがにこれは無理だ。
自分をかすめそうなものだけ選んで剣ではじく。
避け切れなかった数本の矢が足元に突き刺さった。
「!」
硝子のヴェールは幾枚も折り重なるようにして自分の周囲を包み込んだ。
逃げ場がない!
「チェックメイトね、クロウリー伯爵」
ネツァクの嬉しそうな声と共に水晶の弾丸が迫ってきた。
仕方がない。
左手首につけているコインを翳した。うまく扱えるか不安だがやってみよう。
「ハルファス!」
その瞬間、黒々とした魔方陣が足元に出現して硝子のヴェールを吹き飛ばした。
大きなエネルギーがその場を支配した。ずっとその場を支配していた熱風が一瞬消え去る。
目の前に降り立ったのは、腕に羽根をもつ幼い子供・・・いや、戦の悪魔ハルファスの姿だった。先日の契約で見たときの通りの姿で灰色の石畳に降り立った。
「ひゃはは! ハニエルか! 弱いな!」
「そろいも揃って失礼な悪魔ばかりね!」
ハニエルは勝利を司るとはいえ、戦闘向きの天使ではない。
ネツァクという少女も普通から見ればかなり強いのだろうが、戦闘に特化したレメゲトンと戦の悪魔の前では歯牙にもかからない。
だからこそ、少し余裕のあるこの戦闘でハルファスに慣れておく必要があった。
「もっと強い奴の時呼べ! 面白くない!」
「すまない、ハルファス」
当のハルファスは非常に不機嫌だ。
「もう、何なのよ、悪魔ときたら揃いもそろって!」
ハルファスは人形のような服の少女をちらりと見たがすぐに目を逸らしてため息をついた。
怒ったネツァクが焦げ跡のついたステッキをハルファスに突きつける。
「きゃは! お前俺に楯突くか! 知らないぞ!」
嬉しそうに笑ったハルファスの手に長剣が現れた。普通より少し長い、体の大きさに似合わぬ大きな剣だ。
それを羽根の隙間から微かにのぞいた鉤爪で器用に固定する。
ちょっと待て。ハルファス自身がネツァクを相手にしてしまっては困る。
止めようとする前にステッキの先から水晶が飛んだ。
「ひゃは!」
ぱん、と何かがはじけるような音がした。
打ち出された水晶は跡形もなく粉々に砕け散った。
いったい、何が起きた?!
「次はお前だ!」
ハルファスが飛び上がる。
空中は身動きが取れないはず、と狙いを定めたネツァク。
だが、次の瞬間にはネツァクの悲鳴が響き渡っていた。
「きゃあああ!」
手にしていたピンク色のステッキが跡形もなく粉砕された。
「!」
今度は少し見えた。
どうやらハルファスは神速で突きを数十回繰り出してステッキを粉々に破壊したようだ。
信じられないことだった。
「ひゃははは! ざまあみろ!」
見た目は幼児でもハルファスはマルコシアスと肩を並べる戦の悪魔だ。その実力は計り知れない。
契約のときは明らかに手を抜いていたのか。あの時本気だったら――考えたくもない。
ネツァクはステッキを持っていた右手を押さえてきっとハルファスを睨んだ。蒼い瞳が少し潤んでいる。
「何するのよ!」
その様子を見て嬉しそうに笑ったハルファスは長剣の切っ先を真直ぐ蒼い瞳に向けた。
「次はお前だ! 人間!」
「やめろ、ハルファス!」
思わず叫んでいた。
「なぜだ? これは敵だ! 敵は壊す! 当たり前だ!」
「違う、敵でも殺してはいけない」
見た目のせいか口調が幼い子供を諭すときのようになってしまった。
すると、ハルファスは意外にもあっさり剣をひいた。
「仕方ない! お前契約した! オレ従う! 仕方ない!」
あまりに簡単に言うことを聞いたために拍子抜けした。
この悪魔はもしかすると見た目どおり中身もいくらか子供なのかもしれない。
「お前に任せる!」
ハルファスは黒い霧に姿を変えた。
その霧は自分の周囲を包み込み、やがて吸い込まれるように消えた。
同時に体中に熱い感覚があふれ出す。
ハルファスの加護が全身にいきわたったのだ。
「ありがとう、ハルファス」
マルコシアスとは少し違う、全身の細胞が活性化するような感覚に気分が高揚する。
「情けでもかけたつもり? 笑っちゃうわ! こんなところ双子に見られたら何言われるかわかったものじゃないわ! さっさと終わらせないと」
「……銀髪のセフィラもこの辺りにいるのだな」
「あの子は目がいいから見えちゃうの!」
目がいいから見える?どういうことだ?
「片割れはそうでもないけどね、代わりに耳がいいのよ。ほんと、よく出来た双子だわ!」
銀髪の双子セフィラ、片方は耳がいい、もう一人は目がいい――なるほど、そういう能力があるのか。
「片方はうるさくて片方は静かだしね。見た目はそっくりなくせにぜんぜん中身は違うんだから」
聞いてもいないのにこの人形少女はぺらぺらと情報を喋りだした。
先ほども王の命令をはっきり口にしていたし、どうやら生来おしゃべり好きらしい。ハルファスにバカにされてストレスがたまっていたのか、その反動のように次から次へと口から言葉が飛び出してくる。
とりあえず好きに喋らせてみることにした。
「天使召還の間だけ一人に戻るんだから、面白いわよね。顔だけだったらかなり好みなんだけど、二人とも性格悪いからちょっとね。とくに耳がいいほうのあいつ! 口から生まれてきたんじゃないかしら、どうしたらあんな口汚い言葉ばっかり吐けるのかしら!」
それはお前もそう変わらんぞ。
口から出そうになった言葉を慌てて押さえる。
どうもガキを相手にしている調子で喋りそうになってしまう。
「どうにかならないものなのかしら。ケテル様に頼んでみようかしら?」
もうこいつは目の前の敵のことなど忘れてしまっているだろう。
どうしたものかと佇んでいると、突然その場にそれまでと比べ物にならない熱風が吹き荒れた。




