SECT.18 手品師ノ人形
気配を押し殺して森の中を進んだ。まるでここに自分がいないと錯覚するような――マルコシアスとの稽古の中で手に入れた感覚だった。
後ろからついて来るガキの気配は心配だったが、意外にも器用に気配を消している。
鬱蒼とした木々が味方してくれているようだった。
月明かりに浮かび上がった教会前の広場には何の気配もない。音もない。動きもない。だが、少し感覚に引っかかる何かがあった。
教会の中も調べる必要があるだろう。
「ここで少し待っていろ」
小さな声で言うと、広場を一気に駆け抜けようと……した。
「きゃあ、本当にきちゃったわ!」
上から甲高い声が降ってきた。
しまった!敵がいたのに気づかなかった!
致命的だ。
「でもあなたすごいのね。森から出てくるまであたしぜんぜん気づかなかったわ!」
教会から離れ、距離をとるため広場の中央に出る。
下手に身を隠せば森にいるガキまで見つかりかねない。
白い壁の教会の屋根の上、青白い月光を浴びた少女は十字架の横軸に腰を下ろしていた。二つに縛った黒髪に青い瞳、まるで人形に着せるようなひらひらとした服を着ている。黒基調のワンピースにはレースやリボンが多く装飾してあってひどく動きにくそうだった。
だが、その姿はまるで等身大の人形が動いているようで気色悪かった。
「セフィラか」
少女のセフィラはばら色の唇に笑みを湛えた。
「ふふ、綺麗なお兄さん。あなたが噂に聞くクロウリー伯爵ね。マルコシアスとサブノックを使う戦闘に特化したレメゲトン」
いつでも戦闘に入れるように剣の柄に手を掛けた。
それなりに距離はある。飛び道具でも対処できるだろう。この夜中にセフィラが天使を召還できるはずもない。俄然こちらが有利だ。
問題は、街で目撃されたのは二人組だということだ。もう一人いるはずだ。
どこにいる?
「あの子はいないの? ティファレトの双子がご執心のかわいい女の子は」
ティファレトはあの銀髪の双子セフィラだ。
そいつらが執心している女の子、というとまさしくあのガキのことだろう。
「何のことだ」
ガキを戦闘の場に引きずり出す気はなかった。
足手まといとは言わないができれば危険な目にあわせたくなかった。自分ひとりでセフィラを撃退できるならそれに越したことはない。
「いやいや、そこにいるようだよ、お嬢」
「あら、本当?」
少女の後ろからやはりもう一人のセフィラが現れた。
シルクハットに燕尾服の細身のシルエット――まるで手品師のような風体のそのセフィラは、ガキが隠れているあたりをピンポイントで指した。
青い月光が降り注ぐ中、十字架を背景にする人形と手品師という構図はひどく恐ろしいものだった。
それより何よりガキの居場所がばれた事が背筋を冷やりとさせた。
「ぜひ見てみたいわあ。あの子達があんなに執着する相手ですもの」
人形のような少女はくすくすと笑った。
居場所がばれてしまっては隠れている意味はなくなった。こうなっては手元に置いたほうが守りやすい。
出て来い、と指示を出そうとしたが、その前にガキはこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。居場所がばれても隠れている意味はない。むしろ見通しの聞く広場に出てきたほうがいい――いい判断だ。
屋根の上の二人から隠すようにガキを背に匿った。
「きゃあ! かわいいわ! 見て見て、ゲブラ!」
「お嬢、はしゃぎすぎだ……それに僕としては彼女より隣にいる黒髪の彼のほうがよっぽど好みなんだが?」
やれやれといった感じに相槌を打つ黒くて細長いセフィラはこちらを見て笑った。
背筋に寒いものが走る。
「男の癖に、変態!」
まったくだ。
「お嬢だって人の事は言えないだろう?」
「あら、あたしは綺麗な女の子が好きなだけよ?」
人形少女はまるで本物のドールのように微笑んだ。
「ふふ、あの美人なレメゲトンのお姉さんもね」
後ろに匿ったガキが息を呑んだのが分かった。
飛び出そうとしたのを間一髪押さえつけた。
「ねえちゃん……ねえちゃんはどこ?!」
「声もかわいいわあ! あの二人にあげる前にあたしが貰っていいかしら?」
「そんなことをすれば彼らが怒るだろうよ。それは少し困った事態を招く」
ガキの叫びなど意に介さない二人のセフィラは和やかな談笑を続ける。
「ねえちゃんはどこなの?!」
「ふふ、残念ね、ここにはいないわ。だってあたしたちあなたを見に来ただけですもの。しかもこんな夜中、天使も召還できないのに戦うのはごめんだわ」
戦う気はない?
いったい何を考えている?
「ぜったいレメゲトンはこの教会に来るはずだ、なんて、さすがティファレトよね。頭に血が上ってさえいなければ確実にトップになれるのに……二人に分かれているばかりに、かわいそうな子たち」
「そうだね」
手品師はシルクハットに手を掛けた。
「どうせまた戦場で会えるわ、それまではサヨナラね」
何もせずに退くと言うのか。
全く分からない!
「目的は一体なんだ。ティファレトが白昼堂々敵の王都に乗り込むなど、言語道断。その場で戦争でも引き起こすつもりだったのか?!」
自分の問いに人形少女はひらひらと手を振った。
「あれは、ちょっとした手違い。ごめんね!」
「まあ、ネブカドネツァル王はこの好機を逃すまいとするだろうがね」
「でもそれであの美人のお姉さんが釣れたんだからよかったじゃない?」
「そうとも言えるな」
やはり、あれはティファレトの単独行動だったのか?ガキを狙って単身ジュデッカ城に乗り込んだと言うのか……?
手品師は軽く微笑むと、シルクハットをとった。
はらり、と肩より長い黒髪が零れ落ちる。
「戻ろうか、お嬢。もう満足だろう?」
「本当はもう少し相手したいのだけど仕方ないわね」
「待って!ねえちゃんは……!」
ガキの言葉は届かなかった。
手品師がシルクハットを一振りすると、二人の姿はその場から消えさっていた。
完全に気配が消え去ってから教会に足を踏み入れた。
月明かりでは分かりにくいが、3人がけの椅子がずらりと並べられ、その向こうには何かの像があるようだった。
大理石の床をゆっくりと進むと、少しずつ像の全体が見え始めた。
背には6枚の翼を湛えている。これはおそらくティファレトの召還する天使、ミカエルの像なのだろう。ここはやはり天使崇拝の者たちが集う教会だったようだ。
が、何故捨てられてしまったのだろう。レグナ、という名を残して人々はどこへ消えたのだろう。
捨てたのではなく迫害されたと言うのがやはり正しいのだろうか……
教会内を捜索したがなんらねえさんの手がかりは見つからなかった。
そのうち夜が明けてきて教会の天窓から虹色の光が差し込んできた。ステンドグラスは天使を象った肖像画だった。こちらはおそらくガブリエルのものだ。女性らしい天使は参列する者に微笑を向けていたのだろう。
「やはりここは天使崇拝の人々が集う教会だったのだろう。それにしても、この様子ではまだ20年ほどしかたっていないようだ」
「迫害されたのがつい最近だって言うことなのかな」
「……一概にそうとは言えないが、可能性は高いだろう。この森に入ると抜け出すのは困難だと言うのも森自体が深いわけでなく、天使崇拝の殲滅を示唆していたのだろう」
カトランジェの人々はおそらく知っていたのだ。
ここに天使崇拝の人々が集っていたことを――もしくは、カトランジェの者がここに参拝していたのかもしれない。
今となっては調べる術がない。
街で聞いたところで答える者はいないだろう。
「アリギエリ女爵と王都のくそじじぃたちにセフィラが出たことについて連絡を送る。とりあえず街に戻ろう」
蒼白な顔をしたガキを無理にでも引っ張ってその教会から離れた。




