SECT.17 LEGNAノ住処
ガキはメモの内容をひたすら羅列し始めた。
どこぞの娘が出産しただの井戸の水が減っただの訳の分からない情報の中に、いくつか気になることがあった。
中でも気を引いたのは不自然な二人組が現れたと言う情報だった。
「旅人らしからぬ二人組……か」
「うん。でも銀髪のヒトじゃないよ」
「だが異質な人間だということは否めない。何か関係があるかもしれない」
人間の第六感というのは侮れない。たとえそれが何の力も持たない一般人であっても、自分の身を守るために違和感に敏感なのが生物として普通だ。
しかしながらガキの情報は多すぎて把握できなかった。
これだけの情報を集める能力は探索者としてかなり優秀だ。
そしてそれを全て集約して必要なものを取り出していたねえさんも相当有能な上司だったに違いない。なんだかんだ、ここは酒場としてだけでなく情報屋としてもかなり上級の部類に入るのだろう。ただし、入る情報はガキの行動範囲だからかなり狭められてしまうだろうが。
自分はまだまだねえさんに遠く及ばないようだ。
まあいい。
こちらに入った情報も提示しておこう。
「一人だけなんだが、何日か前に森のほうで何かが壊れるような音を聞いた者がいた」
先ほどずっとカウンターにいた3人組のうちの一人が話してくれたものだった。
これはねえさんとセフィラの戦いが起こった音である可能性が極めて高い。ただ、自分には土地勘がなく場所の名前を聞いてもぴんとこなかった。
「レグナの住処と呼ばれる場所らしいが、何か知っているか?」
「それ、街の北にあるクラインの森のことだよ。えとね、街に近いほうの東部をみんな『レグナの住処』って呼ぶんだ。そのあたりは特に深い森だからあんまりみんな近寄らないよ」
街の北の森の東部。特に深い森。その場所には一度行った事がある。
銀髪のセフィラの面影が頭をよぎった。
「お前が一度セフィラに連れ去られた場所だ」
ガキがはっと顔を上げた。
「教会……?」
言われてみれば当たり前のようなことだった。
もともとあの双子のセフィラが拠点にしていた場所だ。ねえさんがそこに捕らわれていてもまったく不思議はない。
掛け時計はまだ夜中の時刻を示していた。
「夜明けまで間があるな……」
昼間しか天使を召還できないセフィラの元へ行くなら夜のほうがいい。
「今すぐ行くぞ、ガキ。すぐ支度しろ!」
「分かった!」
剣を取り、すぐに外に出た。
回復した馬に乗るとすぐに森への道を急いだ。
新月なのか曇っているのか天に月は見当たらず、ただ暗闇と耳の痛くなるような静寂が辺りを支配していた。
ねえさんがいるかもしれない。
自然と馬を飛ばしていた。
「あのね、アレイさん。思い出した事があるんだ」
またも突然にガキが口を開く。
「何だ?」
「教会にね、飾ってあった白い像があるんだ」
教会と言うと今向かっている教会だろう。以前このガキがセフィラに捕らえられ監禁された場所だ。
「それがどうした」
「よく考えてみるとクローセルさんにそっくりで……もしかして、あれ、天使の像だったんじゃないかな……?」
天使の像だと?!
ダビデ王が悪魔と契約を結んで以来、グリモワール王国では悪魔崇拝が基本だ。それは悪魔を使役するレメゲトンが絶大な人気を誇る理由でもある。
過去には天使を崇拝した者を虐殺したという記録も残っているくらいなのだ。現在では信仰の自由を国が認めているが、今でも肩身が狭い思いをしているのは事実である。
それでも100年ほどまえは取締りが厳しく、天使崇拝の村が幾つもつぶされたという史実が残っていた。
「レグナ……古代語の綴りではL-E-G-N-Aとなる」
「おれ古代語はあまり知らないんだ」
グリモワール王国が成立する以前はアルファベットと呼ばれる文字が流通していた。セフィロト国やクトゥルフ国などディアブル大陸に存在する国ほとんどがそうだった。
それは共通語が今でも個人の名前や地名、また言葉の端々に残されている。
今やどれが古代語でどれが共通語なのかという区別ははっきりしないが、学校では必ずアルファベットと簡単な古代語を教えることになっている。
「綴りを逆にすると、A-N-G-E-Lとなる。エンジェル、つまり古代語で天使の意味だ」
「!」
ガキの目が大きく開かれた。
「おそらく昔、虐殺された天使崇拝の村か何かがあったのだろう。おそらく教会はその名残だ」
「でも、そんな何百年も前の建物には見えなかったよ……?」
そうだ。表向きはおよそ100年前から信仰の自由が認められている。
だが、実際は……
「お願いだよ、教えてよ。おれもいろんな事を知りたいんだ!」
言うか言うまいか迷った。
が、いずれこのガキは知ることになるだろう。この世には単純明快で分かりやすい事象と、そうでなくどろどろとした負の感情に支配される部分があることを。
「これはあくまで噂だが……とある貴族はつい最近まで天使崇拝を硬く禁じ、それを破った者たちを厳しく罰していたといわれている。国が認めているものを貴族が単独で禁じたとは考えたくないが、あるいは……」
「そんなひどいことをするなんて!」
案の定ガキは真直ぐな感情を表に出した。
それはとても好ましいことだ。この先どんな恐ろしい出来事に直面してもその姿勢を崩さないで進んで欲しいと思う。
しかし、それを貫くのは容易なことではないだろう。
「国には明るい部分と暗い部分がある。今からお前はそれを少しずつ学んでいくことになるんだろう。お前はまだ明るいほうにしか目を向けていない」
頼むから変わらないで欲しい。
暗い部分を知っても今のまま、明るく輝く太陽のような存在でいて欲しい。
まだきっと心痛める出来事は多いだろう。特に王都の貴族たちの確執には自分もまだ慣れる事が出来ないし、一生慣れたくないと思う。
それでも、知らなくてはいけない事がある。
戦争が起こるかもしれないこの時代の節目に当たって、『知らなかった』ことは即命の危険に繋がり得るのだから。
「だが、目を背けるな。事実を見て、自分の価値観で判断するんだ。そのために多くの情報を手に入れろ。経験を重ねろ。きっといつかそれは実になるはずだ」
「わかった」
ガキは真直ぐな瞳で見つめ返した。
「ありがとう、アレイさん」
「何がだ」
「いつもおれが迷わないように助けてくれるから」
だからそうやって思い出したように素直になるんじゃない。
不意打ちで心臓が跳ね上がって、思わず憎まれ口を叩いてしまった。
「ガキを助けたつもりはない」
「あ、またガキって言った!」
「その阿呆面をやめろ。気が抜ける」
「むーっ!」
眉間に皺を寄せるのをやめろ。折角の顔が台無しだ。
ついでに目的地近くまでやってきていたので馬を止めた。
「ここからは静かに、慎重に行くぞ」
前回セフィラを見つけた場所だ。
雲が切れて月が顔を出してきた。その明かりでぼうっと森の向こうの教会が浮かび上がる。
もしねえさんがいるならばきっとセフィラも共にいるはずだ。
いつ戦闘になってもいいように心構えをし、教会に向かって慎重に歩を進めた。




