SECT.16 思ワヌ苦労
その時、入り口の扉が開いた。
「?!」
敵か、と思って振り向くと、そこに立っていたのは昼間の少年だった。
ほっとして息をつく。
「どしたの? ゼル」
ガキが間の抜けたような声で問う。
すると少年は困ったように笑った。
「ラックが帰って来たってちょっと話したら……親父たちが……」
その瞬間に少年の後ろから人々がなだれ込んできた。
「ラック! 久しぶりだな!」
「あ、マスター」
なだれ込んできた人々で店はいっぱいになってしまった。
まるで街の男たちがみな攻め込んできたような騒がしさに、思わず顔が引きつった。
「なんだ、ミーナさんはいないのか」
「ラックと一緒じゃないのか?」
「だからミーナさんはいないって言っただろ、親父!ごめん、なんか勝手に集まっちゃって……俺は止めたんだよ!」
そうか、この人々はねえさんの店の常連客か。
腰まであるストレートブロンドと猫のような金目のねえさんは抜群の美女だ。きっとこの店は街でも評判の酒場だったんだろう。
騒がしく入ってきた中の一人がこちらを指差した。
「なあ、そこの綺麗な兄ちゃんは?」
でっぷりとした腹が目を引く親父だ。
最初の少年が少し首を傾げながら言う。
「ラックと一緒に来た人だよ。王都からきたんだから、偉い人なんじゃないのかな」
「その……この酒場の主の親類だ」
とりあえず一番分かりやすい説明をする。
血縁関係があるのは確かだ。嘘はついていないがわざわざ面倒な身分を名乗ることもないだろう。
「ああ、そうなのか。で、また店をやってくれるのかい?」
店を?
一瞬眉を寄せたが、ガキが情報収集はねえさんの店が一番だといっていたのを思い出した。
そうか、そうすればいい。
「そうだな、今日からまた店を開けよう」
「アレイさん?!」
ガキが驚いた顔をしたが無視した。
いったん店を占拠した人々はとりあえず店を出て行った。
「準備するぞ、手伝え、くそガキ」
ロストコインを集める過程でこういった酒場にはよく出入りしていたから勝手は分かっていた。
カウンターの中と倉庫を簡単にチェックして出来そうな料理と酒を頭の中に浮かべる。幸い保存の利くストックが倉庫に大量に残っていた。
その間にガキは店を掃除してテーブルクロスや食器を準備していた。
よく手伝っていたのだろう、どこから出してきたのかエプロンとバンダナを身に着け、慣れた手つきで着々と開店準備を整えていった。
「何で店を開けるの?」
料理の下ごしらえをする横でカウンターテーブルを拭くガキが不思議そうに聞く。
「情報を集めるのはねえさんの店が一番だったのだろう?」
「うんそうだよ」
「客から情報を集めるんだ。どんな些細なことでもいい。手がかりになりそうな話を聞け。それはお前が今までやってきたことだろう、『探索者』?」
そう言うとガキは嬉しそうに笑った。
「うん、がんばるよ」
その微笑を久しぶりに見た気がしてどきりとした。
それでも、ずっと笑っていて欲しいと思うのはきっと俺の我侭だ。
開店と同時にたくさんの客がなだれ込んできた。
予想以上の繁盛ぶりにガキは忙しそうに店内を駆け回っている。
「なあ、綺麗なにいちゃん」
「何だ?」
一つだけ誤算があった。
自分は料理も出来たし酒に関する知識もいくらかあった。
「もうちょっと愛想よくしたらどうだ?」
「……」
これは客商売だということを忘れていた事だ。
残念ながらこれまでそんなものと無縁で生きてきた。無理に笑おうとすると顔が引きつる。
「本当に別嬪さんだねえ。男にしておくのは勿体無いよ」
ついでに言うと会話も苦手だ。こういうときにどういった反応を返せばいいのか全く分からなかった。
必要以上の言葉を発するのはガキを相手にした時だけで十分だ。
「ミーナさんの親族だと言っていたが、まさか夫とかいうんじゃないだろうな?」
半分酒の入った客たちの戯言にいちいち答えるのは面倒だ。カウンターに座った客は3人で、みな隣街の工場で働いているらしかった。仕事の愚痴を3人で言い合っているうちはいいのだが、絡まれると非常に困る。
どうしようか迷っていると、空いたグラスを持ってガキがカウンターに入り込んできた。
「どーしたのアレイさん。困った顔してるよ?」
「いや、別に……」
言葉を濁すとカウンターの客が驚いたように言った。
「困った顔? どの辺が?」
「無表情にしか見えないぞ?」
無表情で悪かったな。元々だ。
「そうでもないよ? よく見ると分かると思う。それよりアレイさん、ジントニックもう2つお願い」
「分かった」
ちょうど注文の料理も作り終わったので次はカクテルを作る。
ガキの酒についての知識が意外と豊富なのにも驚いた。店の手伝いをしていたせいだろうが、次々にカクテルの名前が飛び出してくる。
だいぶ使い込まれた道具は3年の月日を思い起こさせた。
ねえさんはずっとここでこうしながらあのガキを育ててきたのだ。
「できたぞ」
「ありがと!」
二つのグラスを持ってテーブルに向かうガキを見送ると、カウンターの客も同じように後姿を見送っていた。
「ラックの奴、帰ってきたらやたら美人になった気がするな。この間まで男みたいな格好で街中走り回ってたくせによ」
「何かあったのかな。王都に行ってたって言ってたが……なあ、にいちゃん」
「そうだな、いろいろあった」
一言では説明できないほどに多くの事を乗り越えた。
銀髪のセフィラ、悪魔との契約、滅びの悪魔グラシャ・ラボラス……まるで大きな運命の渦があのガキを巻き込もうとしているようにしか思えなかった。
テーブル客と話しながら楽しそうに笑うガキの胸中は今も不安に押しつぶされそうになっているはずだ。
「ふうん。ラックも苦労してんだな」
苦労。苦労と言う言葉で片付けるにはあまりに重い。
ふいにガキが不安そうな目でこちらを向いた。
その瞳に胸が裂かれそうになる。悲哀の漆黒で射抜かれて息が止まりそうになった。
「それよりミーナさんはどうしてんだ。また帰ってくるんだろ?」
そのねえさんを探しに来たんだ……とは言えず、曖昧に頷いておいた。
そうだ、そんなことより情報を集めなくてはいけない。
会話に苦戦している場合でも酔っ払いの相手を面倒くさがっている場合でも注文をこなすのに必死になっている場合でもない。
大きく深呼吸して客とコミュニケーションをとることに集中したのだった。
店を開けていたのはほんの数時間なのに、どっと疲れが出た。
後片付けをしていると、ガキは手伝いもせずカウンターに座ってにこにことこちらを見ている。
「アレイさんは何でもできるんだね!」
またもよく分からないことを言い出した。
前後のない唐突な台詞にもやっとなれてきていたのでとりあえず手を止めずに無視する。
「でも、家ではコックさんが作ってくれてたよね。どこで料理習ったの?」
「騎士団にいた頃の経験で料理は一通りできる。あの場では貴族も平民も何もない、ただ騎士という立場を与えられた剣士が多くいるだけだ。王都に在住する漆黒星騎士団や輝光石騎士団と違って、炎妖玉騎士団は偏狭の地カーバンクルに派遣された国境騎士団だ。炊事や洗濯はある程度自分たちで行わなくてはならない」
別に趣味で学んだわけでなく必要に迫られて覚えたものだったが、こんなところで役に立つとは思ってもみなかった。
「へえー」
「そのうちお前も学ぶといい。レメゲトンは一人で任務に向かうことのほうが多い。身の回りのことはそれなりにできたほうがいいだろう」
「うん、自分のことはできるよ。2年くらいは一人暮らしだったから。」
「ならいい。他に学ぶべきことも多くある」
教えるべきこともまだまだたくさんあるだろう。
剣術、馬術を始めとした基本戦闘能力、言葉遣いや身のこなしなどこれから社交界で必要になってくるであろう一般常識、それにレメゲトンに必要な情報収集能力や危機に対処する方法……学ぶべきことは多い。
カードを使った占いもその一環だった。
ガキはきょとんとした目で見上げてきた。
「もしかして、アレイさんおれにたくさんのことを教えようとしてくれてる?」
その言葉に思わず手を止めた。
どうしてこう変なところで勘が働くんだ、こいつは。
いつもぼーっとして何も考えていないくせに洞察力だけは妙に鋭いし、よく分からないところで記憶力を発揮するし、思ったことを咀嚼することもなくそのまま口に出す。
返答できずにいると、ガキはまた嬉しそうに微笑んだ。
「んじゃ、いっぱい教えて。おれは知らない事だらけだ。今日だって情報を集めたけどそれを分析するだけの賢さが足りないよ。いつもねえちゃんに任せっきりだったから。おれ、強くなりたいんだ。ねえちゃんやアレイさんみたいにいろんな事できるようになりたい。たくさんの事を知ってるヒトになりたいよ」
そうか。
ガキはガキなりに考えているわけだ。
「お願いだよ、アレイさん。おれにいろんなこと教えて!」
自分が代わりにすべてのことをやってやるのは簡単だ。馬に乗るときは前に乗せてやればいい。戦いのときは後ろに庇っていればいい。それが出来ないなら王都でもどこでも、安全な場所に匿っておけばいい。
だがきっとガキはそんな事望まない。
前は望んでいたのかもしれない。この街で、ねえさんと単調な生活を送りたいと言っていた。街を離れるのをひどく嫌がった。
でも今は違う。
漆黒の瞳には強い意思の光がある。自分の力で進もうとする者だけが持つ強い光だ。
ねえさんが消えたのなら危険でも自ら探しに行くと言って聞かない。戦う時は肩を並べたい。それができるように――強くなりたい。
真直ぐに見つめた大きな眼には意思の光が灯っていた。
お前がそう望むなら、自分は手助けをしてやろう。
「時間が惜しい。お前が聞いた情報を今ここで全部話せ。夜が明けたらその情報をもとに出発する」
「……うん!」




