SECT.15 トート・タロット
小さな町にしてはよく舗装された灰色の石畳が続いていた。馬車が2台も通ればいっぱいになってしまうような細い道だ。
ロストコインを探している間もねえさんとコンタクトを取るため何度も訪れた街ではあったのだが、ゆっくりとあたりを見渡したのは初めてだった。
レンガ造りの街並みは小さな花壇に彩られて平和な空気を作り出している。薄暗くなりかけている中を家路を急ぐ者たちが軽く挨拶を交わす。店は既に終い、あちこちの家からランプの明かりが漏れていた。
ねえさんが潜伏するのにこの街を選んだのが分かる気がする。ここには戦の気配がない。殺伐とした競争もどろどろした妬み嫉みも見当たらない。
心から安らげる温かい街だった。
ねえさんの店は国の管轄になっている。
預かってきた鍵で中に入ると、少しかび臭い匂いが自分たちを出迎えた。
薄汚れたテーブル、くすんだ色のカウンター。ほんの何週間かねえさんがいなかっただけなのに店は何年も放置されたかのように煤けていた。
ガキは奥に荷物を置きに行ったが、なかなか帰ってこない。
不審に思って様子を見に行くと寂しげな表情でじっと天井を見つめるガキの姿があった。
ふと部屋の中央に佇む少女の漆黒の瞳に映し出された哀愁の色に言葉を失った。
深い悲しみに染まるその色は整った顔立ちをさらに増徴している。硬くひき結ばれた唇は今にも泣き出しそうな感情をそこで押し留めているようにも見えた。今にも壊れそうなその表情は硝子のように凛として完成されていた。
悲しみの顔などさせたくないと思ったのに、悲哀を浮かべる少女を美しいと思ってしまった。
一瞬見惚れたが、すぐはっとする。
「感傷に浸っている暇はない。すぐに出るぞ」
するとガキはぱっと意志の強い目に戻ってこちらを向いた。
「うん」
きっとずっとこんな感情を押し留めてきたんだろう。ねえさんがいなくなってから壊れそうな心を必死で保ってきたんだろう。
自分にくらいその気持ちをぶつけてくれたらいいのに。いくらでも受け止めてやるのに。
それでもあいつは気丈に振舞うんだろうか。
店のテーブルで地図を広げて、捜索範囲を確認した。
カトランジェの街を中心として、東に大きく腰をすえるラッセル山、先ほど通ってきた隣町トトロッカまでの道のり、それと北に広がる森が自分たちに与えられた捜索範囲だった。
北の森は、初めて会った日にガキが銀髪のセフィラに連れ去られた場所だった。深い木々に守られた教会があるあの森だ。
「まずは聞き込みからはじめる。お前はこの町の出身なのだから情報網は広いだろう。そろそろ日が落ちるからすぐにこのあたりの酒場で情報収集する。明日からは実際に外に出て探索だ」
「分かった」
ガキは頷いたが、その瞳の中から悲しみと不安を取り除くことは出来なかった。
すぐ隣にいるのだからただ抱きしめて受け止めてやることだってできる。でも、きっと今はそうすべきじゃないし、ガキもそれを望んでいない。
自分に出来るのはこのガキに多くの情報と経験を叩き込んでやることだけだった。
いつも持ち歩いているカードを取り出した。
「おいガキ」
「なに?」
「カードを使った簡単な占いを教えてやる」
「ほんと?」
レメゲトンは元々天文学者だ。じじぃやメイザース卿、アリギエリ女爵は天文盤を使った占いを得意としている。
が、実動部隊の自分はそんなものを持ち歩けない。
そこで選んだのがこのカードを使った占いだった。
「これはタロットと呼ばれるカードを使った占いを俺がいくらかアレンジしたものだ」
カードは全部で21種類。月や星、太陽から王や司祭に至るまで様々なカードがある。このカードを通して未来を知り、アドバイスを受けるという占い形式だった。
それぞれのカードには意味がある。と言ってもその意味は様々で、手札を読みとれるようになるまでにはかなりの時間を要する。
それでもおそらく実働部隊に配属されるガキは天文盤よりこちらのカード占いの方が実用的だろう。
「手順に従ってカードを並べる。そして、手札の意味するところを読む。ただ、それだけだ」
最も簡単な方法で占うことにした。
自分が元の手順からアレンジした、6枚のカードを使って占う方法だった。
カードをシャッフルし、十字に配列するよう5枚のカードを並べる。そして最後に一番上の手札を中央のカードに重ねた。
この6枚を展開して未来を占うのだ。
ガキは興味津々に覗き込んだ。
「今知りたいのはねえさんの行方。それをカードに尋ねるんだ。十字の中央は現在の状況を表す」
中央のカードは『吊られた男』――束縛を示すカードだ。
くそじじぃの占いと同じ結果に思わず舌打ちする思いだった。
「このカードは『束縛』を意味する。くそじじぃの占いの結果と一緒だ」
やはりねえさんは動けない状態にあるらしい。また、このカードには困難や病状が長引くという意味も持っている。
「次は健在意識と潜在意識が十字の縦を占めている」
一番上のカードは健在意識、つまり今回の事件が起こった表向きの原因、または過去の理由を示している。下のカードは潜在意識、つまりは裏の原因やこれから起こる結果を示す。
健在意識は『塔』――傲慢を表すカードだった。
ゼデキヤ王がティファレトの単独行動でガキを狙いにきたという読み解きは案外当たっているのかもしれない。
潜在意識は『恋人』の逆位置――
「塔は『傲慢』を表す。恋人の逆位置は……戦の、前触れだ。顕在的には誰かの傲慢な行動に見えて、その裏には誰かの思念で戦が導かれている」
表情が強張るのを止められなかった。
ティファレトの勝手な行動ではじまった事件を利用し、ネブカドネツァル王が戦を仕掛けてくる。ゼデキヤ王が最も恐れている事態だった。
カードが言うことは正確だ。
これまでも何度か助けられてきた。
ただ、この結果を知ることで、知って努力することで結果が変わることもある。
心を落ち着けて残っているカードを展開した。
「十字の横は過去と未来だ。まず過去から……」
過去は『愚者』のカード。
「愚者は『自由』を表している。次は未来だが……」
最も恐れていたカードが姿を現した。
闇の背景に浮かぶ大鎌――『死』のカードだった。
「死神……?」
「このままでは、『死』が迫っている。」
ガキが大きな音を立てて立ち上がった。
その動揺は当たり前だ。
現在を示すカードの上に最後においたのは妨害を示すカードだ。『吊られた男』の上に展開されたそれは『悪魔』のカードだった。
「これは妨害を示す。悪魔だが……これは逆位置だ」
「悪魔の逆……天使?」
予想された妨害だった。
ねえさんがティファレトと共に空間転移した。その後ねえさんは戻ってきていない・・・セフィラに拘束されたと見るのが最も自然だろう。
「これが最後だ」
手元に残っていた一番下の手札をめくって展開した。
これは最も知りたい事への直接的な答えになるはずだった。
「神官のカード。神官は医療や宗教を表すカードだ。これが今回一番知りたい事への答えになる」
「ねえちゃんがいる場所のことだよね。医療……病院とか?」
「一概には言えない。カードの意味を読み解くのは難しい」
あくまでこれはヒントだ。
カードを使えば全てがわかるわけではないし、カードの示した未来は努力で変えられる。
「占いはレメゲトンに必須だ。じじぃやアリギエリ女爵、メイザース侯爵は占星術を使い、俺とねえさんはこのカードを使う。お前もカードを使った占いを覚えるといいだろう」
いつか専用のカードも用意してやらねばなるまい。
「さあ、そろそろ頃合いだ。街に出て情報を集めるぞ」




