SECT.14 カトランジェ
王都を出てからほとんど休まずカトランジェを目指した。
宿も取らず夜半から早朝にかけて馬を休める休憩を取る程度の強行軍。馬に限界が近いのは分かっていたが、隣に座るガキの急く思いが伝わってきたために少々無理をしてしまったようだ。
あと半日ほどでカトランジェにつくという日の昼、馬に限界が来た。
夏の日差しを含んだ太陽が照りつける中、どうやら足を止めるしかないようだ。
ガキは少し渋ったが馬が疲れていることを知ると納得した。
馬車を道の端に寄せて休んでも、ガキの視線は東を向いていた――カトランジェの方角だ。
カトランジェへの道は歩くには遠すぎる。果てしなく続くかとも思える道がガキの視線の先に続いているはずだ。
真っ青な空に不自然なくらい真っ白な雲が流れていく。
それを見上げて小さくため息をついた。
「山の向こうは草原だ。それを超えると東の都トロメオ・イスコキュートスがある。北の都カイン・イスコキュートス、南の都アンテノール・イスコキュートスと並ぶ大きな都だ」
ガキの気を逸らすためにとりあえず話しかけた。
漆黒の瞳がぱっとこちらを向く。
「王都は西の都なの?」
「そうだ。初代国王ユダの名を戴いたグリモワール王国の政治の中心にあたるのが王都ユダ・イスコキュートス。今回アリギエリ女爵が向かったのは東の都トロメオのさらに東、セフィロト国との国境付近だ」
そう言うとガキは首を傾げながら言った。
「確か、炎妖玉騎士団が駐留するカーバンクルがあるんだよね?」
少し、驚いた。
確かにねえさんが一度そのことを話しているのを聞いた事はあるが、まさかそれを覚えているとは思ってもみなかった。
出会った頃のこいつは長い名前がひどく苦手で、ゼデキヤ王の名前すら覚えられなかったというのに。
もしやこの何週間かで成長しているというのだろうか。
驚きに言葉を失っていると、逆にガキが聞いてきた。
「アレイさんは炎妖玉騎士団に所属してるんだよね?」
「そうだ」
騎士になった時からずっと炎妖玉騎士団員だ――レメゲトンになった今でさえも。
「だが、今は騎士でなくレメゲトンとして所属している」
そう言うとガキはもう一度首をかしげた。
「何か違うの?」
「常に騎士団の元にいる必要がなくなる。必要となったときのみ騎士団と行動を共にするが、普段は王の勅命を受けて別の任務についていることが多い。訓練にも参加せず、はっきり所属しているとは言えないな」
もちろん仲間との関係も一変する。
ただの部隊長だった自分はレメゲトンになると同時に騎士団長に次ぐ権限を手に入れた。
そのことで不満を言う仲間はいなかったが、心の中では労せずして一気に昇進した自分を妬む者だっていたはずだ。
「おれもそのうち漆黒星騎士団に配属されるってねえちゃんが言ってたよ」
「おそらくその予定だろう。レメゲトンはいずれかの騎士団に所属することになっている。ゼデキヤ王のことだ、ねえさんと王都にとどまれる道を選択なさるはずだ。となると王都に在住するのはねえさんが属する輝光石騎士団の他は漆黒星騎士団しかないのだからな」
そう言うとガキは嬉しそうに笑った。
「漆黒星騎士団はクラウドさんが団長さんだったよね」
「ああ、そうだ」
このガキはねえさんいわく面食いらしいので、金髪に翡翠の瞳、類稀なる美貌の義兄上をいたく気に入っているようだ。もちろんそれは姉上にも言えることで、このガキはあの夫婦の養子になることを望んでいるような節があった。
「阿呆面で笑うな。ガキのせいでこっちまで気が抜ける」
「またガキって言った!」
「ガキにガキといって何が悪い」
何度この台詞をはいただろう。
王都を出発してから3日、何度このやり取りを繰り返しただろう?
「……もう少し待ってもう一度出発しよう」
「うん、わかった。」
ガキは素直に頷いて馬車の陰に入って体を預けた。
夏に近い日差しはきつい。
自分も影に入って同じように馬車に寄りかかり、じっと目を閉じた。風が髪を揺らすのが心地よかった。
とりあえず夕刻まで休んで出発すれば夜遅くにはカトランジェに到着できるだろう。
ねえさんが経営していた酒場の鍵をゼデキヤ王から預かっているからあの店の奥に泊まればいい。いや、その前に情報屋を見つけて情報を仕入れなくては。
幸いあの街はガキのホームグラウンドだ。聞き込みや捜索にそれほど苦労はしないはずだ。
捜索範囲の確認と足の確保と……
「あ、やっぱりラックじゃないか。」
思索に耽っていると唐突に少年の声がした。
「ゼル!」
見ると牛2頭引きの大きな荷台に乗った茶髪の少年に向かってガキが駆けていくところだった。
そのそばかすの少年はくりくりと大きなとび色の瞳をさらに大きくしている。
「どうしたんだよ、こんなところで! 最近見なかったしさ」
「ちょっとお馬さんが疲れちゃって……ゼルは?」
「隣町に納品してきた帰りさ」
そう言うとその少年はガキを見て、馬を見て、最後に自分に視線を移した。
そしてにこりと笑った。
「後ろ、乗せて行きなよ。馬車は無理かもしれないけど馬と人は乗るだろう?」
言葉に甘えて馬を馬車からはずし、荷台に乗せた。
どうやらその少年はカトランジェの街に住むガキの知り合いらしい。
親しげな様子を見ているとなんだか苛々する。自分の知らないガキの3年間がある事を思い出して胸が騒いだ。ねえさんとガキの間の絆を感じるたびに心の端を焦がす炎と同じ感覚だった。
それを気づかれたくなくて二人から離れて後ろの方に一人で座り込んだ。
馬車の前面ではガキが楽しそうに話す声がする。
二台を引く少年はふわふわとした栗色の髪大きな鳶色の瞳、そばかすの散った顔はガキと同い年くらいに見えた。
鍛冶屋をしているらしいが、まだ年若く見える。
と、突然その少年が大きな声を上げた。
「レメゲトン?!」
どうもガキが喋ったらしい。
別に隠す気はないが知られると面倒だということをこれまでの経験から学んでいた。
「本当なのか?! 何だってお前そんな偉い人と一緒にいるんだよ!」
「だっておれもレメゲトンになったもん」
「はあああ?! 何言ってんだ、お前?!」
本当にそれは今でも信じられないことだ。少しだけ少年に同意する。
「んーなんかおれもよくわかんない」
「だろうな。お前バカだもんな」
「うん」
少年に言われてガキは素直に頷いた。
俺の時と態度が違うだろう!
さらに苛々が募る。
「お前に聞いてもしょうがねえや。街のどこまで行きたいんだ?」
「……アレイさん、どこ行けばいい?」
首を傾げたガキが振り向く。
その阿呆面を見ると額をはたいてやりたくなる。口を閉じろ。
「とりあえずねえさんの店に行く」
すると少年が言った。
「でもあの店はいま鍵がかかってますよ、綺麗なお兄さん」
「鍵はある」
これ以上会話を聞いていると本当に胃に穴でも開きそうだ。
関わらないことにしよう。
気がつくと太陽はかなり西に傾いていて、がきの故郷が迫っていた。小ぢんまりとした街は夕陽で真っ赤に染まっており、ゆっくりとした時の流れが自分たちを迎えてくれた。




