SECT.13 始マリノ地
屋敷に戻ると、執事のクリストファー=マーロウが出迎えてくれた。
「クリス、すぐに発つことになった。詳しい事は言えないが、いつ戻ってこられるかは分からん」
「畏まりました。戻ってこられたばかりだというのに慌しいことです」
「仕方がない、そういう職業だ」
5人……ガキを合わせても6人しかいないレメゲトンは常に忙しい。
ロストコインを集めていた時期もそうだし、普段からあちこちの式典や、騎士団に派遣されることも多い。国を挙げて崇拝する悪魔を使役するレメゲトンは全国民にとって敬愛と憧れの対象だった。
「準備は任せた。昼には出る」
「御意」
クリスはとても有能な執事だった。
それと同時に自分の世話係でもある。全てを語らずとも理解してくれる大切な存在だった。実家に帰ってきて迎えてくれるのは姉上を除けばクリスだけだった。
「いつもすまないな」
「そうおっしゃっていただけるだけで十分です、ぼっちゃま」
「その呼び方はやめろと言ったはずだ」
ため息をついて抗議したが、クリスは答えなかった。とても主人に対する態度とは思えない。
いつだったか幾つになっても幼い少年の姿に見えるのだと言っていた気がする。それは本当なのだろうか、何度たしなめても呼び方を変える気はないようだった。
相変わらず静まり返った部屋で食事をとった。
先日稽古に来たガキがいた時の騒がしさを思い出して少々物足りない気がした。
「グリフィスのお嬢様がいらした時は賑やかでしたね」
思っていた事をクリスに先取りされて思わず喉を詰まらせそうになった。
「あのガキはやかましいだけだ」
「そうですか?素敵なお方だと思いますよ。まるであたりを照らす太陽のようです」
「クリス、お前はいつから詩人になった?」
「ぼっちゃまがあの方を見る目はとてもお優しい」
思わずクリスを睨んだのに、執事はすました顔で続けた。
「私は感謝しているのです。近頃ぼっちゃまの表情が明るくなったのはその方のおかげでしょう」
「まったく……」
怒る気もなくしてため息をついた。
「きっと主人に楯突く執事はグリモワール中を探してもお前くらいだ」
「お褒めにお預かりまして」
褒めてない、と言おうとしたがそれも疲れるだけだと口をつぐんだ。
身分や年齢に遠慮せず意見を言える者は希少で、それだけで好ましいと王が言った意味が少し分かった気がした。
待ち合わせ場所に指定したプルガトリオ・ゲートで待っていたが相手がなかなか来ない。
さすがに苛々し始めたとき、やっと道の彼方から走ってきた。
なぜ馬で来ないんだ……そうだ、こいつは馬術を知らないのか。
「遅いぞくそガキ」
姿が見えてから到着までもかなりかかっている。
到着して息をついたガキは、へらへらと笑いながら言った。
「ごめん、迷子になっちゃって」
「どうしたらこんな狭い世界で迷子になれるんだ」
「ジュデッカ城は広すぎるよ!」
ガキは唇を尖らせた。
確かにジュデッカ城は広いが、迷子になったという話は聞いた事がない……迷子になるのはこのガキくらいのものだ。
「とにかく行くぞ」
「もう!」
「早く乗れ」
すでに用意してあった馬車を指すと、やっとガキは荷物を持って乗り込んでいった。
これで少し静かになるだろう。
1頭引きの小さな馬車の御者台に乗り込んで、手綱をとった。馬は一つ嘶いて走り出す。
プルガトリオ・ゲートからは城下町に向かって下り坂になっている。ほとんど何もしなくてもかなりの速度で下っていける。
と、唐突に中と繋がっている前面の窓が開いた。
ガキがひょこりと顔を出す。
不意打ちで髪がかかるくらい近づいて思わずどきりとしてしまった。
「ねえアレイさん」
「何だ?」
「そっち行っていい?」
どうせ一人で退屈しているんだろう。
出発して3分でこれでは先が思いやられる。
「中にいろ」
「やだよ寂しいもん」
そう言うとガキはいったん中に引っ込んだ。
一体何をする気だ?
そう思っていたら上から何か降ってきた。
「!」
思わず声を上げそうになったがそれが見慣れたガキの姿だと気づいて頭が痛くなる思いだった。
ちょこんと隣に座ったガキは嬉しそうに見上げてきた。
いくら身軽だからと言って……無茶をしすぎだ。これなら最初からここに乗せておけばよかった。心臓に悪い。
「危険な真似はよせ」
「だいじょうぶだよ、このくらい」
飛び降りた衝撃で胸元から転がり落ちた薬の小瓶をすんでのところでキャッチして、ガキは大事そうにそれをもう一度しまった。
先ほどフラウロスとの契約で負った火傷用だろう。
右腕には痛々しく包帯が巻いてあった。
「腕……大丈夫なのか?」
「うん。すぐ治るってお医者さんが言ってた」
城下町に近づいたので速度を緩めた。
車輪のがたがたいう音が少し弱まって、車を引く馬はゆっくりと歩き出した。
平地に入るとすぐ街のメインストリートを通過する。周囲には他の馬車や通行人が増えてきて危ない。朝の市は少し落ち着いて露天は減り始めていたが、それでもまだ道は狭かった。
つい先日ねえさんの陰謀でガキと二人買い物に出され、歩き回った道だった。
好奇心の強いガキに振り回され、いろんなものを見て回った挙句に買ったのはガキが今も腰に差す小太刀一本だけだった。体の小さいガキが使いやすいだろうと思って選んでやった東方風の少し沿った片刃の剣だった。
もう少し剣術を扱えるようになったらサブノックに頼んで武器を作ってもらおうと思っていた。
サブノックに作ってもらった自分の武器は規格より少し長くほんの少し薄い長剣だった。両方に刃のようなものがついているが、実際切れるのは片側だけだ。左利きの自分に合わせて普通より少し刃が寄っている。殺生と不殺生を使い分けよというサブノックの想いが込められた逸品だった。
メインストリートを抜けて人の姿が減ってきた頃ガキは漆黒の瞳に少し真剣な光を灯して聞いた。
「ねえ、アレイさん。これからどこに向かうの?」
今さらそれを聞くのか!そういうことは普通最初に聞くだろう?!
「……カトランジェの街だ」
「え?」
「ねえさんが飛ぶとすれば知っている場所だろう。それを考えるとカトランジェの街の周辺に飛んだ可能性は高い」
奇しくもガキがねえさんと自分を連れて後々訪れようとしていた場所だった。まさかこんな形で訪れることになろうとは全く予想していなかったが。
「くそじじぃの占いで東と出ている。アリギエリ女爵はカトランジェの街よりさらに東、セフィロトとの国境付近に捜索に出ている。いまだ連絡はない……いや、まだ2日だ。到着もしていないだろう」
「ねえちゃんが自分で王都に帰ってきたりするかもしれないよ」
ガキが自分と同じように考えたことに若干の驚きを感じながら口を開いた。
「それが、できないらしい」
「え?」
ガキの顔が不安の色に染まる。
「原因は分からないが、『呪縛』の相がでている。どうやら動けない状態にあるらしい」
「動けない……?」
表情が見る見る強張った。
広い世界に捨てられた子犬のように、ガキは世界の絶望をすべて背負い込んだ顔になった。
「だが……死の暗示は出ていない。安心しろ」
死という言葉を出すのは躊躇われたが、それは重要な情報だった。
自分たちは屍を拾いにいくわけではない。
「でも……!」
「だから、迎えに行くんだろう?」
何か言う前に言い放った。しかしもうガキの顔は見られなかった。目を合わせずに真っ直ぐ進む方向を見ていた。
隣で世界が終焉を迎えたような顔をしている相手を見ていられなかった。
「ねえさんは生きている。だが、動けない状態にいる。だから迎えに行くんだ。違うか?」
そう言うとガキはじっとこちらを見つめているようだった。
が、すぐに進行方向に視線を戻して言った。
「うん、そうだね」
その声にはまた強さが戻っていた。
このガキは自分が思うよりずっと強い。方向さえ示してやればちゃんと自分の足で歩く勇気と信念を持っている。
だから自分に出来るのは迷わないよう道を示してやることだけだ。
メインストリートを抜け、始まりの丘が目の前に迫っていた。
ここは始まりの地――王都ユダに到着して初めて街全体を見渡せる場所、そして旅立つ者が最後の景色を目に焼き付ける場所だ。
だが、自分も隣のガキも王都を振り返ることはしなかった。
ただ真直ぐに前だけを見つめて、ねえさんを探すことだけを見据えていたから。




