SECT.12 ハルファス
悪魔との契約は2年ぶりだった。
前回のサブノックはマルコシアスにも鍛えられていた剣技が彼の心の琴線に触れたらしく、契約のみならずすぐに武器まで製造してくれた。現在腰に差している長剣がそれだ。
しかし、今回契約しようとしている悪魔は戦を好み常に強い相手を求める戦闘狂だ。
下手をすればこちらがやられかねない。
黒い霧が晴れ、魔界への転送が終了した直後、鋭い殺気を感じて思わず抜刀した。
ギィン!
鈍い音がして両腕に衝撃がかかった。
「ひゃははは! 受けた! 受けた!」
頭に響く甲高い声がその場に木霊した。
目を凝らしたが・・・何も見えなかった。
周囲は完全な暗闇、正体の知れぬ甲高い声だけががんがんと響き渡っている。
「久々だ! 強いぞ! 強いぞ!」
反響が多くて声の方向が特定できない。
ここは洞窟のような場所なのだろう。
目を開けていても仕方がない。目を閉じ、聴覚と触覚に全神経を集中させた。
いぜんマルコシアスと共にそんな稽古をした事がある。目で見るのでなく殺気と剣気を感じて戦うのだ。それには相当な戦闘経験ともって生まれた資質が必要だった。
稽古の中で習得できなかった能力を手に入れる機会だ。
「第38番目の悪魔ハルファス……俺が勝ったら大人しく力を貸してもらおう」
「ひはは! 出来るもんならな! 一撃目がまぐれじゃないと証明しろ!」
甲高い声が響く中、剣気というものが目に見えるように脳裏に閃いた――来る!
ガギン!
上から振り下ろされた太刀を横にした剣で完全に受け止めた。
今だ!
「ぅおおっ!」
受け止めた剣の向こうに敵がいるはずだ。
振り払った返し様、気合とともに長剣を目標に向かって横に薙いだ。
「うぎゃっ!」
カエルをつぶしたような声がして確かに剣に手ごたえがあった。
だが、浅いだろう。かすった程度だ。
「ひゃはは! すげえ! 当たった! 久しぶりだ!」
案の定声の主はすぐに復活してまたも甲高い声を響かせた。
「お前すげえ! 人間のくせに!」
「俺には剣の師がいる。戦の悪魔、マルコシアスだ」
「あいつか! あいつは強い!」
ハルファスもマルコシアスを知るようだ。
と、思っていたら辺りが急に明るくなった。
眩しさに目を閉じると、さらに殺気が襲い掛かってきた。
思わずしゃがんで攻撃を避ける。が、少し掠ってしまった。黒髪が少し切られてぱらぱらと地面に落ちた。
恐る恐る目を開くと、そこはやはり広い洞窟の様な場所だった。
氷柱のような石が何本も天井から下がり、また下から生えている。自分がたっていた場所はいくらか開けていたが、それ以外はほとんどとがった石で埋め尽くされた床が広がっていた。
そのとがった石の先端に器用に立っているのは、まだ小さな子供に見えた。
黒髪に黒瞳の目つきの悪い少年の両手は羽根で埋め尽くされ、羽根の間から微かにのぞく爪が細く長い剣を握っていた。幼児の体型に腰布を巻いただけのその姿は、戦闘狂と呼ぶにはいささかかわいらしいものだった。
「気に入った! 気に入った! お前強い!」
幼児らしく膨らんだ腹には横に赤い筋が入っていた。
先ほどの攻撃の傷跡だ。おそらく思っていたよりもリーチの長い剣だったためにかする程度しかダメージを与えられなかったのだろう。
「いいぞ! 契約!」
「本当か?」
「ああ!」
相変わらず頭に響く声だ。
と、思った瞬間目の前に刃が迫っていた。
「くっ!」
慌てて抜き身の剣で防御する。
それでも頬をかすめてしまい、軽い痛みと共に血が頬を伝う感覚があった。
「ひゃはは! すげえ! これで3回! 全部受けた!」
そうか、ハルファスと契約しようとしたレメゲトンが頭を貫かれた状態で魔方陣に戻ってくるのはこういうわけだったのか。
「……今度こそこれで終わりだろうな」
「これ以上は無駄! 今の受けるなら全部受ける! 無駄無駄! きゃはは!」
楽しそうに言ったハルファスは握っていた剣を放り投げた。
「血! 契約!」
本当に、今度こそ契約できそうだ。
自分の手の甲を軽く傷つけて差し出すと、ハルファスは羽根で埋め尽くされた腕をまるで翼のように使ってこちらに近寄ってきた。
血を啜る様はまるでハチドリがコウモリだ。
「うまい! また呼べ! たまに血もくれ!」
「ああ、わかった」
目の前にコインが降りてきた。
それをしっかりと握ると、目の前の洞窟は消えうせてもう一度グリモワール王国の神殿地下に戻っていた。
思ったよりずっと早く戻ってこられたようだ。
くそじじぃは驚いたような顔で迎えた。
「早いな……まだ丸一日しか経っておらんぞ」
「丸一日か……くそガキはまだか?」
「まだだ。何せ相手は地獄の業火を操るフラウロス。一筋縄ではいかんだろう」
切り刻まれたり頭をつぶされたりした死体が戻ってくる事が多いハルファスとの契約に対し、フラウロスの契約では失敗すれば丸焦げ死体が魔方陣の中に戻ってくる事が多い。
フラウロスは気性が荒く、気に食わないとすぐにレメゲトンを焼いてしまうといわれていた。
「なあに、ラックなら大丈夫だ」
「楽観的だな、じじぃ」
「もっとあの娘を信じた方がいい。己が思うよりずっと高い能力を有しているはずだぞ」
「……ゼデキヤ王もそうおっしゃった」
あのガキが帰ってきてねえさんの捜索にでたら、様々なことを教え込まなくてはいけないのだ。悠長にしている暇はない。
とっとと帰ってこい!
それでも1時間ほど待ったろうか。
フラウロスの魔方陣が黒い光を放ち、中にはガキの姿があった。
どうやら黒焦げ死体ではないらしい。
ほっとしてねぎらいの言葉をかけようとしたのに、でてきたのはいつものそっけない台詞だった。
「遅かったな、くそガキ。それでセフィラを相手にしようなんて10年早い」
本当はもっと優しい言葉をかけてやりたいのだが、どうしてこううまくいかないのだろう。
くそじじぃは大きくため息をついて余計なことを言った。
「何を言う、お主も帰ったところだろう」
「じぃ様、ただいま!」
「怪我はないか?」
そう聞いたくそじじぃの顔はどう見ても孫を溺愛する老人のものだ。ここにも一人、このくそガキを甘やかす大人がいる。
「うん、だいじょうぶ!」
にこりと笑ったガキだったが、その時気づかれないように右腕を背に庇ったのが分かった。
まったく、心配ばかりかけやがって。
つかつかと歩み寄って左手を差し出した。
「腕!」
「え?」
何のことだ、と惚けようとするガキをさらに追求する。
「見せてみろ、右腕だ」
ガキはしぶしぶといった風体で右腕を差し出した。
切り傷が重度の火傷をして黒く変色している。まるで炭のようになってしまったその部分は、明らかに大丈夫とは言いがたかった。
「やっぱりだ。何が大丈夫、だ!」
「だいじょうぶだもん。もう痛くないもん」
当たり前だ!
唇を尖らせたガキの頭をはたいてやろうかと一瞬迷う。
それを何とか抑制して、黒く変色した右腕の傷を布で巻いてやった。とりあえず医者に見せておいた方がいいだろう。
「当たり前だ、細胞が焼けて死んでいるからな! 医務室で見てもらえ。午後には出発する」
その言葉にガキは目を大きく見開いた。
「待って! 今いつなの? どれだけたってるの?」
「……丸一日だ。時間が惜しい、早くしろ」
「わかった」
真摯に頷いたガキに午後の集合場所を告げると、自分も準備のため神殿を後にした。




