SECT.9 帝王ノ瞳
城の警備がいつもと段違いに厳しい。普段が緩すぎると言われればそれまでだが、今日の城内はこれまでにない緊迫した空気が支配していた。
慣れた通路を通って王の執務室へ直行する。
その途中で何度も衛兵に止められた。
その度に身分と名前を名乗らなくてはいけないのが面倒ではあったが、仕方ない。
レメゲトンの地位は絶対的で、その階級さえ示せば衛兵は簡単に道をあけた。
「どちら様ですか。謁見許可は?」
これで何度目の質問だろう。
急いでいるのだ、邪魔をしないでくれ。
そう思って早口で告げた。
「レメゲトンのアレイスター=クロウリーとラック=グリフィスだ。許可はないが緊急で話したい」
と、ふと衛兵の背後に同じレメゲトンのベアトリーチェ=アリギエリ女爵が現れた。
「クロウリー伯爵、ゼデキヤ王がお待ちです。すぐ中にどうぞ」
やはり何かあったらしい。
様々な可能性をめぐらせて、気を引き締めた。
その空気が伝わってしまったのか黙々と後ろから付いて来ていたガキが表情を強張らせた。きっとこいつもこの緊迫した空気を感じ取っているはずだ。
王の執務室は相変わらず書類の山に埋まっていた。
が、いつもにこやかに応対するゼデキヤ王の表情がいつもとまるで違う。
「すまぬな、クロウリー伯爵、それにラックも来ているか。すぐにヴァイヤー老師とメイザース侯爵も来るだろう」
「……一体何があったのですか?」
ねえさんの姿もない。城の警備は今までになく厳しい。
あまりよくないことが起こったのは一目瞭然だ。
ゼデキヤ王は表情を硬くした。
「全員が集まってから話そう。大変な事態が起きた」
「それはねえちゃんが昨日から帰らないことと関係あるの……?」
ガキが不安そうな顔で聞く。
その瞬間、明らかにゼデキヤ王の顔が強張った。
それにつられるようにガキの目が大きく見開かれてまるで泣きそうな顔になった――これは、自分が一番見たくない表情だ。
平静を装ってぽん、と肩に手を置いた。
「落ち着け、ガキ」
「……ガキって言うな」
いつもの台詞に覇気がない。余裕のない表情を見ているとこちらまで緊張が伝わってくる。
それだけこのガキの中でねえさんの存在は大きいということだ。
それに気づいて少し胸が痛んだ。今はねえさんの身を案じねばならない時なのに、2人の間の絆を感じるだけで喩えようもない切なさに襲われてしまう。
今にも泣きそうに歪んだ横顔を見ているだけで胸が締め付けられるように痛い。
「すみません、遅くなりました」
少し待っていると同じレメゲトンのメイザース侯爵が姿を現した。
会うのは2年ぶりくらいだったが、ぼさぼさと長い前髪も黒いフレームの眼鏡も記憶の中にあるとおりだった。
濃い紺のローブをはたはたとはためかせて、メイザース侯爵は慌てて執務室に入ってきた。
そして一渡り見渡すと、ガキのところで視線をとめた。
「見たことのないヒトがいますよ?」
ゼデキヤ王が簡単に紹介し、ガキは最近できるようになった『目上の人への挨拶』を実行した。
本当に急用らしく、ゼデキヤ王はその後すぐに本題に入った。
「これはジュデッカ城内とレメゲトンだけで内密に処理したい……極秘事項として扱ってくれ」
「昨日の晩ですか? いったい何が……」
「セフィラが、現れたのだ」
「!」
思わず絶句した。いったい何のためだ?!
「このジュデッカ城にですか?!」
「そうだ。正確には夕刻、地下牢獄での出来事だ。ファウスト女伯爵が第18番目の悪魔バシンを使いセフィラもろとも何処かへと空間転移したのだ」
「ねえちゃんが……!」
ガキの声が微かに震えている。
隣にいるだけで動揺が伝わってくる。
「昨夜は騒ぎを収めるので手一杯だった。ファウスト女伯爵の身が案じられる」
「……探しに行かなくちゃ!」
ほとんど間髪いれずにガキが叫んだ。
それに重ねるようにしてゼデキヤ王が続ける。
「捜索にクロウリー伯爵とラック、それとアリギエリ女爵を任命したい」
「ゼデキヤ王?!」
思わず叫んだ。
どうしてそんな配分になるんだ?!
長のねえさんがいない以上本来は後衛担当のアリギエリ女爵が前衛に抜擢されるのは仕方がないとしても、なぜこのガキが?!
しかもこの言い方からすると自分がガキを連れまわすという図式になりそうだ。
「このガキを連れて行けというんですか?! セフィラと交戦するかもしれないのですよ?!」
ゼデキヤ王の考えが分からない。
つい先日レメゲトンになったばかりで何も知らないこのガキにいったい何をさせるつもりなのか。そもそもこいつは3年以上前の記憶もなく、グリフィス家の末裔であるという自覚も全くない。
そのくそガキを連れて行っていったい何をさせようというのか。
「だいじょうぶだ、おれも行く!」
「だめだ、お前は残っていろ」
「やだ!」
「どれだけ危険か分かっているのか!」
ゼデキヤ王の面前ということも忘れて頭から叱り付けた。
だが、くそガキの瞳に灯った意思の光は揺るがない。
「危険でもねえちゃんが……」
「くそガキ!」
この頑固者が!
その様子を見てゼデキヤ王が静かに告げた。
「クロウリー伯爵、ラックも連れて行ってはどうだ。そう頑なに断るものではない」
「……セフィラに会うには、足手纏いです。こんなガキ」
正直に告げると、以外にもくそじじぃが援護した。
「確かにそれは言える」
「何でだよ、じぃ様!」
ガキは目を見開いて抗議する。
「今回のセフィラもあのティファレトだ」
くそじじぃの言葉にどきりとしたのは何もガキだけではない。
銀髪に群青の瞳、陶器のように白い肌……ミカエルとそっくりの容姿をした双子のセフィラの様子を思い浮かべて、思わず舌打ちする心境だった。
このくそガキがなぜか異常なまでに固執し、また相手もこのくそガキを殺すことに執着している。次に顔を合わせれば、また戦いになることは避けられない。
会わせる事は非常な危険を伴う。
「お主はティファレトに執着しておる。捕われては危険だ」
まさにくそじじぃの言うとおりだ。
「それもお主はまだアガレスしか使えんだろう? セフィラの前で堕天のコインは無力……それは自分がよく知っておろう?」
じじぃの台詞は明らかに自分にも向けられている。そして、アリギエリ女爵にも注意を喚起しているはずだ。
セフィラとの戦闘においてマルコシアスは召還できない。
やはり新たな悪魔との契約が必要だ。
「無論それはこの若造にも言えることだが、若造はそこそこ剣術の嗜みがある。何しろ炎妖玉騎士団では若干20歳にして部隊長にまで上り詰めた男だ。だが、お主は……」
「じゃあフラウロスさんと契約する!」
「!」
思っても見なかった台詞がガキの口から飛び出した。
しかもそれは偶然か必然か自分がたたき出した答えと全く一緒だった。
堕天のコインが使えないなら新しく契約すればいい。自分の能力を磨く時間がない今、最も当たり前で理にかなった――しかし、最も危険な答えだった。
まさかこのガキがそれに気づくとは。
どうやら自分は未だこのガキの可能性を見くびっていたようだ。
「今すぐ! そしたら行ってもいいでしょう、ねえ、王様!」
ゼデキヤ王は一瞬考えた。
いや、考えるポーズをとっているように見えた。
「よかろう」
「ゼデキヤ王!」
思わず叫んだが、ゼデキヤ王の厳しい瞳で射抜かれた。
心臓がどくり、と跳ね上がる。
「クロウリー伯爵、ラックを連れて行きなさい。おそらくその洞察力は役に立つはずだ。フラウロスとの契約後、すぐに出発せよ」
ねえさんと同じ、帝王の瞳――人の上に立ち、人を導き、絶対的な信念のもと意思を遂行させることができる者だけが持つ瞳だ。
「……御意」
この瞳に逆らう術はない。
「セフィラの目的が全く分からない。白昼堂々城に空間転移してきた理由も、何を探して城内に侵入したのかも。分からぬ以上慎重な行動を願う。ヴァイヤー老師は引き続き占星術を、アリギエリ女爵はすぐに出発、メイザース侯爵は史料を探してくれ。特にセフィラとの戦いについてだ」
「はい」
「かしこまりました」
レメゲトンがそれぞれ持ち場に散り、ガキはくそじじぃについて出て行った。




