SECT.7 答エ得ヌ問イ
かたり、とテラスに続く部屋の扉が開いた。
「おお!」
義兄は歓声を上げて立ち上がった。
その先にあるのは、見慣れた姉の姿。
そして……
「美しい! 本当にこのまま娘にしてしまいたいくらいだ。」
オレンジのワンピースに身を包んだ見慣れない少女の姿だった。
漆黒の瞳がこちらに向けられる。
思わずどきりとした。
淡い桃のラインが唇を際立たせていた。黒髪に黒瞳、象牙色の肌に淡い橙の色がよく映えている。袖なしのワンピースから伸びた細腕と膝から下が完全にあらわになっているのが目を惹く。、おそらくはコインを隠すためであろう白い手袋、黒髪に目立つ蒼水星の髪留めもセンスがいい。さらに首には銀のネックレスをしていた。
よく見れば右手首にアガレスのコインを付けているのに気づけたはずなのに、それよりも何よりもいつもと雰囲気が全く違う少女の姿に圧倒されていた。
まるでどこかの貴族の令嬢のように楚々とした雰囲気に息を呑んだ。
それなのにまったくたどたどしい足取りで歩いている。その千鳥足はとても貴族の令嬢とは思えない。
一気に現実に引き戻された気分だった。
足元を見ると慣れないヒールを履いて苦労しているようだ。
そのオレンジの華奢な靴もとてもよく似合っていたが、本人にとっては苦労以外の何者も生まなかったようだ。
少女はふらふらと歩いてきてテラスに出ようとしたところでさらに派手に躓いた。
危ない、と思うより先に体が動いていた。
思わず支えた肢体は先ほどまで剣を振るっていた者と同一とは思えないほどに軽かった。
その軽さに驚いて、思わず目を逸らしてしまった。
「ありがとう」
そう言って少女が微笑みかける。
踵の高い靴を履いているおかげでいつもより近い漆黒の瞳と、薄くラインを引いた桃色の唇に視線が釘付けになった。
その視線に気づいているのかいないのか、少女は重ねた右手を見て、それから自分をもう一度見上げてにこりと微笑んだ。
「少しだけ近づいたね」
心から嬉しそうにそう言われても、返す言葉が思いつかない。
「……気のせいだ」
かなりそっけない言い方になってしまったのは仕方がないだろう。
「さあ、お茶にしましょう。美味しいハーブティがあるのよ」
姉上がぱんぱん、と手を叩いた。
その音ではっとした。
体に染み付いている動きで椅子を引いて少女を誘った。
すんなり座ることができた少女は驚いたように自分を見上げ、同じようにして姉上が座りやすいように椅子を引いた義兄上を見て驚いたように目を丸くしていた。
何がそんなに珍しいんだ?
「クッキーは好きかしら?」
「大好き!」
姉上の言葉に即答した。
やはり見掛けは変わっても中身は同じだ。
「それじゃ、ケーキは?」
「甘いものは全部好きだよ。とくにフルーツケーキが好き。クリームたっぷりのやつ!」
「そう、それじゃ明日は作っておくわ」
「ほんと?」
嬉しそうな顔をした少女に義兄上が微笑みかける。
「明日からはここに通うといい。マルコシアスとアレイのようにはいかないかもしれないが、いくらか剣術と馬術の指南をしよう」
ガキはいつものように破顔した。
「ありがとう!」
なぜかその笑顔にほっとしている自分がいた。
これでガキの稽古も頼んだし、心置きなく契約に臨める。
「ねえさんには俺から話しておく。とりあえず一週間待っていろ」
「うん、いいよ。帰ってきたら遊びに行こう」
「あらアレイ、どこかへ行くの?」
姉上が聞いた。
だが、ガキに契約のことを悟られたくなかった。他人の痛みを自分のことのように受け取ってしまうガキに余計な心配をかけたくなかった。
「……すぐ戻る」
一言返すと、義兄が楽しそうに付け加えた。
「うちの王子は姫に余計な心配をかけたくないそうだよ、ダイアナ」
「あらそう。意地っ張りも変わらないわねえ」
姉上がくすくすと笑う。
その様子を見たガキもつられたように微笑んだ。
そして、どこをどうしたらそうなるのか、ガキのブラックボックスはまたも謎の回答をたたき出してきた。
「ダイアナさんが母さんだったらよかったのに」
いったいそれはどういう意味だ?
姉上の驚いたような顔も当然だ。
考えるのも嫌で頭に手を当てて黙り込むことにした。
「もしかして嫌だった……?」
ガキが不安そうに姉上を見つめる。
その瞳に邪気はない。
本当に素直にそう思ったのだろう。それは分かっているが、どうしてそうなるんだ?!
姉上も姉上で嬉しそうに微笑み返した。
「いいえ、嬉しいわ。私もあなたのような娘が欲しいわ」
「よかった!」
「でも、どちらかというと娘より妹がいいわね。それならきっと今からでも遅くないはずよ」
「そうなの?」
またその話題か!
ねえさんといい姉上といい、いったい俺をどれだけ苛めたら気が済むんだ?!
かろうじて絞り出すような声でこう言った。
「姉上……そろそろお暇します」
とにかくこういう時は逃げるに限る。
「あら、もう帰ってしまうの? 寂しいわ」
「明日からこのくそガキをよろしくお願いします」
そう言ってさっと席を立った。
「待ってよ! おれも一緒に帰るよ!」
ガキが慌てて席を立って、追いかけてくる気配がした。
が、靴音のリズムがおかしい。
振り向くと案の定歩きにくそうにふらふらとこちらにやってくる姿が見えた。
ため息を一つついて、手を差し出してやる。
「似合わない靴を履くからだ」
皮肉を言ったはずなのにガキは嬉しそうに笑った。
まったく意味が分からない。
ガキは姉上の服を貰って帰るようだ。着替えればいいのにどうやらそのまま帰るらしい。
仕方なく馬上に引っ張りあげてやると、ガキはおとなしく縮こまった。どうやらこれでも騎手の邪魔にならないよう気を使っているらしい。
「アレイ!」
走り出す直前義兄上の声が追いかけてきた。
「マルコシアスのご加護を!」
多くの感情を含んだその言葉に、軽く頭を下げる。
馬は一つ甲高く嘶いて走り出した。
いまだ腕の中で縮こまっているガキに、風の音に負けないよう叫ぶように伝える。
「ねえさんの屋敷まで送ってやる。ついでにねえさんに話もあるからな」
「ありがとう」
そうするとガキは不思議そうな目でこちらを見上げている。
漆黒の瞳がいつになく近い。
「……どうかしたか?」
「あのさ」
ガキは首を傾げながらとんでもない質問をした。
「何でアレイさんは優しかったりイジワルだったりするの?」
思わず絶句した。
答えるに答えられない。それは俺が一番知りたいことだ。優しくしようと思っているのになぜか目の前にするとうまくいかない。時に感情のコントロールが聞かなくなる事だってある。
それはお前のせいだ。
そう言いかけて顔が引きつりそうになるのをこらえた。
どうしようもなく口をつぐんで、答えることはしなかった。




