SECT.4 馬上ノ移動
場所を移動するため、馬小屋に向かった。特に自分の馬を決めているわけではない。その時々に応じて毎回違う馬を選んでいた。
馬具をそろえながら、ガキに聞いてみる。
「馬には乗れるのか?」
「乗ってるくらいならできるんじゃないかな」
そんなことは聞いていない!
叫びそうになったのをこらえてもう一度聞く。
「違う、馬術はやったことがあるかと聞いているんだ」
「ないよ」
こうやってたまに剣術のほかにも学ばねばならないことが多いのを再認識する。
口の聞き方や日常の礼儀作法、身のこなし、一般常識……そういったものはおそらくねえさんがこのガキに叩き込んでくれるはずだ。だとすれば自分が教えねばならないのは剣術や馬術、必要とあらば弓や槍の使い方など、自分の身を守る手段だろう。
そう考えて大きくため息をついた。
このままでは本当にこのガキの父親にでもなってしまいそうだ。
まあとにかく何においても馬術は必要だ。
「それも頼んでおこう」
今は仕方がないので二人乗りをするしかない。
先に馬に乗って右手を差し出したが、ガキは口をぽかりとあけた阿呆面で首を傾げて見上げている。
「早くしろ」
だが、全く分かっていないようだ。
いらいらして思わず叫んでしまった。
「乗れと言ってるんだ」
「じゃあそう言ってよ!」
普通分かるだろう!
さらに叫びかけたが無駄にエネルギーを消費したくないと思って踏みとどまる。エネルギーは消費しないがストレスはたまっていく一方かもしれない。
そう思いながらガキの体を馬上に引き上げて座らせた。
万能に見えて実は唯一馬術を苦手としていた姉上をよくのせていたので二人乗りには慣れていた。
「少しじっとしていろ」
「うん」
ちょこんとおとなしく座ったガキは、なぜか漆黒の瞳でじっと見つめてきた。
その視線がどうにも気恥ずかしい。
「何だ?」
「アレイさんは何でもできるんだねー」
「は?」
ああ、またこのガキはよく分からないことを言い出した。
「剣術も馬術も、悪魔と契約だってしてるし……すごいね!」
満面の笑みに思わず心臓が跳ね上がる。
このガキは全くもって何もかも反則だ。言動と一致しないこの容姿も、天真爛漫な笑顔も、唐突に人を褒める素直さも……どれをとっても心臓に悪すぎる。
しかし、動揺したことを悟られたくなくてぶっきらぼうに言い放った。
「……落ちないようにしっかりつかまってろ」
「うん」
馬は一つ甲高くいななくと、走り出した。
こうして見るとガキはやはり華奢だなと思う。
常人以上の身体能力を有しているのは確かだが、そのせいか無駄な肉がなくどこもかしこも細い。腕も首筋も少し力をこめると折れてしまいそうだ。
姉上のときは意識しなかった近さを意識してしまって心臓の拍動が速まった。
半分ほど自分のせいではあるのだが、このガキはもう少し警戒心というものを身につけたほうがいいだろう。二人乗りは失敗だったかもしれない。
そんなことを思っていると、腕の中にいる状態になっているガキが不意に漆黒の瞳で見上げてきた。
「どこに行くの?」
「お前がこれから世話になる漆黒星騎士団の団長のところだ。そろそろ挨拶にいってもいい時期だろう」
そう、これからはこのガキを漆黒星騎士団長クラウド=フォーチュン侯爵に預けるつもりだった。
義兄上は基本的に王都に在住している。それに、どうせ鍛えてもらうなら後々所属する部隊がいいだろうと思っての決断だった。それも義兄上の使う剣はマルコシアスの求める剣技に近い。
今日はおそらく義兄上も休暇で屋敷にいるはずだった。2日前訪れたとき、珍しい長期休暇だといってのんびりしていたのを覚えていた。
最も長期休暇の理由はこれから戦争が起こるかもしれない事態に備えた軍備強化に向けての最後の休日と言った意味合いだが。
「騎士団長さん!」
ガキは嬉しそうに笑った。
「どんなヒト?」
「歴史上レティシア=クロウリーに次いで若い年齢で騎士団長に就任された方だ。クラウド=フォーチュン騎士団長、侯爵の位もお持ちだ」
「いくつくらい?」
「もう30は越したがとてもそうは見えない。そうだな、雰囲気は少しクローセルに似ているかもしれない」
「へえー。きれいなヒトなんだね」
そうだ、ねえさんから聞いていたがどうやらこいつは面食いらしいのだ。
そのためマルコシアスのこともクローセルのことも気に入っているが、失礼だがそれほど整った顔立ちとは言えないゼデキヤ王に対する顔の評価、というか顔の忘却具合はひどいものだったらしい。
ねえさんが言うに、あの銀髪のセフィラに引かれた理由はそのへんにもあるんじゃないか、ということらしいが……そんなこと知りたくもない。
「剣の腕は一流で、古武術にも秀でた方だ。きっとお前のよい師になってくださるだろう」
「アレイさんは騎士団長さんと仲良しなの?」
「……義兄だ」
「お兄さん?」
「姉上の、結婚相手だ」
「アレイさんにお姉さんがいたんだ!」
ああ、そうだ。この姉のことを失念していた。
ぜひ会ってみたいわ、裏のある表情でそういった姉上の顔が脳裏によみがえった。ここのところずっと会うたびにその台詞を繰り返される。
この状況を――いわゆる自分の片思いであるというこの関係を姉上が楽しまないはずはない。
いったいどういうことを言われるのか……
それを思っただけで少し憂鬱だった。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
目の前にはフォーチュン侯爵の屋敷が迫っていた。




