SECT.22 嵐ノ予感
城には遠方、時には国外からの客も多い。
王の職務が忙しくなかなか謁見できない上客のために、散歩用の遊歩道も存在する手入れの行き届いた庭が広がっている。
夏に向かうこの時期最も目立つのは淡い橙の花弁を開く愛らしい花だ。東方から渡ってきた種を先代ヨヤキン王が気に入り一面に植えたのだという。名は確かヤマブキ、と言った。
腰より低いくらいの位置に並んで風に揺れる様が黄色の絨毯のように見えた。
天頂を少し過ぎた太陽はじりじりと照りつける。夏が来るのは時間の問題だろう。だが、風はまだ春の涼しさを含んでいる。木陰で休むにはうってつけの季節だ。
根元で昼寝をするにはちょうどよさそうな木を見つけ、根元に座り込んだ。
足を伸ばして幹にもたれかかると眠気が襲ってくる。
なんだかんだ昨日は心配のあまりほとんど睡眠をとっていない。ついでに体力回復をはかろうか……と迷っていると、唐突に後ろから声がした。
「何だ、休憩中か? レメゲトン殿」
若々しさが残る爽やかなテノール。
振り向くと、木の裏から漆黒の騎士の正装を纏った男性が現れた。身分の高い騎士の衣装に似合わぬ薄汚れた黒のバンダナをしており、声に似合う涼やかな笑みを唇にたたえている。
「……フォーチュン侯爵」
「よそよそしい呼び方をするな、アレイ」
「お久しぶりです、義兄上」
その騎士――クラウド=フォーチュン漆黒星騎士団長は、義弟の隣に腰を下ろした。
「無愛想はあまり変わっていないようだな、アレイ」
「申し訳ありません」
「いや、それはお前の長所だと思っているよ」
どうして無愛想が長所なのか。
全員何を考えているのか全く分からない――ねえさんも、姉上も、この義兄上も……あのガキも。
王国に12ある騎士団のうち最強と呼ばれる3つのうち漆黒星騎士団長を務める義兄上は子供の頃からずっと憧れの存在だった。王国最強の騎士という名誉をほしいままにし、自分が15歳で炎妖玉騎士団に入った頃にはすでに若干22歳で副団長になっていた。
それから10年近くたった今では名実共に騎士団長という職がすっかり板についている。
騎士道に全力を注いだ結果、結婚は少々遅く29歳で姉と籍を入れたが子供はまだいない。義兄自身兄弟がいないせいもあってか自分に目をかけてくれることが多かった。
「剣の稽古は欠かしていないかな?」
「はい。マルコシアスにしごかれています」
「では今度手合わせ願おうか。王都に在住するようになるとゼデキヤ王から聞いているよ」
「ぜひよろしくお願いします」
1年前よりは格段に強くなっている自信がある。それを確かめてみたい。
「それはそうと……」
義兄は翡翠の瞳で自分を覗き込んだ。
「やっとお前にも大切な人が現れたらしいね」
「……誰がそんなことを?」
「もちろん愛すべき我が妻から」
つまりは、姉上が話したということだ。
すっかり癖になってしまったため息を盛大に吐き出した。
「いや、心配していたんだよ。私のように30近くなってからでは妻になってくれる人を探すのも大変でね」
いや、そんなことはないだろう。
国家騎士団長に嫁入りしたい女性などごまんといるはずだ。
特にこの義兄は飛びきり美人の姉上が隣に立っても見栄えのする眉目の整った美男子だ。とても三十路を超えたとは思えない爽やかさと根っからの騎士道精神による優しさで数多の女性を虜にしてきたはずだ。
「何でもグリフィス家の末裔だという話じゃないか。それも、絶世の美女だとか。鋭い観察眼を持ち、ファウスト女伯爵が大切に3年間教育した秘蔵っ子という話だぞ」
どうも話に尾ひれがついている気がする。どうしてそんな話になっているんだ?
あながち間違ったことは伝わっていない気はするが、いかんせん大げさだ。しかも『鳥頭』の『阿呆』だという肝心な情報が付随していなければあのガキのことを説明できたとはとてもいえないだろう。
まあ、人の噂などそんなものだ。
「とにかく義兄上も一度お会いしてみてください。そうすれば分かるはずです」
「自信満々だな! ぜひ紹介して欲しいものだ」
「……」
別にあのガキと自分はそんな関係ではない。
いったいどういう関係なのかと聞かれるとそれはそれで困るのだが……
眉を寄せて考え込んでいると、義兄は少しだけ表情を引き締めた。
「では、噂はこのくらいにして少しだけまじめな話をしようか?」
「何でしょう」
「戦のことだ」
「!」
唐突に現実味を帯びた話になって、思わず義兄の顔を覗き込んだ。
「おそらく時間の問題だ。ゼデキヤ王は回避すべく奮闘されているが、セフィロト国は完全に戦の姿勢を打ち出している。騎士団のほうにも気を引き締めるよう伝えてある。特にセフィロトとの国境を守る炎妖玉騎士団にはな」
「それほどまでに……」
「これまでもさほど仲が良かったわけではないが、現ネブカドネツァル王が就任してからは特に好戦的な姿勢を強めてきた」
3年間。自分が騎士の道を諦めてからたったそれだけの期間しか経っていないのに、情勢は刻一刻と変化していく。
「カトランジェの街にセフィラが現れたことも聞いた。内偵にセフィラを派遣するとは、ネブカドネツァル王も本気だ。アレイ、お前が捕まえたのだったな?」
「はい」
銀髪に群青の瞳のセフィラを思い出す。彫刻のように整った顔立ちと肌の白さが人間離れしていて、戦闘能力も現在の自分とはる強さだった。
そう、そしてあのガキはセフィラに心奪われているのだ。
会いたい会いたいと繰り返したガキは必死だった。その様子を思い出すだけで心のどこかが重くなる。
少し視線を落とした自分には気づかぬ振りをしてくれた義兄は言葉を続けた。
「明日には処刑が行われるらしい」
「当然の処置です。もっと早くてもおかしくない」
「ああ、そうだ。セフィラを普通の獄で一般兵の見張りの下で閉じ込めて置けるはずがない。おかしいと思わないか?」
「……あのセフィラはまだ一回も天使を召還していません」
「そうだ。あの二人のセフィラはまだ切り札を隠し持っている。捕まった事も内偵手段の一つではないか疑ってかかるくらいでないと駄目だ」
「分かりました。気をつけます」
「ファウスト伯爵に寄ればあの二人は第6番目の『ティファレト』らしい」
「とすれば召還するのはミカエル――メタトロン、サンダルフォンに次ぐ天使です。こちらも悪魔を召還せねば勝ち目はないでしょう」
「……アレイ」
「はい」
「用心せよ。嫌な予感がするのだ」
「分かりました」
これまでの経験上、この義兄の勘はよくあたる。
ふいに胸騒ぎがした。
「すみません、少し……戻ります」
「ああ、呼び止めてすまなかったな。今度その新しくレメゲトンになった女性を連れてぜひ遊びに来るといい。きっと妻も喜ぶ」
「はい」
深く礼をしてからすぐ神殿へ向かう。
神殿の隣には何日も王都に滞在する客が宿泊する建物があり、先ほどまで昼食をとっていたのもそこだ。
今度はヤマブキの花に目を奪われることなくまっすぐに戻ってきた。
先ほど昼食をとった部屋に入ると、テーブルに着いているのはくそじじぃ一人だった。
「じじぃ。二人はどこ行った?」
「人にものを尋ねる時はもっと丁寧な口をきくもんだ、若造」
「教えてくれ。嫌な予感がする……!」
「……」
くそじじぃは少し迷っているように見えた。
「まさか!」
「じぃ様には想い人に会いたいという孫娘を止められんのだよ」
「くそ!」
よりにもよってあのセフィラに会いに行くなんて。
危険だということは誰よりねえさんが分かっていたはずだろうに!
間髪入れずに駆け出した。神殿にもジュデッカ城本館も素通りし、真直ぐに囚人を収容する塔へと向かう。
昔は大嫌いだった真っ暗な階段を何段も飛ばして駆け下りた。
その時点で何かが壊れる音が地下に大きく響いた。
十以上並ぶ牢獄の前を駆け抜けて目に入ったのは……天使ミカエルを召還したセフィラの姿だった。




