SECT.2 面影ニ映シテ
朝日が昇りきる前に宿に戻らなくては怪しまれる。
窓から隠れるように部屋に侵入し、侵何もなかったかのように宿を出た。
太陽の光に溢れ始めた街に出て、ひとつ大きく深呼吸する。灰色の石畳は光を反射して眩しかった。
何にせよ、とりあえず倒した方の銀髪を回収せねば。
闇色のマントを羽織って歩き出した。これは先代から引き継いだものだ。先代もマルコシアスを使役して王国のために尽力したらしい。
これを纏うのは、自分の責務を忘れないためだった。
ともすれば逃げ出したくなる、この場所から逃げ出さないように。
まず昨晩の路地裏に向かおうとベージュの石畳のメインストリートを歩いていると、おかしな少年が目に入った。
いや、遠目には少年に見えたが近寄ってみると20にはほんのわずか届かないくらいの少女だった。
大きな漆黒の瞳をきらきらと輝かせながら、やたらと派手な色をしたインコに何か熱心に話しかけている姿はまるで幼い子供のようだ。
水色のバンダナで隠れていて髪の色はわからないが、袖から伸びる手足は象牙色ですんなりと伸びている。
何より、屈託なくこぼす笑顔に思わず視線を釘付けにされた。
どくん、と一つ心臓が脈打った。
全身の血が騒ぐ。
なんだ、これは……?
「ちびマスターはいつもつれないな!」
よく分からない台詞を吐いて、少女は派手なインコにひらひらと手を振りながら駆け出した。
風に逆らわず自分の真横を駆け抜けていった。
おかしな奴だ。
特別気に留めるようなことでもなかったのになぜかとても気になる。子供のように笑った顔が脳裏に焼きついてしまった。
そして心の底から湧きあがるこの感情は、一体なんだ――?
昨日セフィラと戦った場所までの道は覚えていた。
だが……
「逃がしたか」
路地裏に銀髪の男の姿はなかった。
代わりに血が転々と落ちており、かなりの重症であったことだけがわかった。
仕方がないので、当初の目的だった上官の元へ向かうことにした。予定より少しばかり早いが彼女には許してもらえるだろう。
世間一般的に言えば文句なしに美女と呼ばれる容姿をしている上官は、その容姿を生かして表の顔として情報屋とバーの店主を装いながら、王命を受けた3年前から確実に任務をこなしているのだった。
ベージュの石畳は再び灰色に戻り、市の開かれるメインストリートとは違ってあたりの人影も減ってきた。
このあたりは飲み屋街だ。
そのうち一軒の酒場を選ぶと半地下のその店に入っていった。
「あら、アレイ。早かったのね」
カウンターの向こうから明るいメゾソプラノが投げかけられた。
ちょうど洗い物の最中だったらしくカウンターの向こうからは水音がしていた。
久しぶりに会う上官は以前会ったときと変わらず美しかった。
腰まであるストレートのブロンドに縁取られた白い頬、気まぐれ猫のような金の瞳、それに絶妙なカーブを描くこの体のラインで幾多の客を獲得してきたんだろう。
カウンター席に腰掛けると、上官は湯気のたつコーヒーを出してくれた。
それを一口含んで挨拶を抜きに本題に入った。
「昨日……セフィラに会った」
「!」
上官はそれこそ猫のような目を吊り上げた。
「夜中だ。街に入ってからおかしな気配がしていた」
「……なんて事」
上官は頭を抑えた。
「こんなご時勢とは言え、困ったわね。とりあえず王都に報告するわ。疲れているでしょう? 奥で休んでて」
「ありがとう」
店の奥には簡素なベッドがいくつか並んでいる。酔いつぶれてしまった客を寝かすためのものだろう。
「夕方くらいまで待って。私のほうもいろいろと話したいことがあるの」
「了解した」
上官を後ろに見送って、奥の部屋に入る。
変わっていないベッドの一つに寝転がると、瞼の裏に焼きついた先ほどの少女の姿が浮かんできた。
なぜ、こんなに気になるのだろう。
あの漆黒の瞳が、屈託のない笑顔が焼きついてはなれない。
なぜだろう。
驚く程正直に、心より先に体が反応した。
全身の血が何かを訴えるように熱くなった。
「一体何なんだ……」
自分に課せられた仕事はただ一つ、失われたコイン――ロストコインを探し出すことのはずだ。それ以外のことは考えなくてもいい。
不穏な考えを消すように、仮眠をとるため本格的にベッドに横になった。
夕方、上官の声で起こされた。
「ごめんなさい、アレイ。ラックが帰ってこないの。もうとっくに戻ってもいい時間なのに……」
「ラック……?」
「私が引き取って育ててる子よ。ラックって言うの。その子がまだ帰らなくて……何かあったのかしら。こんなこと初めてだわ」
これまで見たことがないほどに狼狽した様子の上官は、まるで子を持つ親のようだった。
「今から探しに行くの。アレイ、手伝ってくれる?」
「かまわないが……」
「ありがとう」
外に出る支度を整えて店に出ると、上官が早口でまくし立てた。
「肩にかかるくらいの黒髪で黒い瞳がぱっちりした、笑顔がかわいい18くらいの女の子よ。華奢な感じで肌は象牙色。話し方は少しおっとりしているけど、男の子みたいな格好をしているからすぐにわかると思うわ。見つけたらすぐに連絡を頂戴」
その容姿には見覚えがある。
昼間、視線を釘づけにされた少女だった。
街中をかなり探した。真っ赤な夕陽に照らされた街並みはとても温かく心地よい空気で満たされていた。
店じまいの準備をしている場所がほとんどで、勤め先から帰るのであろう人々の姿もちらほら見える。
だが少女の姿は影も形もない。
日が西に沈んでしばらく、一度店に戻ることにした。
「アレイ、お帰りなさい……」
暗い響きを含んだ上官の声が出迎えた。
「いないのよ、あの子……街の人たちの話だと、昼にはもう姿を消していたらしいわ」
金の瞳には絶望の色が濃く映っている。
「考えたくないのだけれど、あの子、セフィラにつかまったかもしれない」
「セフィラに? なぜ?」
「……」
上官は口をつぐんだ。
肩が震えている。
「なぜなんだ?」
もう一度ゆっくりと聞いた。
「それは……あの子が……」
上官は恐ろしく信じがたい言葉をつむぎだした。
「私たちが探しているもの《・・・・・・・・・・・》を持っているからよ」
一瞬反応できなかった。
だが、探しているものといえば一つしかない。
「あの少女がロストコインの持ち主だというのか?」
「ええ、そうよ」
上官の青ざめた顔がひどく印象的だった。
「いったい」
「お願い。あの子を探して。下手をしたら殺されてしまっているかもしれないわ……」
「何のコインだ」
「後で全部話すわ。あの子が帰ってきさえすれば」
「……」
聞きたいことは山ほどあった。
なぜロストコインを見つけたのに国に報告せずずっと持ち主の少女を育てていたのか。その少女の持つコインは何番目か。
しかし、上官の必死さが嫌というほどに伝わってきたから、夜が明ける前に店を出てもう一度少女を探すことにした。
まさかこんなことになろうとは。
いや、これがただの始まりで、あの少女とこの先長く付き合っていくことになろうとは夢にも思っていなかった。
ただ、まぶたの裏に焼きついたあの少女の屈託のない笑顔だけが闇夜の明かりのように輝いていた。




