SECT.15 渡サレシ悪魔
気が気でない心情をもてあましながら数年ぶりに姉と向かい合わせで昼食をとってからすぐ、ねえさんに言われたように謁見用に馬車を手配して家を出た。
実の姉は家の外まで見送りに出て手を振っていたがとても振り返す余裕はなかった。
そう言えばガキの服はちゃんと用意できたのだろうか?
ねえさんの家の前でしばらく待っていると、ガキが真っ先に馬車に乗り込んできた。
「お前……」
ガキの格好を見て思わず絶句した。
「どういう理由でそんな格好になったんだ?」
「んとね、ヨハンに借りた」
ガキが着ていたのは見習い騎士用の正装だった。そういえばねえさんの実の弟のヨハン=ファウストはついこの間騎士の地位をもらったと聞いた。見習い騎士の正装はもう使わないのだろう。
銀の脛当てと白のマントが妙に似合っていて、なんともいえない感情を全部ため息に乗せて吐き出した。
「……」
ガキは少し困ったように自分のほうを見ていたようだ。
後ろから入ってきたねえさんは天文学者の正装をしていた。
刺繍の入った黒のドレスにシルクの黒いマント。金のチェーンベルトにはコインを下げてある。
「仕方ないわ、本当はドレスを用意したかったのだけれど、私の服が合わないんですもの」
「……そうだろうな」
「残念だったわね、ドレス姿のラックが見られなくて」
もう、いい。
姉上にしてもねえさんにしても俺を好きなように解釈するといい。
抵抗するのもむなしくなって窓の外に目を移した。
「これは女性の天文学者の正装なの。天文学者の位を表す色は黒、そして国を守る役職につくものはマントを羽織ると決まっているわ。何より、古来の女性天文学者は『ウィッチ』と呼ばれ恐れられていた。伝承に残る彼女たちは黒のワンピースに黒のマント……つまり、今の私に近い姿をしていたと言われているのよ」
なるほどと頷いたガキは、自分のほうに目を向けた。
「アレイさんはいつものマントと違うね」
普段着のマントを着て王に謁見するわけがないだろう!
と叫びかけてぐっとこらえる。
無駄に叫んで体力を消耗するのも癪だ。
自分の服はねえさんのドレスと同じように刺繍が縫い取ってある黒を貴重とした外套を、コインを嵌め込んだ幅の広いベルトで止めている。
他には階級章もないとてもシンプルなものだ。
「これは男性用の正装だ」
「ふうん。おれの格好と似てるね」
本当にもうこいつは……!
「お前と同じ服を着た記憶はない」
「似てるって言っただけじゃないか!」
ねえさんはいつもより少し厳しい口調でたしなめた。
「ラック、ジュデッカ城に入ったら絶対そんな大声出しちゃだめよ?アレイももうすぐ24になるんだから子供をからかうのはやめなさい」
「わー、ねえちゃんまでおれのこと子供って言った!」
「もう、ラックだって20近い年のはずよ? おとなしくしてなさい!」
「むー」
本当に勘弁してくれ。
城に着く前に疲れてしまいそうだったので、ずっと窓の外の見慣れた景色だけを眺めていた。
4年ぶりのレメゲトン認証式。
この時ばかりは堅苦しいことを厭う王も正装で正式の場に現れる。普段は城の奥に厳重に保管してある王冠を引きずり出してきたのか、あの分厚いマントはどこにしまっているのか、謎は尽きないが謁見の間に入った瞬間の張り詰めた空気は本物だった。
情に厚い、気さくな王として名高いゼデキヤ王だが、その威厳は王族のものとして申し分ない。
「ただいま参上いたしました」
ねえさんと並んで進み出て、赤い絨毯に膝をついた。
純白の甲冑に身を包んだ輝光石騎士団長サンアンドレアス=ヴァルディスと、漆黒の甲冑に身を包んだ漆黒星騎士団長クラウド=フォーチュン。
「堅苦しい挨拶はよい。今回はグリフィス家の末裔にグリモワール王国レメゲトンの位と使役するコインを与えるために呼んだのだ」
「はい」
ねえさんがガキのほうを振り向いて、前に進むよう促した。
ガキがおずおずと前に進み出る。先ほど城に入ったときも思ったが、どうやらこいつでも緊張することがあるらしい。
「名は?」
「ラックです」
「ふむ。少女と聞いていたのだが?」
王の問いにはねえさんが言葉を濁した。
「申し訳ございません。なにぶん急なことで正装は間に合わず……」
「そうか」
王は特別そのことについて言及するつもりはないようだ。
普段から謁見の間を封印に近い状態で放置している王のことだ。格式についてどうこう言うつもりはないのだろう。
「少女、これからはグリフィス家の末裔としてラック=グリフィスを名乗るがよい」
グリフィスの名を継ぐ。
それがどれほどのことなのか、この鳥頭の少女には理解できないだろう。既に滅びたとされている貴台の天文学者ゲーティア=グリフィスの血が遺されていたというだけで大事件なのだ。
くそガキを正式にグリフィス家の末裔として、国家天文学者レメゲトンとして任命する――この結論に至るまでの数日間、王と貴族議会の間でどれほどのいざこざがあったのかということも。
最終的には王の権限で黙らせてしまった、というのが正確な事実だ。
ねえさんは決してそんな話をくそガキに知らせるつもりはないだろう。自分が語るつもりもない。
そんな面倒な話は、知らなくていい。
こいつが望むのはただ一つ、ねえさんの隣にいることだけなのだから。
「グリモワール王国レメゲトンの位と、第2番目の悪魔アガレスのコインと第64番目の悪魔フラウロスのコインを授ける」
王の言葉に耳を疑った。
フラウロスだと?!
「……ありがとうございます」
ガキが首をかしげながら言った。きっと何がなんだか分かっていないのだろう。
「第2番目の悪魔アガレスは地震を、第64番目の悪魔フラウロスは地獄の業火を操るという。グリモワール王国のため、我がために日々精進せよ……下がってよいぞ。詳しいことは後ほどヴァイヤー老師が伝えるだろう」
「はい」
動揺を悟られぬよう、最後に部屋を出るときもう一度3人で深く礼をしてから、その広間を後にした。




