SECT.20 理解
こんこん、と扉をノックすると、ものすごい勢いで扉が開いた。
ぶつかりそうになって慌てて飛び退ったくそガキを抱きとめると、扉から飛び出してきた女性がそのままくそガキに抱きついた。
「ラック! ああよかった、無事だったのね!」
「ありがとう、ダイアナさん……クラウドさんも」
その後ろから姿を見せた金髪の美丈夫も、穏やかな笑みを湛えていた。
「やあ、久しぶりだね。アレイ」
この人には何もかも知られている。記憶をなくす前も、失くしている間も、そして今も自分の考えていることなどお見通しなんだろう。
「……お久しぶりです、義兄上」
「相変わらず無愛想は治っていないようだね!」
「……久しぶりに会った義弟への台詞はそれですか」
はあ、とため息をつくと、彼は肩をすくめて微笑んだ。
「褒めているんだよ?」
ああ、この人は変わらない。
きっと世界が終わる日でもこの微笑みで自分達を迎え入れてくれるんだろう。
「ただ今、戻りました」
そう言うと、思わず笑みがこぼれた。
無事な姿で再会できた幸せ。それだけで、いい。
「心配したのよ、アレイ。この街で見つけたという報告を受けてすぐ引っ越してきたんだから!」
「無茶は止めてください、姉上。姉上たちも見つかればただでは済まないはずだ」
なにしろ漆黒星騎士団長と、名門クロウリー家長女の夫婦だ。セフィロト国から懸賞金をかけられていないはずはない。
それでも姉上は大丈夫よ、と笑い自分たち二人を部屋の中へ導いた。
「静かにね。さっき眠ったところなのよ」
姉上はそう言いながら子供たちのいる部屋の扉をそっと開けた。
妻のグレイスは白い産着にくるまれた二つの命を抱いて、くるり、と振り返った。
その顔は慈愛に満ちていた。少女の幼さは全くない、母の、微笑みだった。
「こっちがね、女の子なの。目の色が紫色でね、アレイさんと一緒だよ。きっと……美人さんになるよ」
そう言って赤子を差し出した。
なんて小さいんだろう。
驚きと共に、恐る恐るその赤子を受け取った。
その赤子は驚くほど軽く、小さく、また弱々しかった。目も開いていない。顔は真っ赤で、真ん丸だ。そこに本当に小さな鼻と、口がぽつんとついているだけだ。
恐ろしいくらいにシンプルな生物だな。
「んで、こっちが男の子。まだ目を開けたところ、見てないんだけど……ほーら、ほっぺがぷにぷにだよ」
彼女はそう言いながら抱いた赤子の頬を指でつんつん、とつついた。
すると赤子はそれに反応するように小さく声を洩らしながら首を振った。
それを見た彼女はまた、優しく微笑む。小さな小さな命を抱いて。
「へへ、可愛い。まだね、あんまり目は見えないらしいよ。でも、皮膚とか嗅覚とかはすげえ敏感なんだって。いっぱい触ってあげてよ!」
その様子を見て、自分の腕の中にいる赤子を見て。
何とも言えない優しさに包まれた。
不思議だ。この子供が、自分の血を継いで、グレイスに宿り、生まれてきた。
ただそれだけのことなのに、どうしてこの心はこんなにも歓喜を叫ぶのだろう。
「……グレイス」
「どしたの? ウォル」
首を傾げてこちらを見る妻が、愛おしい。
そして、生まれたばかりの子も。
「……ありがとう。この子たちに会えて、よかった。本当に、ありがとう」
こんな台詞を言えるのは、きっとお前に会えたから。
この命に、出会えたから。
「へへ、頑張ったんだよ」
もしかすると、幼い記憶にしかない自分の母も、こんな風に優しい笑顔で子を抱いていたのかもしれない。クロウリー家に引き取られた時も、きっと自分の事を一番に考えてくれたに違いない。
それはそうだろう、薄暗い裏町で、明日の食糧にも困るような生活を選ぶくらいなら一度自分を捨てた相手でも子の衣食住を守るために頼ろうと思うのが親心だ。
どうしてだろう。それなのに、自分は、この家族一つ守ることだって出来やしない。
二人と子供と妻と。何より大切なはずなこの3人すら守る事が出来ない。
子を抱く妻の背に手を回して、大きく包み込んだ。
それでも嬉しそうな様子が胸に沁みた。
「……本当にすまない」
だれにも聞こえない声でそっと呟いた。
本当なら家族を守らなくてはいけないのに。傷つけようとする何もかもから。
しかし、自分は近くにいるだけで周囲の人間に危険と不安と破壊をもたらしてしまうのだ。とても、子供の傍にいるわけにはいかないだろう。
いつだったか、まだ未熟だった末裔を王都に残して戦場へ行った。
その時、彼女は行かないで、と泣き喚いた。
きっとこの子供たちだって物心ついていればそう言ったはずだ。
でも、それでも――
子供達をもう一度ベッドに戻してリビングに戻ると、姉上は温かい紅茶を用意して待っていてくれた。
席につき、温かいそのカップを口に運んでから、一つ深呼吸。
「義兄上、姉上……頼みたいことが、あります」
思い切って、切り出した。
心臓が爆発しそうだ。いや、爆発する前に自責の念で切り刻まれて跡形もなく消えてしまえばいい。
自分は父親失格だ。
まだ生まれたばかりなのに。一度抱いただけの命なのに。
今にも震えだしてしまいそうだった。
「大丈夫、分かっているよ」
ところが、次の言葉を紡ぐ前に義兄上がそう言って微笑んだ。
はっとして顔をあげると、穏やかな夫婦は微笑んでいた。
記憶をなくしている間もずっとそうしてくれていたように。
「その言葉を口に出したら、君は、君たちは壊れてしまうかもしれない」
「貴方たちはとても頑張ったの。それは、私たちが誰より知っているわ。戦いなんて望んでいないことも、ずっと平穏を望んでいた事も」
「だから、すべて任せて欲しい。大丈夫、きっと立派に育ててみせるよ」
ああ、この人たちは本当に――
「ありがとう……ございます」
呆けたような言葉しか出なかった。
自分たちの事を分かってくれて、優しく見守ってくれて、一番助けの欲しい時に近くで救ってくれる。
自分は本当にいい人たちと出会えた。
「うっ……うっ……」
隣に座っていたグレイスから嗚咽が漏れる。
つられて涙がにじみそうになったが、じっと堪えた。
いつだったかレメゲトンに理解を示してくれた騎士団員に出会った時のように、自分たちを理解してくれる、それだけでも本当に温かい気持ちに包まれるという事を改めて思い知った。