SECT.18 再会ノ言葉
軽く息を整える。
やはり、大分体が鈍っている。
「精進せよ アレイ」
「……はい」
懐かしい台詞を残し、悪魔は魔界へと去っていった。
気がつかなかったが、戦っているうちにいつの間にか地下倉庫の天井を突き破って一回の酒場に上っていたようだった。もちろん天井も壁もぼろぼろで、とても簡単な修理で済むようなものではないだろう。
仕方がない、後でステラに謝るしかない。
ステラの気の強そうな瞳を思い出し、ようやく納得する。
彼女を見ると苛々する理由――それは、どこかねえさんとかぶっていたせいなんだろう。強く、揺ぎ無かったねえさん。彼女とどこか似ている容姿は、その中身の違いを全面に押し出し、違和感と共に不快感が生まれた。
きっと、いつもステラを心から認めることのできなかった理由はそこにある。
「今度こそ、さらばだ。ケテル」
とうとう両腕を失ったセフィラに、同情は湧かなかった。
ねえさんの命を奪ったケテル――ここで生かしておくのはおそらく残酷な恩情だ。何しろ、加護を失ったセフィラの末路など知れているからだ。
それでも、そんな事に興味はない。
くるりと背を向けて店を後にした。
外に出ると、なんと店を取り囲むようにして十数名の騎士たちが剣を構えていた。
その中心には黒髪の女性がぼんやりと佇んでいる。
すぐに漆黒の瞳がこちらに気づいた。
何とも言い難い表情でこちらを見ている。
自然に声が出た。
「……遅かったな」
久しぶりに会ったというのに、なぜこんなにも気の利いた台詞が出てこないんだろう。
「くそガキ」
もう少し優しい言葉をかけてやりたいのに。このサブノックの剣を届けてくれた礼も言いたいはずなのに。
相変わらず、自分はこのくそガキ相手にはどうしようもなく不器用らしい。
くそガキはと言うと、ベージュのシンプルなワンピースの上からショートソードのベルトをくくり、それにいつもの剣を2本差しているという、如何ともしがたいファッションだった。
あれでは動きにくいことこの上ないだろう。
最初に自分を捕えるよう命令を出していた女性騎士が驚いたように叫ぶ。
「なっ! 貴様……ケテル様は?!」
「知らん。もう既にケテルではない男なら店の中に転がしてあるがな」
ああ、思い出した。この女性騎士は、あのセフィロト国との戦争の時、開戦を告げた大使の一人だ。ケテルと手品師ゲブラと共にグリモワールへやってきた気の強そうな赤茶髪の女性騎士。
彼女と何人かの部下が店の中へ転がり込んでいった。
さて、この間にすべて片付けねばなるまい。
呆けたように突っ立っているグリフィスの末裔のもとに近寄り、そっと耳元に唇を寄せる。
「一度に片づける。リュシフェルを召喚しろ。全員の記憶を改ざんするぞ」
「……分かった」
こくりと頷いた彼女を見てほっとする。
やはり、こいつも――
「ルシファ!」
「マルコシアス!」
鋭い声が重なって、周囲の騎士たちを眩い閃光が包みこんだ。
隣のくそガキの額には、黒々とした悪魔紋章が浮かび上がっている。
――やはり、お前も時を失ったのだな
飛びだした光は徐々に収束し、形作っていく。
自分の頭上には戦の悪魔マルコシアスを。隣のくそガキの背後には――魔界の王、リュシフェルを。6枚の大きな翼を湛えた最高位の堕天使の美しい顔は、波打つ銀の髪に縁どられていた。完璧なまでに整ったその顔は憂いに満ち、その視線はまるでマルコシアスと悲しみを共有しようとしているように見えた。
褐色の肌の戦士は、その視線を受け止めてからグリフィス家の末裔に向かって微笑んだ。
「久しいな 幼き娘」
「……もう幼くなんてないよ」
はにかむように笑った彼女は、それでもどこか少女の愛らしさを残している。初めて出会った時から、それだけは変わらない。
ところが、マルコシアスの微笑みを見たくそガキは少し首を傾げた。
「如何した 幼き娘」
「ううん、何でもない」
そう言うと、彼女はギュッと左手を握りしめた。
「ルシファ、お願い。力を貸して!」
「ルーク 貴方が望むままに」
突如現れた二人の堕天使に、周囲の騎士たちは一歩退いている。
銀色のオーラを持つ魔界の王は大きく両腕を広げた。
それにおののく騎士たちで、陣形が崩れる。
「すべての記憶を白紙に。このヒトたちが、この街に来たところから」
少女の呟きと共に、マルコシアスも同じく大きく腕を広げた。
まず銀の光がリュシフェルから放たれた。
まるでそれを支えるかのように濃い紅の光がふわりと広がっていった。主に寄り添うように、ゆっくりと。
眩いまでのその光は、いつしか街中を包み込み、とどまることなく降り注いでいった。
どれだけの時間が流れたか知れない。
いつしか街を包む光は消え、自分たちに加護を与えていた悪魔の姿もなくなっていた。
目の前の景色はひどいものだ。
半壊した店、でこぼこになってしまった地面。花壇も巻き添えをくって散々たる有様を呈している――まるで、戦場で見た街のようだった。
悔しい。また自分たちがいる場所がこんな風に壊れていってしまう事が。
いったい自分はどれだけ破壊を繰り返せばいいのだろう。戦う事が破壊につながってしまうのならば、甘んじてセフィロト国の支配を受け入れよというのだろうか。
もう、どうしたらいいのか分からない。自分は罪を犯し過ぎた。
もしまだ希望があるのなら、グリモワール王国を再建しようと思った。だが、もしそれがまた破壊と殺戮につながるのなら、多くの人の悲しみを生んでしまうことなら、自分は強硬に推し進められるのだろうか?望まない人がいたとき、自分はそれでも未来を見据えられるだろうか?
かつての自分が、平穏を望んだように――
葛藤で心が割れてしまいそうだった。
いったい、どうしたらいいんだ。
導いてくれたねえさんは既にいない。ミュレク殿下はともかく、ゼデキヤ王がセフィロトの手に落ちている事は『ウォル』が知っていた。
自分に力はない。そんなこと、ずっと昔から知っている。
いったい、俺に何ができる……?
ところがその時、ふと左手に温かいものが触れた。
「……アレイさん、ですか?」
その声にはっと見下ろすと、俯いたままのガキが強く手を握りしめていた。