SECT.17 呆気ナイ幕切レ
しかし、そう簡単にケテルが間合いを詰めさせてくれる訳もない。
中距離で有効な目に見えぬ光の矢を駆使し、間合いを詰めさせまいと距離を置く。
だが、自分が最も実力を発揮できるのは近距離の戦闘だ。
何としてでも距離を詰めねば……と思った時。
最も聞きたかった声が、しかし、最もこの場に現れて欲しくはなかった声が響いた。
「アレイさん(・・・・・)っ!」
しかも、自分の名を呼んで。
アレイ――それは、悪魔を使役するレメゲトンに与えられた名だ。剣を振り、手を血に染めた狂気の天文学者。なぜその名をグレイス(・・・・)が知っている?
驚いてその方向を見ると、強い漆黒の瞳がこちらを見返していた。
そして、何かがまっすぐに飛んでくる。
これは……
手の中にあった漆黒の剣が消失する。
その左手で、飛んできた物体を受け取った。
同時に右手をそれに添えて、横にスライドさせる。
「……ありがたい」
薄暗い店内でも、鈍く光を放つ刃が現れた。
軽く剣を振って、いったんケテルと距離をとった。いつの間にか背に生えていた純白の翼がばさりと大きな音をたてた。
名を呼ばれた一瞬以外視線はケテルから外さなかったのだが、あいつの声は小さくとも自分の耳にはっきりと届いた。
「……左」
左。
それが意図するところはすぐに分かった。
観察眼に優れたあいつなら、きっとすぐにケテルの加護印を見つけ出してしまうだろう。
その証拠にケテルの眉が跳ね上がり、突然の乱入者を睨みつけた。
おそらくその眼には、自分の右腕を奪った悪魔を使役した黒髪のレメゲトンが映っていることだろう。強い漆黒の瞳を持つ、黄金獅子ゲーティア=グリフィスの末裔の少女。
「また貴方ですか、ラック=グリフィス! 私の腕を奪った悪魔!」
ケテルのけたたましい声が荒れた店内に響いた。
「余所見をするな、ケテル。お前の相手は俺だ」
この戦場でなお敵から目を逸らすケテルにそう警告してから、ふと自分の中のマルコシアスに尋ねる。
「マルコシアス、サブノックの加護は受けられますか?」
「印無き今 それは適わぬ だが 我の加護を与えよう」
黒い霧が剣を包む。
加護を受けた長剣は、ようやくケテルの光の矢に対抗する力を得た。目に見えぬ速さで襲ってくる『光』を避けるのは容易ではない。ましてや、避けながらその中心に近付くなど、至難の業だ。
だが、それを剣で弾けるならば。
「戦争を引き起こし、さらに大敗したのは俺たちレメゲトンの罪だ」
たとえそんな意図は全くなかったとしても。
おそらく滅びたグリモワール王国の貴族たちは、民衆はさぞ自分を恨んでいることだろう。そして、自分に命を絶たれたセフィロト国の兵士たち、その家族も自分の事を憎んでいるだろう。
そのすべてを背負って、それでも自分は生きるのか? 戦うのか?
――分からない
自分が生きる意味。マルコシアスが自分を生かした意味。紋章契約を説き、刻を止めることも厭わず守る理由。
一つだって分かりはしない。
「だからケテル。俺はここでもう一つ罪を重ねてやる」
それを知るために、もう少しだけ足掻く事は、許されないだろうか?
魔界の王リュシフェル。グリモワール国亡き今、貴方に祈る事も問いかけることも許されないのでしょうか。それならば、俺は――
「俺は屈しない。セフィロト国の支配を認めない。今回のように、街を荒し、人を傷つけるのがお前たちのやり方なら、そんな支配は跳ね返してやろう」
それは定められた道だったのかもしれない。
自分たちに平穏が与えられないのならば、
「何を言うのですか。もう滅びた王国に希望などない」
「完全に消えたわけではない。現実にマルコシアスはここにいる。魔界の創造主リュシフェルもまだ魔界に在る」
そして、義兄上と姉上の言葉からして、ミュレク殿下はおそらく生きてこの大陸のどこかにいらっしゃるはずだ。
まだ、終わっていない。
もしこれから罪が償えるとしたら――
「俺は、俺たちはまだ諦めるわけにはいかない」
「その願い 忘るるな 希望を捨つるな 未来は 潰えておらぬ」
マルコシアスの声が全身に響き渡る。
醜く足掻いていいだろうか。諦め悪いと糾弾されようと、どれだけ自分が傷つこうとも。もう少しだけ、自分を息子と呼んでくれたこの悪魔を信じて、未来を信じてもいいだろうか。
「忘るるな 同じ望みを 持つ者がいる事を」
強い声が後押ししてくれる。
「マルコシアス、力を貸してください。俺は……あいつを倒して、新しい世界を拓く」
「言わずとも」
声が響いて、全身に加護があふれる。
もう一度左手の剣を握り直し、ケテルにまっすぐ突きつけた。
いつかの戦場でそうしたように。
「さあ、ケテル。決着をつけよう」
ほとんど頭の中にイメージが出来上がっていた。あのくそガキ(・・・・)が『左』と言った瞬間から、もう勝利の確信しかできない。
右腕を失ったケテルが、印のある左腕を庇いながら十分な戦いなどできるはずもないだろう。
そして自分にはマルコシアスの加護がある。
光の矢は勘で叩き落とせばいい。
「行くぞ アレイ 一気に畳み込め」
「はいっ!」
返事と同時に地を蹴る。
迫ってきた自分に向かってケテルはいくつもの光球を放つ。
が、そのためには印のある左腕を自らターゲットの方へと差し向けなければならない。
それを躊躇するケテルに勝機はない。
「うおおっ!」
気合いと共に光球を弾き飛ばした。
天井が一気に吹き飛んでしまったが、そんな事は後でどうにでもなる。
今、重要なのは……!
避けねばならなかった先ほどとは違う。狭い店内、ほとんどない敵との距離を詰めるのは簡単だった。
攻撃第二波が来る前に完全に間合いを詰める。
左手の剣を首筋に当て、右手でケテルの左手を抑え込んだ。
「なっ!」
大丈夫だ。メタトロンは恐ろしい力を持つが、その力が発揮できないのでは自分とマルコシアスの敵ではない。右腕がない今、左手さえ押さえてしまえば攻撃手段はない。
特殊能力を使わない、純粋な近接戦闘においては、セフィラとレメゲトンの誰にも負ける気がしない――唯一、レメゲトンだったグリフィス家の末裔を除いて。
一瞬だけ躊躇った。
それは本当に一瞬だったが。
抑え込んだケテルの左腕に、容赦なく剣を突き立てた。
その場を満たしていた光が消え失せていく。
ケテルの背からは何十枚もの翼で形作られていた金冠が消失し、左肩からは血が噴き出した。
「今度こそ、終わりだ」
剣を鞘におさめる音が響く。
そしてケテルは、声もなく仰向けに倒れた。