SECT.15 再契約
全く理解できなかった。
ここまで放っておいて、また拘束しようというのか。5歳の時に気まぐれのように自分と母を拾ったように――
レメゲトンは国家天文学者、すなわち悪魔を召喚しその力を使役する特殊な職だった。クロウリー家は代々レメゲトンを輩出している名門で、祖父が亡くなれば彼が使役していた悪魔と代わりに契約する者が必要だった。
完全に拒絶した自分を諭したのは当時団長となったフォルス=バーディア卿だった。
豪快な彼は、何もかもを拒絶しようとした自分を諭し、こう言った。
「とにかく、ゼデキヤ王にお会いしろ。決めるのはそれからでも遅くないだろう?」
半ば無理やり王都に戻された。
そして、帰還した自分に待っていたのはゼデキヤ王との謁見だった。
第一印象は、本当に地味な人だ、という何とも失礼な感想だった。
が、しばらく話すうちにだんだんとこの王の魅力に気づいていった。情の深い懐。人を見る目の確かさ。そして、何より鋭い観察能力。
そのすべてがゼデキヤ王を王たらしめていた。
「君が望むなら、もしよければ――」
ゼデキヤ王は優しい声音で、柔らかな笑みを湛えて言った。
「その才能をこの国のために使ってはくれないか?」
その時に、決めた。
騎士の道をあきらめてでも、このグリモワール国に尽くそうと。
レメゲトンに就任してすぐ、ロストコイン捜索の命令を受け、一人旅に出た。
一人は楽だった。
誰に触れることを気にする必要もない。何度も命の危険を伴ったが、そのたびに強くなっていった。それに伴って契約した戦の悪魔マルコシアスとのシンクロ率も急上昇していく。
戦闘レメゲトンとしては長であるねえさん……名門ファウスト家の長女メフィア=R=ファウストと並ぶようになるほどだった。
そして、コイン捜索が始まってから3年目。
とうとう俺はあいつに出会った。
今は亡きグリフィス家の生き残り、ねえさんが国家には秘密裏に3年間大切に育て上げた少女ラックに――
流れる悪魔の血が、あの少女の中に存在する魔界の王に強烈に惹かれた。一目見た時からどうしようもない感情が芽生えていた。
国家に存在を知られた少女はレメゲトンに就任し、ねえさんと共に片田舎から王都へ移り住んだ。
少女と出会い、自分はいろいろな感情を学んだと思う。
ずっと引っ掛かっていた実姉の存在。いつも見守ってくれていた炎妖玉騎士団の面々。
少女と出会ったことで彼らのやさしさに気づかされた時、もう自分は少女なしで生きられないことを悟っていた。
ところが、ほどなくして戦争が始まってしまった。
自分とねえさんは少女をおいて戦場へ来た。そして、天使を召喚し戦うセフィロト軍を相手に死闘を繰り広げた。が、人数的に後れを取るレメゲトンは圧倒的に不利だった。
次々送り出される刺客に、グリモワール軍は徐々に追い詰められていった。
そして、とうとう半人前の少女も戦場へ駆り出される時がやってきた。
少女はその華奢な肢体と裏腹に、殺戮の悪魔グラシャ・ラボラス、炎の悪魔フラウロス、そして地震の悪魔アガレスという強力な悪魔たちと契約し、最前線でも勇敢にたたかった。
しかし、世界はそれほど優しくはなかった。
――ねえさんが、死んだ。
育て親の死は少女に多大な絶望をもたらした。
殺戮と滅びの悪魔の暴走。それによってもらたされた自軍への被害。
何とか暴走をおさめたものの、心に深い傷を負った少女はいったん戦場を離れていった。
ねえさんがいなくなり、少女が戦場を退いた今、あまりに乏しい戦力ではあったが、自分はもうかつてのように孤独に逃げることはしなかった。
フォルス団長はじめ、素晴らしい剣の腕を持つ者たちに助けを求め、その力を借りてセフィロト国軍と戦う算段を得た。
回復した少女も戦線に復帰し、幾人もの敵を倒した。
そして、グライアル平原で起こった決戦で。
敵方の長ケテル、死霊遣い(ネクロマンサー)ホドを倒した後のことだった。
自分はようやく少女と心を通じ合わせることができた。
傍にいたいと心から願い、少女も同じように願ってくれた。
ずっと欲していたぬくもりを腕に抱いていた。
が、その油断が最悪のシナリオを呼び寄せた。
とどめを刺し損ねたケテルが自分と少女を剣で一つに貫いた。
心臓の上に深い傷が刻まれ、おそらく少女も――
ゆっくりと意識が浮上した。
辺りは真っ白で、霞がかったように何も見えない。その中にまるでふわふわと浮いているような感覚だった。
その白の中で、目の前にいたのは、褐色の肌の戦士だった――ずっとずっと自分と共に闘ってきた戦友であり、剣の師匠であり、そして。
「マルコシアス……あなたが俺の命を救ったのですね」
「我ではない 我が主 リュシフェルの意志だ」
マルコシアスは悲しげに微笑んだ。
「それでも 力を欲するか」
「もし、まだ俺に力を貸して頂けるというのなら、俺は力が欲しい」
あいつを守るために。
出会ってからずっと守りたいと切望しているあいつの傍にいるために。
「変わらぬな アレイ(・・・)」
どこか懐かしい名だった。
その名は自分とクロウリーのつながりを、ひいては自分の中の悪魔を象徴するもの。
「その先に待つ 永劫をも 恐れぬか」
「……永遠の時があれば、あいつの傍を離れなくて済む。いついかなる時も傍にいてやることができる」
再契約をすれば、自分の中の時は停止する。今この瞬間、27歳のままで立ち止まってしまうということだ。いつかグレイス――ラックは自分の年を抜き、成長していくことだろう。おそらくは、まだ見ぬ子たちも。
その先の子孫たちの繁栄も見守っていくということだろう。
目の前にいる戦の悪魔マルコシアスがずっとそうしてきたように。
「強くなった アレイ 多くの悪魔が お前を支持するほどに」
「……それは、『柱』と呼ばれるものですか? 世界の安定をもたらすという」
そう聞くと、マルコシアスは口を閉ざした。
「いつか 選択を迫られる 恐らく あの末裔と共に」
「世界の安定というものには、あいつも関係があるのですか?」
「揺らぐな アレイ 世界はまだ 潰えていない 希望は 様々に残っている」
「マルコシアス?」
どこか肝心な部分をはぐらかされてしまったような。
それでも、聞いて答えてくれる相手ではないことが分かっていたために口を噤んだ。
「末裔は逃げぬ そしてお前もきっと 祈りのままに」
炎妖玉と碧光玉のオッド・アイに吸い込まれそうになる。
この二つの色が混ざり合えば、自分の瞳の色になる。
「行け 我が息子 アレイ 人でも悪魔でもない 中立の者」
マルコシアスの指が胸のあたりに触れた。
触れられた部分が熱くなる。
そうして、目の前の景色がかすんでいった。
ゆっくりと目を開けると、そこは地下倉庫。
目の前には白眼を血走らせたケテルの姿がある。右腕をグラシャ・ラボラスに奪われながらも、自分とくそガキを貫いたセフィラの長。
「今の光は……!」
驚いた顔をしたケテルを尻目に、全身に滾る加護を確認する。
生身ではない肉体で拘束していた縄を引きちぎるのは簡単なことだった。
上半身の服は先ほどケテルによって裂かれてしまった。そこから見え隠れする心臓の真上にある傷を覆うように、漆黒の悪魔紋章が輝いている。
「これ以上命を奪う事は許さんぞ、ケテル」
ねえさんだけに飽き足らず。
ラックにまで手を出すことは絶対に許さない!
「その紋章は……? もしや、目覚めたのですか?! 悪魔騎士アレイスター=クロウリー!」
「ああ……そうだな。本当ならこのまま夢の中で暮らしたかったんだが」
妻と共に。穏やかな時の中で。
「この代償は高くつくぞ、ケテル」