SECT.14 悪魔ノ血
「……どうした?」
「わかんね……なんか……気持ち悪……っ」
シリウスの体が傾いだ。
どさり、と床に倒れ伏すシリウス。
縄は切れていたようで、金髪が床にこぼれた。
「お前ら……いつの間に!」
シーミウスがこちらに気づいてぎろりと睨んだ。
距離を詰められる前に、先ほど没収された剣に手を伸ばす。
二本のうち一本をシリウスに投げ、自分はもう一本を抜き身で構えた。
が、明らかにシリウスの顔色が悪い。息も荒く、剣を杖にして立っているのがすぐに分かる。よろり、とよろけた足元を見て、シーミウスはすぐに標的を決めたようだ。
「……シリウスっ!」
考えるより先に体が動いていた。
シリウスに両手を向けた犯罪者に、躊躇なく刃を振り下ろす。
人に隙が出来る時は一体 何時か――それは、攻撃を仕掛けた瞬間だ。
「ぎゃあああ!」
すさまじい悲鳴をあげてシーミウスが仰け反る。
背中からぱっと鮮血が散った。
シリウスの鋭い声が飛ぶ。
「ウォルっ!」
シリウスに向けられた銀線は、かろうじて頭をかばった彼の両腕を微かに傷つけたにすぎなかった。その銀線が自分に進路を変えて飛んでくる。
が、一度見えてしまえばそれほど恐ろしい武器ではなかった。
「これで終いだ」
正確に剣で銀線を叩き落とし、返り血のついた剣を軽く拭って鞘に収めた。
シーミウスの背からはまるで噴水のように鮮血が湧き出している。
「ふ……ふはは……」
床に伏せった男から不気味な笑いが漏れる。
「業を背負え! 罪を咀嚼し、苦悩に苛まれ、いつしか狂うがいい!」
「……?」
理解できない言葉に、ただその場に立ち尽くした。
「永劫を聴け、騎士と言う名で被覆した罪に足掻け!」
どさり、と床に崩れ落ちたシーミウス。
最後に呟いた言葉に、思わず背筋が凍った。
「V-I-T-A-E A-E-T-E-R-N-A-E ……幻想に尽きよ E-Q-U-E-S……D-E-V-O-T-I-O……D-E-V-O-T-I-O……」
セフィロト国の古代語の意味など分からない。
ただ分かるのは、たった今自分は人間を殺したという事だけだ。
中の様子をうかがっていた騎士達が店内になだれ込んでくるのを、どこか遠くの世界の出来事のように見ていた。
その後、セフィロト国との間にいったいどんな話し合いがあったかは分からない。
自分がセフィロト国の罪人であるシーミウスを殺したのも事実。そのシーミウスは国境突破にあたって炎妖玉騎士団員を十数名に及び殺傷したのも事実。
そして、セフィロト軍の行動はまごう事なき領権侵犯である。
すべてを総合し、どうやらすべてを帳消しにするという結果に落ち着いたようだ。
途中で気を失ってしまっていたシェンナは運良くシーミウスの殺害現場を目撃しなかった。
怪我もなく、すぐに回復して病床に伏せったシリウスの見舞いに来ていた。
「いったいどうしたのよ、シリウス。怪我はなかったんでしょう?」
首を傾げるシェンナに、彼も肩をすくめて見せた。
「俺にもわかんね。なんか突然、気持ち悪くなって……ウォルは大丈夫だったのか?」
「ああ」
「不思議ね」
騎士団駐留所の敷地内にある病院の一室で談笑していると、そこにファング騎士団長が現れた。背後には大きな体をしたフォルス部隊長を従えている。
「アレイスター=ウォルジェンガ=クロウリー、少し、話がある」
騎士団長に呼び出されたのは初めてだった。
今回の事件で何か罰則が下るのだろうか。
そう思い、騎士団長について部屋を後にした。
通されたのは騎士団長の私室だった。
とはいえ、その造りは簡素なもので、装飾など皆無だ。武具が多く並んでいるのが目を引くくらいだ、騎士団長だからと言って特別豪華なものは見当たらない。
「さて、ウォルジェンガ。今回のことだが……特例的に罰則は無しとする」
ファング騎士団長の言葉に思わず眉を寄せた。
「『騎士殺しシーミウス』は騎士に対して異常なまでの妄執を持っていた。それも、奇襲を得意とし、騎士を幾人も殺すだけの力も持っていた。あのセフィロト軍をなりふり構わずさせるほどには被害を出していたわけだ」
「……」
「君は今回セフィロト国から逃げ込んだ罪人を独断で裁いた。が、シーミウスは同時に炎妖玉騎士団員を幾人も殺傷した。つまりはこの国でも一級の犯罪者だ」
要するに、不手際と手柄で相殺。
そういうことだろう。
「それよりも、重要な事がある。これは……君が炎妖玉騎士団に入団する際、君のお父上、つまりはクロウリー公爵から賜った事実だ」
思わず息を呑む。
「君は、クロウリーの血筋について聞いたことはあるかな?」
「……っ?!」
ファング騎士団長の口から語られたのは、驚くべき事実だった。
その話を聞きながら、思わず唇を噛みしめた。
完全に沈黙してしまった自分の肩をファング騎士団長がぽん、と叩いた。
「とりあえず部屋に戻りなさい」
「……はい」
部屋に戻り、ベッドにごろりと転がって天井を見つめていた。
同居人のシリウスがいない部屋はひどく広く、寒々しく感じた。
「悪魔の血……」
その存在は知っていた。執事のクリスがずいぶん昔に教えてくれたことだ。
が、重要なのは血を引くことではなかったのだ。
「毒……悪気……」
その血が、普通の人間に与える影響。
悪魔の血は人にいい影響を与えない。発せられる気を浴びた人間は、身体のみでなく精神まで浸食される。
もしそれが本当なら、シリウスは。
いや、それだけではない。
幼い頃に病死した母も――
それは、自分と背中合わせに縛られていたシリウスがその体力を削がれ、今でも床に伏せるほどに。
「嘘だろう……!」
呟いた言葉に応えなどない。
それ以来、自分は再び人とかかわる事をやめた。相手に悪魔の血を警告する事は出来ないから、自ら人から離れていった。
まれに悪魔耐性を持つ者もおり、積極的にかかわってくることもあったが。
しかしながら、体調の回復したシリウスも、すべてを知るはずの騎士団長やフォルス部隊長も、自分を一人にしておくはずもなかった。
自分の中の血と、葛藤と。
皆とどこか素直に交われない自分を抱えたまま、いつしか数年が経っていた。
そして、運命の日がやってきた。
5年目にして部隊長に就任した自分のもとに、実家から初めて書簡が届いた。
ファング騎士団長はすでに引退し、その跡を継いだフォルス=L=バーディア卿が団長を務めているころだった。
国家天文学者レメゲトンであった自分の祖父が病床についたというものである。
ほとんど顔を合せた事もない祖父に何の感慨もなかったが、書簡にはさらに重要な事が示してあった。
祖父の跡を継ぎ、レメゲトンの職に就け、という半ば命令口調の父親の言葉だった。