SECT.13 シリウス
乱暴に開け放たれた店の扉から入ってきたのは、純白の甲冑に身を包んだ数名の騎士たち。
「セフィロト軍か?!」
シリウスの切迫した声を皮切りに、店の客は残らず悲鳴を上げた。
騎士たちは、迷わず暖炉のそばに佇むみすぼらしい男と隣のシェンナを包囲した。
騒然となる店内。
ところが、いち早く逃げ出そうとした客が、扉を出る前に吹っ飛ばされた。
「騒ぐな!」
その場を一瞬にして沈黙させるほどの威圧を持った声が鳴り響いた。
思わず自分とシリウスも剣に伸ばした手をぴくりと止める。
「騒がずば危害は加えない。我々はその男を捕獲しに来ただけだ」
騎士たちの指揮官と思われる男が進み出た。銀の兜を外して小脇に抱え、店内をぐるりと見渡した雄々しい顔立ちのその騎士は、赤錆色の髪をかきあげる。
その威圧は暗に逆らえば暴力も厭わないことを示していた。
ところが、隣のシリウスが鞘に入ったままの剣を手に一歩前に進み出た。
「待て。なぜセフィロト軍がこの土地にいる? ここはカーバンクル、グリモワール国領だ。許可なく侵入する事は例え聖騎士団でも許されないはずだ」
確かにその通りだった。
国境を越えて軍が侵入する、それは一歩間違えば戦争を引き起こす事態にもなりかねない危険な行為だ。だからこそ、この場にセフィロト軍がいるという事態があり得なかった。
何より、国境には関所があり、今も炎妖玉騎士団が守っているはずだ。
「粋がるな、小僧」
「小僧じゃない! 俺は炎妖玉騎士団員のシリウス=イシス。返答次第によってはグリモワール王家の名のもとにお前達を拘束する!」
シリウスが鞘に入れたままの剣を突き付けた。
が、赤錆髪の男は微動だにせず、騎士団の名にも反応しなかった。
ただ、少し目を伏せては以下の騎士たちに命じた。
「逆らうならお前も捕縛する」
「?!」
シリウスが眉を寄せる。
そして、一瞬気を抜いた。
純白の甲冑に身を包んだ騎士たちがシリウスを抑え込み、床に伏せるまで数秒とかからなかった。
「シリウスっ!」
シェンナの悲鳴に近い叫びが響いた。
「……!」
自分は、目の前で起きた出来事に反応できなかった。
剣に伸ばした手もそのまま硬直している。
「その黒髪も炎妖玉騎士団員だろう。同じく捕らえよ。その後、迅速にシーミウスを拘束せよ」
「?!」
身の危険を感じて思わず剣を手にした。
飛びかかってきた騎士を返り討ちに……と思ったが、一瞬 炎妖玉騎士団ファング団長の言葉がよみがえる。
セフィロトといざこざを起こしてはならない。なぜならそれは、相手に攻め入る機会を与えるのと同義だからだ。ゼデキヤ王が戦争を回避するため尽力なさる以上、自分たち騎士団員もその自覚を持たねばならない。
どうしたらいい?!
迷いがそのまま結果に出た。
数秒後にはシリウスと同じように床に伏せっていた。
このままではあたりの様子が伺えない。
どうやらシェンナを挟んで、暖炉の前の男と騎士たち数名がにらみ合いを続けているだろうことだけが分かった。
あの男は何者だ。そして、なぜセフィロト軍が国境を越えてきた? 騎士団はいったい何をしている?
「シーミウスを捕えよ!」
厳しい号令で頬に当たる床が大きく振動した。
が、すぐにそれは止まった。
「動くなっ!」
鋭い声が飛ぶ。
「セフィロト軍、及び罪人『シーミウス』、双方ともにグリモワール王家の名のもとにて拘束する!」
これは炎妖玉騎士団、ファング団長の声だ。
どうやら騎士団の仲間たちが到着したらしい。やはりどうやらセフィロト軍は許可を得てグリモワールに侵入したわけではなかったらしい。
隙をついて自分を拘束していた騎士の首筋に踵を振り下ろす――鎧を纏っているとはいえ、継ぎ目の部分を無防備だ。
拘束を解いて立ち上がると、シリウスも同じように立ち上がったところだった。
すぐに辺りの様子を確認する。
自分とシリウスが倒した騎士が床に沈み、他の騎士は暖炉を取り巻いている。つい今しがた入ってきたと思われる炎妖玉騎士団の面々が、各々の剣を白い甲冑の騎士たちに突きつけていた。
「『騎士殺しシーミウス』、罪人確保のための正当な侵入だ、ファング=ディベル卿。剣を退いてもらおう」
「できぬ。お主らが領権を侵害したことはまぎれもない事実。そして、そのシーミウスが我らが同胞の命を奪ったこともまた――消せぬ事実だ」
ファング騎士団長の言っていることが理解できなかった。
同胞の命を……奪った? 騎士殺し?
ところが、その言葉を噛み砕いて呑み込む前にその場が静まり返った。
「動くな」
どこかたどたどしい声が響く。
はっとして振り向くと、先ほどのみすぼらしい男がシェンナの顔の両側に、包み込むように手のひらを向けていた。
シェンナの表情が強張っている。
いったい何をしたのか分からないが、シェンナの首筋には赤い線が入っていた。
「その子供、二人だけ残れ。後は、去れ」
「……!」
その場にいる全員が息をのんだ。
「おい、どーするよ」
後ろからシリウスの声がする。
シーミウスと呼ばれたみすぼらしい恰好の男に、背中合わせに括られて、店の隅に転がされてしまった。ちらりと横目に暖炉の方を見ると、シェンナが椅子に座らされていた。
その顔は真っ青で、がたがたと震えているように見えた。
「先輩たちの足手まといにだけはなりたくなかったんだけどな……」
隣国セフィロトから逃げ込んだシーミウスという男は、これまで幾人もの騎士たちを殺めてきた『騎士殺し』――彼は国境付近で捕らえられたものの、輸送中に逃げ出してグリモワール国内に侵入した、というのが事の粗筋だったらしい。
こうなってしまった今、自分たちにできることなどほとんどないが。
のんびりとした口調を装うシリウスも、内心では相当焦っているに違いない。何しろ、目の前でシェンナの命が危険にさらされているのだ。今すぐにでも飛び出したい感情を抑えていることは顔を見なくても分かる。
「……シリウス、何か縄の切れそうな刃物はあるか?」
ぼそりと問うと、シリウスは小さく返した。
「いま、やってる」
言うまでもなかったか。
単純な剣技なら自分はシリウスに負けはしないだろう。しかし、幼いころからいたずらで策略を繰り返してきた彼は、小手先の技術では誰にも負けない。いつもどこから取り出すのか小道具を身につけており、様々な武器にも精通している。
騎士になるよりは密偵者にでもなった方が能力を生かせるのではないかと常々思っていた。
縄に軽い震動が伝わる。
小さな鋸か何かで切断しているようだ。
暖炉の傍、シェンナの隣に佇むシーミウスはこちらを一瞥し、吐き捨てるように言った。
「まさかお前たちも騎士だったとは」
「だから何? お前、騎士に恨みでもあるわけ?」
シリウスが挑発口調で問うと、シーミウスは鼻を鳴らして視線を外した。
答えるつもりはないようだ。
「……さっき見たところあいつの武器は細い金属線……色から見て銀線だと思う」
「……流石だな、シリウス」
シェンナを人質に取られ、心中穏やかではないだろうが、その中でも敵の武器を見極めるだけの冷静さを残している。
「あいつの指の動きに気をつけろ、ウォル」
「何をひそひそと話している」
シーミウスの冷たい視線が降ってきた。
同時に頬に軽い痛みが走り、視界の隅で銀色の線が煌めいた。
よく観察すると、シーミウスの指先から銀の糸が何本か伸びているのが見える。
数メートルほどの飛距離がありそうだ。
「黙っていろ、子供ども」
ぎょろりと睨んだシーミウスは軽く手首を振って銀線を手元に引き寄せた。
あの手の動きさえ見ていればさほど怖い武器ではないだろう。
騎士たちが次々破れた背景にはおそらく武器を見破れなかったことが大きく関係しているだろう。
「縄が切れたらお前はシェンナを頼む、俺はあいつを……シリウス?」
声をかけてみて、背中越しの同僚の異変に気づいた。
息が荒く、手足が軽く痙攣を起こしている。