SECT.9 囚ワレノ悪魔騎士
街へ続く土の道を駆ける。
あの様子だと、グレイスはいわゆる「産気づいた」というやつだろう。
思った以上に動揺している。
街に近付くにつれ、白い甲冑に身を包んだ騎士たちがちらほらと見えた。
子供の鳴き声や大人の悲鳴、怒号……そんなものが飛び交っている。家に無理やり入り込み、かき回して些細な悪魔の痕跡も見逃さない。
ひどい光景だ。
今すぐにでも怒鳴り込んでやりたいところだが、今はそんな場合ではない。
周囲の喧騒から目を背けるようにして女医ディーンのもとへ向かった。
街の中はさらに多くの聖騎士たちで埋もれていた。見知った顔が縄につながれているのも見えた。
「おい、お前! どこの家の者だ?」
純白の甲冑を纏った騎士に呼び止められる。
「後にしてくれ、急いでいるんだ」
そう言うと、鞘に入ったままの剣が飛んできた。
それを軽く後ろにステップして避けると、騎士は物騒な空気を纏った。
「逆らうな! 聖騎士団への反逆は、セフィロト国家、ひいてはネブカドネツァル王への反逆と見なされるぞ!」
今はそんな場合ではない。すぐそこに診療所があるというのに、今の怒号で他の聖騎士も集まり始めてしまった。
周囲の視線が集まっている。
「店長!」
遠くからリッドの声が聞こえた。
はっと見ると、茶髪の青年が駆けてくる。
「リッド、頼む! グレイスが……すぐにディーンをクラウドの家に呼んでくれ!」
そう叫ぶと、リッドがはっとした顔をして、すぐにこくりと頷いた。
これでひとまず大丈夫だ。
自分もすぐに戻りたいのだが、周囲を取り囲んだ騎士たちはそれを許さないだろう。
「反抗的な目だ。気に食わんな」
最初に自分を呼びとめた騎士がぐい、と鞘に入ったままの剣を胸のあたりに押しつける。今度はよけなかった。おそらく逆らわないことがここから逃れる一番の早道だと思ったからだ。
自分の周囲を取り囲んだ騎士は4名、下手に逆らえばそのまま取り押さえられてしまうだろう。
「待て、リーシェル」
その騎士の後ろから響いた声は凛とした女性のものだった。
そしてその場にいた4人の騎士は即時跪いた。どうやらこの女性はかなり高い位の騎士らしい。
そして、諌めた方の騎士は兜を取り去った。
ふわりと兜から零れ落ちたのはカールした赤茶の髪。
「やはりお前か……」
気の強そうな顔立ち、嵌め込まれたシルバーグレイの瞳は強い意志を秘めていた。
全く見覚えのない相手だ。
「こんな小さな街にわざわざ自ら出向いた意味があったな。情報は当たりだったようだ」
ふふ、と唇の端に笑みをたたえたその女性騎士はぱっと片手を上げた。
「この者を捕えろ! 命を奪うことなく我らが主に差し出すのだ!」
その瞬間この場の空気が豹変した。
騎士たちは各々剣を抜き、こちらに突きつけたのだ。
「何だ……?」
困惑して立ち尽くす。
いったい自分は何をした?少し逆らっただけでこれほどの包囲は……
「かかれっ!」
赤茶の髪の女性騎士が鋭く叫ぶと同時に、周囲の騎士が一斉に飛びかかってきた。
どうすることもできない。
グレイス……!
脳裏に浮かぶのは彼女の笑顔。
なす術もなく意識を失い、セフィロト軍に捕らえられてしまった。
気がつけば頑丈な鎖につながれ、全く身動きできない状態になっていた。轡もかまされていて声が出せない。
何とか上体を起こして壁にもたれかかる。
ここはどこだ?
見渡すと、なぜか見覚えのある景色だった。
古い棚に並ぶ酒の瓶。保存の効く根菜類や穀類が入った袋がいくつも並べられ、独特のカビの匂いが鼻をつく。
ああ、そうだ。ここは店の地下倉庫か。
ステラから雇われ店長を命じられて半年ほどやっていた酒場の地下にある倉庫だ。ここはしっかりした鍵も付いているし、捕らえた者を転がしておくには絶好の場所だろう。
ここに自分がいるということは、管理しているステラも捕まってしまったんだろうか?すでに何ヶ月も会っていないとはいえ知らない仲ではない。無事でいることを願った。
全身が鈍く痛むのは捕らえられた時に負った傷のせいだろう。床にはいくらか血が零れており、背や後ろ手に縛られた腕は動く度に痛んだ。
ああ、あいつは無事だろうか。
思い出すのはあの黒髪の少女の姿だけ。
お腹の子も無事生を受けることができただろうか。
「グレイス……」
ぽつり、と喉の奥で呟いたとき、地下倉庫の鍵がガチャリと大きな音を立てて開かれた。
眩しい光が差し込んでくる。
逆光でよく見えないが、どうやらそこには男性と女性が一人ずつ立っている。
「確かに。よくやりました、フロリス」
「ありがとうございます、ケテル様」
恭しく礼をした女性はそのまま下がっていった。どうやらこちらは自分をとらえたあの女性騎士だったらしい。
では、残ったこちらの男は誰だ?
彼女はケテル、と呼んでいたが……
「ふふふ、この日が来るのを待ち望んでいましたよ! まさかあの怪我で生きていたとは! それものうのうとこんなところで暮らしているとは思いもしませんでしたよ!」
「?!」
誰だ、この男は?!
とにかく凄まじい殺気を感じた。が、残念ながら拘束された手足では動けない。
騎士ではないようだ、白を基調に青いラインの入った神官服を纏っている。同じく白く磨きあげられたブーツが床にあたってコツコツと音を立てている。顔は半分仮面で隠されていたが、それでもよく整った顔立ちが見てとれた。淡い茶髪は軽く波打っている。
その男は左手で仮面を抑えていた。
「やっと会えましたね、レメゲトン」
その動きはひどく不自然だった。健常な人間の動きではない。
何より、『レメゲトン』という言葉に一瞬心がかき乱された。失った過去の断片が疼いた。
「……?」
お前は誰だ、と聞こうとしたが喉の奥から呻きが漏れただけだった。
それを一瞥したケテルが左手を向けると、顔の横をものすごい速度の何か(・・)が通り過ぎて行った。頬に痛みが走り、何かが焦げる匂いがたちこめた。
「忘れたとは言わせませんよ。私の右腕を奪った悪魔」
ああ、そうか。この動きの不自然さはこの男が片腕であったがため引き起こされたものだったのか。だが、その腕を俺が奪ったとでも言うのか……?
記憶の欠片が警鐘を鳴らしている。
同時に、強い怒りが胸の内を焦がした。
「もう逃しませんよ、アレイスター=クロウリー。今は亡きグリモワールの天文学者にして無二の騎士とも呼ばれた悪魔の末裔、悪魔に愛されたとまで言わしめたレメゲトン!」
「?!」
アレイスター=クロウリー。その名に敏感に魂が反応した。
ごくり、と唾を飲む。
悪魔の末裔、『レメゲトン』、クロウリー、天文学者、騎士。
言葉の断片が記憶を刺激する――頭が痛い。
「その顔は忘れません。紫の瞳、長い黒髪は戦いの中で失くしたようですが」
つかつかと歩み寄ってきたケテルという男は手にしたナイフでぴっと服を裂いた。
無数の傷が刻み込まれた上半身を見て、にやりと笑う。
「ふふ、この心臓の傷がその証」
左胸の傷にナイフを当てて、つぅ、と引いた。
赤い筋がそれに従って心臓の上、傷跡を縦断するように刻まれる。
痛みにぴくりと体が震える。
「手も足も出ないようですね。貴方らしくもない」
この男は自分の過去を知っている――そう確信した。
見るからにセフィロトの要職に就いているこの男は、自分に腕を奪われたという。そして自分のことを『悪魔の末裔』と呼んだ。
いったい、自分は何者なんだ。
「このまま都へ連行しましょう。ようやく捕えたレメゲトン、公開処刑に値します」
不気味な笑みをたたえた目の前の男の焦点は合っていない。冷静な物言いをしているように見せかけてどこか狂っている。
ぞっとした。
このままでは本当にセフィロトの都に連行され、覚えてもいない過去に裁かれ処刑されてしまう。
聞こうとしたが、轡が邪魔で喉から呻きが漏れただけだった。
「そうそう、コクマがもう一人を連れに行きました。残念ですね、一網打尽というわけです」
もう一人……?
「彼女も生きていたんですね。嬉しいですよ、この手で復讐を遂げることができるのですから」
その言葉にはっとする。
目の前に浮かぶのは、強い意志を秘めた漆黒の瞳。
グレイスの全身に刻まれた傷は明らかに凄惨な過去を物語っていた。失った記憶は彼女と共に戦ったことを告げていた。
「見たところ悪魔のコインを失っているあなた達には抵抗する力などないでしょう」
彼女だけではない、今あの場にはまさに生を受けようとしている子供たちが……!
全身の血が沸騰した。
その瞬間、胸の傷から光が放たれた。