SECT.12 死ナセヌト誓イテ
心臓をざくりと抉られるような恐怖が全身を貫いた。
このガキが、死ぬ……?
そんなこと……
「やれやれ 致し方あるまい」
次の瞬間、澄んだ音が響いた。
ぴぃん、と甲高く響き渡った金属音。
「……!」
その場にいた全員が驚いて声も出なかった。
「これで終いだ」
マルコシアスの剣で吹っ飛ばされた銀髪のセフィラは地面に叩きつけられて動かなくなった。
心臓の音が近い。ほとんど動いていないのに全身汗で濡れ、全力疾走した後のように息が切れていた。
ガキは驚いたようにマルコシアスを見てそしてたどたどしく言った。
「あ、ありが、とう」
「礼には及ばん」
マルコシアスは剣を収めると、純白の翼を一振りした。
サンダルを履いた褐色の足まであらわになったマルコシアスを見たのは久しぶりだ。
契約の時の覇気はそのまま、あの時の恐怖がよみがえりそうになって思わず身震いした。
「大丈夫か 過去を持たぬ少女」
「平気です。助かりました」
答えたガキに満足げに微笑むと、あきれたように自分を見た。
「アレイ お前はまだ修行が足りぬな」
「……精進します」
まだ少女に死が迫ったときの衝撃が体の中に残っていた。
鼓動がまだ緩やかさを取り戻さない。
落ち着け。なぜこんなにも動揺している?
必死で冷静さを保とうとしていると、いつの間に召還したのかねえさんが使役する悪魔クローセルが銀髪のセフィラ二人をずるずると引っ張ってきた。
金髪に碧眼、純白の翼と金冠を持つクローセルは口を開きさえしなければ立派な天使に見えるだろう。初対面ではないが、クローセルと話したことはこれまでほとんどなかった。
「んで? こいつらどうするんだ ねえさん」
「王都に連行するわ」
地面に転がった二人を見て、ガキがはっとしたように駆け寄ろうとした。
マルコシアスがたくましい腕でそれをとどめた。
「なぜだ」
「え?」
「あれは 敵だ なぜ 殺されかけてなお 近寄ろうとする」
マルコシアスは厳しい口調で聞いた。
これまでこのガキに見たこともないほど優しい態度をとっていたことから考えると不思議なくらいに真剣だった。
「……ずっと会いたいと思ってた。このヒトはおれの過去に関係あるんだ。もしかするとおれが知らないおれを知っているのかもしれない」
「やめておけ アレイと金色猫に任せよ」
「でも」
なおも食い下がろうとすると、ねえさんがクローセルを促した。
「クローセル、ラックを馬車の中へ」
「あいよ」
「わっ」
金髪碧眼の天使のようなクローセルの細腕に抱えられて、ガキは馬車に強制退場させられてしまった。
「それじゃ、王都に送りましょうか。バシン!」
ねえさんは悪魔の名を呼んだ。
その場に黒々とした魔方陣が出現する。
「俺は便利屋じゃないですぜぃ」
空間にふと現れたのは黒ずんだ奇妙な肌の色の屈強な男性の姿だった。もちろんそれは人間ではない。
背には蝙蝠のような翼が生えているし、蛇の頭に似た尻尾がゆらゆらと揺れながら飛び出している。いや、舌を出し入れしているところを見るとあれは本物の蛇なのだろう。
「ごめんなさいね、バシン。このセフィラ二人を王都の牢へ直行させて欲しいの」
「ただでとは言いませんよね?」
「分かってるわ」
ねえさんはどこからか取り出したナイフでぴっと左腕をきった。
すう、と赤い線が入って血が溢れ出した。
「今日もうまそうですねぃ」
ふわりと地面に降りた悪魔はねえさんと並ぶと巨人のようだった。
うれしそうに腕を取ると尖った長い舌をねえさんの腕に這わせている。ぴちゃ、びちゃという音が耳に届いて、思わず顔をしかめた。
「ねえさんの血は いつもうまいですぜ」
「そう」
ねえさんは眉一つ動かさずその悪魔の食事を見ていた。
やがて傷口から血が流れなくなった後も悪魔バシンは名残惜しそうに腕をなめていた。
それからしばらくして、十分堪能したのか悪魔は大きな手のひらを地面に向けた。その先には銀髪のセフィラ二人が伸びている。
「行け」
その一言でセフィラの姿は消え、地面には微かな血の跡だけが残った。
「もう少し呼び出してくれてもいいですぜぃ ねえさんならいつでも歓迎だ」
「私があなたの力を借りるのは用がある時だけよ」
ねえさんが冷たく言い放った。
クローセルといいバシンといい、ねえさんの悪魔はどうにもねえさんに懐きすぎている気がしなくもない。これはこれで大変なのだろう。
ちらりと自分の悪魔――マルコシアスを見ると、褐色の肌の戦士は未だ険しい表情で馬車を見つめていた。
あのガキを気にしているのか?
まあ、そんなことはあるはずないと思うのだが……完全に否定できない自分がいる。
あいつにはどこか人を、人ならざるモノを惹きつける不思議な空気があった。
「ありがとう、バシン。これからもお願いね」
「分かってますって」
その瞬間煙のようにバシンの姿は消え去った。
「さ、アレイ。先を急ぐわよ!」
「我も戻る 精進せよ」
「はい。ありがとうございました」
礼をしている間にマルコシアスの姿は消えていた。
馬車の中に戻ると、ガキはちゃんとおとなしく席についていた。
「銀色のヒトは?」
「もう王都に送ったわ」
「え?」
「私のコインは5つもあるのよ。呼び出せるのはクローセルだけじゃないわ」
「ねえちゃんすごい!」
「一応俺たち天文学者のリーダーだからな」
一応どころか名実共にリーダーはこのねえさん以外考えられない。
「そうなんだ」
「王都に到着して、王様に挨拶したらあなたも国の天文学者としてグリモワール王国に仕える立場になるわ。そうすれば、また私があなたの上司よ」
「やった! それじゃあ、今までとあんまり変わりないね」
「そうね」
ねえさんはにこりと笑った。
ああ、そうか。ゼデキヤ王はこういう形でねえさんの要望を取り入れたのか。さすが情の厚さにかけては歴代随一と言われるだけのことはある。
嬉しそうに笑うガキの横顔を見てほっとする自分がいる。命の危険にさらされたあの瞬間に心臓を貫いた衝撃には気づかなかったことにしたかった。
容姿だけでない、この少女自身を心のどこかで思い始めた自分を奥底に閉じ込めた。
まだいい。そのうちきっとどうしようもなくなる時が来る。
馬車はまた走り出して、王都はもうすぐそこまで迫っていた。




