SECT.5 夢ノ終ワリ
ここのところよく眠れない。それはきっと夢見が良くないせいだろう。
夢の中の自分は常に誰かと戦闘している。長剣を手に駆け回り、敵を両断し、さらなる敵に向かっていく。手に伝わるのは人と、人ならざる物を切る感触。
目覚めればいつも後悔と自責の念に囚われた。
そのせいで昼に目を覚ましてしまう。
仕方がないので顔を洗おうと裏口から外に出た。
すると、あの少女の家を挟んだ一つ向こう、道場を建設中のクラウドと目があった。
「やあ、ウォルジェンガ。今日は早いね」
穏やかな笑みを湛えた美丈夫は軽く手をあげて挨拶した。昼の休憩中だったのか、そのままこちらに寄ってくる。
「どうしたんだい? 浮かない顔だね」
「あ、いや……」
誤魔化そうかとも思ったが、何となく誰かに話しておきたい気分だった。
全身に残る傷の事はさすがに話せなかったが、起きてからも拭えない夢の感覚がいったい何なのか、その不安を外に吐き出してしまいたかった。
記憶にないが徴兵されて戦場にいたのだろうか。それにしても、全く覚えていないのはおかしい。
「過去がないのは不安かい?」
クラウドの言葉に一瞬詰まった。
肯定も否定もしなかったが、彼はふわりとほほ笑んだ。
「そうだろうね。辛くて……苦しいはずだ」
視線を伏せて黙り込むと、クラウドはいつの間にか木刀を2本手にしていた。
首を傾げた自分に彼は微笑んで木刀を1本差し出した。
「そういう時は体を動かすのが一番だよ。知っていたかい?」
「だが俺は剣術など」
「大丈夫。私の道場に来た最初の道場生だ。ゆっくりと教えよう」
そう言われてしぶしぶ木刀を受け取って右手で持った。
クラウドも優雅な仕草で木刀を構えた。
「大切な人を守るためには力が必要だ。その人を傷つけさせないため、そしてその人の隣にい続けるため」
ゆっくりとした動きで振り下ろされた木刀をとっさに受け止めた。
軽い負荷が腕にかかる。
夢の中の感触が立ち返ってきそうになって顔をしかめた。
「何より剣を振っていると心が落ち着く。剣の道が与えるのは身体的な強さだけではない」
「……俺の中の迷いも断ち切ることができるか?」
「ああ、もちろんだ。君の鍛錬次第だが」
片手で持っていた木刀を両手に持ちかえる――なんだろう、かすかな違和感がよぎる。
構えが違う。
違和感がぬぐえない。
「扱いづらそうだね」
クラウドが微笑む。
「剣を左手だけで持ってみるといい。きっと……世界が違って見えるから」
左手で?もともと自分は右利きだから、右手で持つのが普通だと思うのだが。
それでも、言われるがままに木刀を左手に構える。
「……あ」
この構えはしっくりと体に馴染んでいる。不思議なほど落ち着いた。
なぜそれがクラウドに分かったんだろう?
「さあ、今度は少し強く打ちこむよ? 気をつけて受け止めるんだ」
この金髪の美丈夫は、いったい自分の何を知っているんだ?もしかすると、失った過去を知っているのではないか。あの少女との関係や全身に残る傷跡のことも――
考える前にすさまじい速度で打ち込まれた剣を受け止めるので精いっぱいだった。
汗だくになるころにようやくクラウドは剣をおさめた。彼は汗一つかいていない。
「少し鈍ったようだね。これからは毎日鍛錬をするといい、その方が君にとってもいいはずだ」
それは、自分が過去に剣を振っていたことをよく知る者の口ぶりだ。
「っ……クラウド、お前は」
過去の俺を知っているのか?
そう聞こうとして、はっとした。
緑翠が悲痛な色を映し出していたからだ――同時に確信する。この人は自分の過去を知っている。
聞けなかった。おそらく自分の過去に関わることで彼も深く傷ついているから、その傷を抉り出すようなことはできなかった。どんなことがあったかは分からないが過去を捨てて逃げた自分には何を聞く資格もない。
「いや、忘れてくれ」
ただ分かるのは、クラウドもダイアナも自分のことをとても大切にし、温かく見守ってくれているということだけだ。それはあの少女も例外ではないのだろう。
きっと過去は親しい間柄だったはずだ。
それらすべてを封印し、この平和な生活を送りたい。そう思うことは罪なのだろうか?
数日後、いつものように眠っていると突然劈くような悲鳴が響き渡った。
思わず跳ね起きる。
まだ昼間だ。いったい何だ?!
声のもと、リビングの方に向かうと、そこにいたのは――あの黒髪の少女だった。
なぜ人の家にいるんだ?!
「お前ここで何をしている!」
周囲には果物や野菜が転がっていた。何かに脅えるようにがたがたと震えた少女は自らの両手を翳している。
その手を見てはっとした。
いつも左手にはめていた白い手袋が取り払われ、露わになった左手の甲には毒々しい色の血管がいくつも浮かび上がっていたのだ。
全身の血の気がざっと引いた。
少女の目の焦点が合っていない。いったい何が見えているのか、揺らぐ視線はこちらを見ようとしなかった。
「おい! お前……」
目の前に立って肩を揺らすと、ようやく現実に引き戻されたようで震えが止まった。
「……ルシ……ファ」
その言葉を最後に、少女は意識の糸を断った。
悲鳴を聞いて駆けつけたダイアナとリッドから、勝手に俺の家に潜り込んでパーティを計画していたことを聞く。それが不法侵入だとわかっているのだろうか……ただ、今はそれよりも少女のことが心配だった。
仕方がないので自分のベッドを明け渡し、少女の体を横たえた。
最後に少女が漏らした言葉が気になる。
「ルシファ」
思わず口に出した言葉に、隣のリッドがぎょっとする。
「て、店長! そんなこと口に出しちゃ駄目ですよ!」
「……わかっている。だが、こいつが先ほど倒れる直前に口にしたんだ」
「グレイスが?」
リッドも眉を寄せる。
なぜかというと、ルシファというのは先日の戦争で滅びたグリモワール王国が崇拝していた悪魔の頂点、魔界の創造主とも呼ばれる「リュシフェル」のことだからだ。
セフィロト国が支配するこの土地でそんな名を口にすれば即座に罰を受けるだろう。
今は呼吸も穏やかに安定し、眠りについた少女の傍でじっと唇を噛んだ。
「大丈夫だよね、グレイス……」
リッドの不安そうな声が響く。
「ええ、きっと大丈夫よ。この子はとても強いから」
ダイアナは優しく微笑んだが、心のどこかに多くの違和感が残された。
少女が目を覚ましたのは外がすっかり暗くなってしまってからだった。
ゆっくりと開かれた漆黒の瞳。
「よかった、グレイス……」
ダイアナが真っ先にベッドの脇に跪いた。
「あれ……わたし……?」
ゆっくりと起き上った少女の漆黒の瞳が順にその部屋にいる人間を見渡し、最後に俺の方をじっと見つめた。
澄んだ瞳から目が離せなくなる。
「ごめん、ありがとう。心配かけたよね」
一瞬だけ作り笑顔でそう言った少女は、すぐ真剣な顔に戻ってぽつりと呟いた。
「あのね、ウォルジェンガさんと二人で話したいんだ……少しだけいいかな?」
リッドが驚いた顔をする。
「えっ、でも、グレイス……」
「いいだろう。ちょうど俺もそう思っていたところだ」
気がつけばリッドの言葉を遮るようにそう言い放っていた。