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LOST COIN -tail-  作者: 早村友裕
(幕間)FRAUD CALM
122/175

--- ハジマリ ---

 今日から新しい生活が始まる。

 まだ慣れないベッドから起き上がり、部屋のカーテンを開けると外は冬の様相を呈していた。新生活を始めるのは通説的に春なのだが、まあそこは大した問題ではない。

 ディアブル大陸内陸部グライアル平原の北部に位置するこの街は冬になると雪がそれなりに積もる。生活に支障が出るほどではないが寒いことに変わりはない。リビングの端にある小さな暖炉に火を入れた。

 ついでにその火で湯を沸かし朝食の準備に取り掛かった。


 1年前に終決した戦争はあちこちに爪痕を残した。

 ずっとグリモワール王都ユダの城下で暮らしていたのだが、隣国セフィロト軍の侵攻にあい単身この小さな街の片隅に引っ越してきた。家族はない。女手一つで育ててくれた母を幼いころに亡くし、引き取られた親類の家では折り合いが悪かった。

 戦争前後の記憶はとても曖昧だ。

 ずっと王都の親類の家にいた気もするのだが、それにしては自分の体には明らかに戦闘痕と思われる傷跡が多すぎる。徴兵されて戦場に行っていた時期もあるのかもしれない。

 気がつけば戦争を理由にして親類から遠ざかるように王都から立ち去っていた。

 この小屋は以前の持ち主が引っ越すというので譲ってもらった。

 確かその持ち主とは街の片隅の酒場で出会っただけの関係だったからもう二度と会うこともないと思う。

 譲り受けた小屋は一人で住むには十分の大きさだった。入ったところにキッチンを併設したリビングがあり、奥には書斎と寝室がひとつずつ。表には畑もあったが手入れする気は毛頭ない。裏に小さな井戸が付いており、水で困る心配もなさそうだった。

 所持金は多かった。働かずともゆうに1年は生活できるだろう。

 が、早急に職を持とうと思った。

 戦争が終わってからそれほどたっていないまだまだ不安定な情勢の中では安定した収入があったほうがいいだろう。


 この穏やかな生活が愛おしかった。

 たくさんの傷を全身に負っている自分は命のやり取りを日常的に行っていたんだろう。左肩にはひきつるような傷跡が、また腹や腕には縫合跡がいくつも見られ、とくに左胸の上には鋭利な刃物で貫かれたような跡が残っていた。他にも腕も足も裂傷や火傷の治った痕多い。

 全身、ひどい傷だ。とても人に見せられたものではない。

 だからこそこの新しい生活を楽しみたかった。


 たとえこれがつかの間の休息だとしても――




 ちょうど冬が終わり春を迎える頃には就職口が見つかった。

 少し歩いたところにある街の飲み屋街、その一角にたたずむ小さな酒場の店主だった。

 酒場の上の階にある宿屋を営むステラ=クラソンという若い女性に突然街中で声をかけられ、いつの間にか酒場を切り盛りする契約を交わしていた。

 もともと料理は得意だし、酒の類に関する知識もそれなりにあった。だから売り上げの一部を場所代として上納する代わりに自分は店を手に入れたのだった。

 ステラは最初から変な女だった。

 初対面でも道すがら突然呼び止めた後、じろじろと自分を上から下まで見た。そしてそのセピア色の瞳をきゅっと吊り上げるように笑って人差し指を突きつけてこう言ったのだ――あなたに決めた!

 今となっては運がいいと思えるが、当時はあまりの唐突さと強引さに一歩退いていた。

「私の目に狂いはないわ。あなたならきっと店を盛り返してくれるわ!」

 ステラは明るい金髪にセピアの瞳をもつ美女だった。もっとも自分は女性に関して無頓着だからそれは特筆すべき点ではない。

 むしろ非常に気の強い女だということを記すべきだろう。それもなぜか俺のことを所有物と勘違いしている節がある。暗に男女の関係を迫られたことも一度や二度ではない。今までは何とか逃げてきたが今後どうなるかはわからない。

 自分はそれなりの容姿に恵まれている。背は高いほうだしそれなりに鍛えてあるから太ってはいない。女性たちが端正だと絶賛する顔立ちと切れ長の眼におさまる紫の瞳、艶やかな黒髪は人目を引くには十分だった。また、傷を隠すためいつも襟まできっちりある黒ずくめの服を着ていたからいやでも街中で目立っていたようだ。

 回転するや予想以上の売り上げをたたき出したことに対してステラはご満悦のようだった。


 それでも小さな街の片隅で女性たちを相手に店をまわすこの生活はそれなりに楽しんでいたし、夕方ごろから朝まで働いて昼間睡眠をとるという暮らしに慣れ始めていた。




 ほんの1年前、この土地を支配していたのは魔界に住む悪魔たちを崇拝する『グリモワール王国』だった。

 大陸西岸の豊かな平野と内陸部の高原、南の沿岸部と北の山地にわたる広大な国土を有する巨大な国家は、黒有翼獅子ダーク・グリフィンを紋章に掲げ、『レメゲトン』と呼ばれる天文学者を抱えていた。

 『レメゲトン』は魔界の悪魔を召還し、その人知を超えた力を使役する天文学者のことだ。王国創立当時は72の悪魔をそれぞれ使役する72の天文学者たちがいたのだが、数百年の時が流れ、『レメゲトン』の名を頂く天文学者はわずか数名にまで減少していた。



 その隣には天使を崇拝する国、セフィロトが在った。純白の羽根の乙女を紋章に戴く光の王国には、天使を召還する10人の神官『セフィラ』がいた。

 『セフィラ』は天使の力でもって、グリモワール国の『レメゲトン』に対抗した。



 もともと天使と悪魔という相対するものを崇拝していた両国の関係は長い間緊張状態にあった。

 そして2年前にとうとうその均衡は崩れ、戦争が勃発した。

 ほんの2年にも満たない短い期間の、しかし非常に激しく凄惨なその戦闘でグリモワール王国は『レメゲトン』をはじめとしたほとんどの戦力を失い、降伏を決めた。




 現在この大地の指揮権を持つのは天界の天使たちを崇拝するセフィロト国である。




 これは、平和なある街の片隅から始まるお話。

 世界のことわりを巻き込むことになる壮大な物語の『序章』でしかないこのお話は動き出す時を待って静かに、静かに眠っていた。

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