SECT.11 忌ムベキ者
「何?」
ねえさんがこんこん、と御者の窓を叩く。
返事はない。
視線で意思を疎通させ、立ち上がった。
おそらく……危険だ。
「ここで待ってろ」
ガキにそう言いつけて馬車を出る。
ねえさんもすぐに続いた。
馬車の外で待ち構えていたのは。
「読みはあたりだったな、『光』」
「さすが『音』だねえ」
「やはり……」
銀髪のセフィラが二人。明るい陽の元で見ても区別はつかなかった。青みがかった銀髪に陶器のように白い肌、群青の瞳までまるでそっくりだ。
年は自分より少し下くらいだろう。肌にぴったりとした黒い服を着ているところを見ると、隠密行動の最中だったはずだ。しかも、片方は数日前に大怪我をしたばかり……それがいったいなぜ白昼堂々襲ってきたのか。
御者は馬車の前に立ちはだかった二人に戸惑い、困惑している。
「排除する。そこを動くな」
「はいっ!」
おびえる御者にそうきつく言い放ってからマントの中からコインを突き出した。
「マルコシアス!」
同時に叫ぶ。
次の瞬間には体中が躍動するような感覚と共にマルコシアスの加護が全身にいきわたった感覚があった。
「ふむ この間のセフィラか」
「そうです。今度こそ逃がさない」
腰に差していた長剣をすらりと抜いた。
セフィラ二人も手甲から銀のブレイドを飛び出させた。
「先に聞いておく。この間のガキ……女に印を付けたセフィラはお前たちだな?」
「貴様に言う必要はない!」
銀髪の片割れが吼える。
どうもこちらはもう一人に比べて血の気が多いらしい。
「貴様こそ邪魔しやがって、あのレメゲトンを出せ!」
「知らん。たとえ知っていてもお前に渡すものか」
「あのレメゲトンだけは……殺す!」
群青の瞳に炎が宿った。
なんだ、この妙な執着は。そのためには隠密行動もすべて捨てるというのか?
ねえさんの方も困惑しているようだ。このセフィラの意図が分からない。目的も任務内容も全く不明だ。
「邪魔するのなら貴様も同じだ」
「できるならな」
マルコシアスの加護を受けている今の自分にかなわないことはこの銀髪のセフィラも分かっているはずだ。
それでも戦闘を避ける意思はないようだ。
「仕方あるまい」
切っ先を銀髪のセフィラに向けた時、後ろの馬車から微かな物音がした。
振り向かなくても分かる。
仕方のないやつだ。
「中にいろと言っただろう」
もちろん聞くはずないことも分かっていたが。
自分の苛立ちをよそに、ガキは首を傾げた。
「……天使?」
それが自分の背後に浮かぶマルコシアスの姿に向けられたものだと分かるのに一瞬かかった。
「黄金獅子の末裔か 本当に生き残りがいたとは」
マルコシアスがまるで面白いものでも見つけたような口調で返す。
「アレイさんが持ってるコインの35番目の悪魔さん? えーと、マルコシアスさん」
「ほほう 我の名を知るのか 過去を持たぬ少女よ」
「さっきアレイさんが教えてくれたんだよ」
戦場には似つかわしくないほどの穏やかな会話がなされている。
目の前では銀のブレイドを閃かせた暗殺者が狙っているというのに!
「初めまして。よろしく、マルコシアスさん」
「ふふ 礼儀正しいな」
マルコシアスは楽しそうに笑っていた。
だが、そこでガキは銀髪のセフィラの存在に気づいてしまったようだ。
「銀髪のヒト……」
呆けたようにポツリとつぶやいた。熱に浮かされたようなその声ではっと気づく。
そう、このガキはあろうことかこいつらに会いたがっていたんだ。
「この間のレメゲトン! 貴様らやっぱりグルだったのか!」
真っ赤なオーラをほとばしらせて、銀髪のセフィラはガキを睨みつけた。
その視線に耐えるようにして、ガキは顔をしかめて左腕を押さえた。
とにかく接触させてはいけない。銀髪のセフィラとの間に立ちはだかった。殺させはしない。手を触れさせる事だって許さない。
「貴様……またしても邪魔をするのか、今度こそ叩き潰してやる!」
銀髪のセフィラの台詞でマルコシアスが嘲笑した。
「なお 我に戦いを挑むか」
左手で長剣を構えた。
マルコシアスの加護がある時、通常の何倍もの力を発揮することができる。銀髪のセフィラは相当な腕前だったが、自分の実力となら拮抗しているくらいだろう。加護がある今負ける理由は何もない。
正面から刃が迫る。
振り下ろされた銀のブレイドを真正面から受け止めた。
やはり先日の傷は感知していないらしい、セフィラの動きは若干鈍い。
「ラック、中に戻りなさい!」
ねえさんが叫んだのが聞こえた。
そんなことを聞くガキではないだろう。それより先にこのセフィラを潰すまでだ。
いったん距離を置いて間合いを取る。
「そこをどけ、レメゲトン!」
この銀髪のセフィラのどこからこれほどのエネルギーが発せられるのか。なぜこれほどこのガキに執着するのか。
そしてなぜこの太陽の高い今……天使を召還しないのか。
セフィラは隣国セフィロトの天文学者だ。自分たちが悪魔を使役するようにセフィラは天使を召還し、その加護を受ける。
夜、太陽が天にないうちは天使を召還することができない。悪魔は召還に昼夜関係ない。ただ、昼間のほうがいくらか力が落ちる程度だ。
召還することも考え付かないほどに頭に血が上っているのか。
息を潜めるようにするとセフィラの呼吸まで聞こえそうだ。
空気がぴんと張り詰めている。少しでも動くと崩壊しそうだ。
おそらく、最初の一撃が勝負。
「……」
額から汗が伝った。
頬を伝い、顎に大きな雫を作る。
目の前の敵から視線が外せない。
闘気で負ける気はないし、退く気も全くない――その気負いが裏目に出てしまった。
雫が顎を離れた。
ひどく長い一瞬。
ぽたり、と雫が地面に落ちた……
次の瞬間、すさまじい金属音と共に剣を持つ手に負荷がかかった。
耳を貫く剣戟。
そのまま力任せに押し返そうとすると、途端に力は方向を失ってバランスを崩した。
銀髪のセフィラは自分の剣をまともに受けずに受け流し、横になぎ払うようにしてまっすぐに自分の後ろにいるガキの方向へ切っ先を向けていた。
「しまった!」
「ラック!」
同時にねえさんと叫んだ。
相手の覇気につられて剛の剣で叩き潰そうとしたのが間違いだ。完全に受け流されて避けられた挙句後ろにいるガキを危険にさらしてしまった。
ガキは大きく漆黒の瞳を開いて立ちすくんでいる。
間に合わない!
「死ね!」
「!」