SECT.24 吸収
今度は確実に消滅させねば。
ラファエルが消えれば幻想も消える。そうすればあのくそガキが心を痛めることだってないはずだった。
栄光の天使は真紅の刃を閃かす。
「やられたいの? カマエルを吸収した 炎の獣みたいに」
「やられるか!」
ラファエルの使う美しい型の剣技は、クローセルが最期に見せた舞を想起させた。人心をひきつけてやまない天使――彼らは一体何処から生まれ、どこへ向かうのだろう?
自分たちは二人で一度天使を追い詰めている。
ラファエルが何らかの手を打ってこない限り負けることはない。
ところが戦局は豹変した。
ラファエルが突如、ハルファスを大きく越える力でもって応戦してきたのだ。これまで押していたのだが、一瞬で形勢が逆転した。
凄まじい風がハルファスの加護を突き抜け、後ろ向きに吹き飛んだ。
「うぎゃっ!」
つぶれたようなハルファスの声がした。あいつも飛ばされたようだ。
慌てて空中で体勢を立て直し、ラファエルに剣を向ける。
6枚の翼を湛えた天使はポツリと呟いた。
「ああ……破壊人形が壊された」
それを聞いていくらはほっとする。
ああ、あの少女は自らの迷いを断ち切ったのか。あの手でねえさんの姿をした幻想を破壊したんだ。苦しみながらもあの強い心で。あの――脆い心で。
早く戻ってやりたい。
あいつは泣いているはずだから。ねえさんを手にかけた辛くてもがいているはずだから。
「ひひ! あせるなよ!」
ラファエルを挟んだ向こう側に浮かぶハルファスが笑う。
しかしながら力を裂いていた破壊人形がなくなり、完全体となったラファエルの威圧は予想以上だった。これが片割れを吸収した天使の力なのか。
本当に勝てるのか?
不安が胸を過ぎる。
するとハルファスは当たり前のように叫んだ。
「大丈夫だ! お前はあいつの息子だ!」
「!」
あいつ。レメゲトンになったときからずっと自分に力を貸してくれた戦の悪魔マルコシアス。魔界屈指の剣技を誇る彼の息子を名乗ったからには剣で負けるわけにはいかないだろう。
困った時は基本に立ち返れ。
きっとマルコシアスならそう言うはずだ。
「ひひ! これで終わりにするぞ!」
左手の剣を構える。
この戦争が始まってからをずっと生死を共にしたサブノックの剣だ。
共に戦うハルファスと、剣技を叩き込んでくれたマルコシアスと、剣を与えてくれたサブノック。これ以上心強い味方はない。
「ああ。いくぞ、ハルファス」
「ひゃははは!」
最後の戦いが始まった。
ラファエルの力が満ちた空間では、凄まじい豪風が支配している。ハルファスの加護がなければ簡単に弾き飛ばされていただろう、目を開けているのも困難だ。
まるで突然嵐の中に放り込まれたかのようだ。
「目に頼るな! きゃは!」
ハルファスの声ではっとする。
そうだ。
これまでに習ったことを思い出すんだ。
目を閉じろ。そうすれば目に見えない殺気や剣気が見えてくる。
ふっと目を閉じると、妙に緊張していた体から力が抜けた。それだけでなく豪風の音も遠ざかり、そのぶん感覚が鋭敏になった気がする。
漆黒の瞼の裏に攻撃の軌道が閃く。
軽く体をずらすと、顔の横をかまいたちが横切った感覚があった。
目を閉じると感じられる。
風の通り道、この大気の流れ一筋一筋が意思を持って動いている様子が。
すべての空間を捕捉する感覚は狂風鳥を発動した時の感覚とよく似ていた。
マルコシアスが何度も何度も繰り返すのは、流れに逆らわないということだ。力に逆らわず、最小限の動きと技で敵の攻撃をいなす柔の剣。
一瞬ハルファスの加護を緩めて風に身を任せる。
ラファエルの風の動きを読みながら、飛んでくる刃を弾いたり避けたりしながら反撃の機会を待つ。
一瞬でいい。
マルコシアスの教える剣の極意は一撃必殺のカウンターだ。
時に風を曲げ、時に逆らいながら少しずつラファエルとの間合いをつめていく。
「ひゃは!」
ハルファスの声と共に金属音が鳴り響く。
同時に、一つの道が見えた。まるで闇の空間からあのくそガキを救い出したときのようにはっきりと見える道筋が。
ハルファスの攻撃で隙が出来たのだ。
「ぅおおっ!」
雄たけびを上げてその線に突っ込んでいった。
その先にいるのは――ラファエル。
最期の一瞬だけ、目を開けた。
迫った真紅の刃を横にいなすように避ける。返し様、飛んできたかまいたちを弾き飛ばした。
その勢いを利用して体を回転させる。
狙いは、背に湛えた大きな翼。
豪風の中、一瞬だけ、音がやんだ気がした。
「うわあああああ!」
ラファエルは天使とは思えないような絶叫を上げた。自分が切り落としたのは、6枚のうち一番上の一対の翼。
呆気ないほどの感触で斬れたそれは、次の瞬間金色の光へと発散して消えた。
これまでの比でない強風に思わずラファエルから飛び退る。
しかし、絶叫に反応して強まった嵐の中でもハルファスは手の中の刃を消して呆然となるラファエルの背後に回りこんだ。
「ひひ! 返してもらうぞ!」
そう叫ぶと、二人はいつしか漆黒と化していた風の渦の中へと消えた。
一体どうなったんだろう?
自分の周りにはまた戦場の空気が戻ってきていた。フィールドの外で行われている戦の喧騒も響いてくる。
上から見下ろすと、この深い溝で囲まれたフィールドのみを兵が避けている。その様子はひどく不自然で人為的に見えた。
目の前の黒い渦から何が出てくる気配もない。
ただ、自分が落下しないところを見るとハルファスはまだ消えていないのだろう。
しかし、悪魔と天使の決着はそれほど長くかからなかった。
ぱぁん、という乾いた音がして渦がはじけとんだ。耳元にあった違和感が消え、背に何かの感触を覚える。ふと手を頭に当ててみると、そこにはマルコシアスが持つような角が二本生えていた。
「?!」
困惑して眉を寄せると、目の前にふわりと降りてきた影がある。
「ひひひ! やったぞ!」
「……ハルファス、か?」
「そうだ! ひゃはは! 他に誰がいる!」
驚いた。彼の姿はこれまでのような幼児のものではない。
見た目だけなら15くらいの少年、悪ガキのような表情と目つきは変わっていないが身長はかなり伸びている。先ほどラファエルが着ていたようなシャツを軽く羽織って、装飾もやたらと増えていた。何より、声が違う。
甲高い幼児の声は少し落ち着いた少年の響きに変わっていた。
「やっとラファエル吸収した! ありがとな! お前のお陰だ!」
天使を吸収するとこれほどまでの変化があるのか?
驚きに目を見開いていると、ハルファスはふわあ、とあくびをした。この姿はもとの幼児となんら変わりない。
「疲れた! おれ帰る!」
「ああ、そうだろう。ありがとう、また来てくれ」
消えられる前に地面に降りなくては。
そう思って高度を下げた。
ずっと上空を覆っていた雲から冷たい雨が降り始めていた。