SECT.23 慈悲
本当はライディーンとの連携を考えてコンビネーションをいくつか組んであった。
が、隣で戦っているのは戦の悪魔ハルファスだ。
さすがは、と言うべきだろう。戦の悪魔ハルファスはここ数日即席で作った何種類ものコンビネーションを難なくこなしていった。自分が派手な動きでラファエルの注意をひき、ハルファスが常に死角に回る作戦を基本に、剣技と風の刃を交えた怒涛の攻撃を繰り返す。
狭いフィールド内の天地関係なく駆け回る。
目に見えぬ光の矢をずっと受けていたお陰だろうか、ラファエルの攻撃の軌道が勘で読めるのだ。
全身に加護が満ち、感覚が最大限に開いている。ラファエルの力の波動を五感以外の感覚で鋭く察知し、そこへハルファスの風をぶつけて相殺する。
「本当にお前 人間なわけ?」
ラファエルが悲鳴のような声を上げる。
悪魔の血を継ぎ、人知を超えた力を使役し、戦の悪魔ハルファスと肩を並べて栄光の天使ラファエルと互角に打ち合う。悪魔の力を敏感に察知して打ち落とす。
もう自分は人間とは相容れないのかもしれない。
それでも、守ると決めた。自分の持てる力全てを駆使して戦うことを誓った。
「俺は……戦の悪魔マルコシアスの息子だ」
「リュシフェルと共に 魔界へ下った 裏切りの堕天使」
魔界の王リュシフェルは堕天だ。異端と呼ばれ凄まじく強い力を持ち、魔界を創造したという。そのリュシフェルを慕って魔界へ下った天使たちを堕ちた天使、つまりは堕天と呼んでいる。
なぜか魔界の存在を認めようとしない天使たちは、堕天を裏切りだという。
そして、堕天の悪魔は天使の前で存在できない。
世界には分からないことが多すぎる。天使や悪魔が『世界の理』と呼ぶ共通の規則は世界に存在するすべてのものを束縛しているのだった。
天使たちはその『理』に従ってグリモワール国を滅ぼそうとしている節があった。
「お前たち天使は何故魔界を認めようとしないんだ?」
「確かな柱もない 不安定なものを 滅ぼすのは慈悲だろう?」
慈悲。
確か天界の長メタトロンも同じことを言っていた――存続の見えない世界を滅ぼすのは 施しなのです、と。
「何が慈悲だ!」
未来のない、先に何も見えない滅びの何が慈悲なのか。
もし本当に天使が慈悲を与えようとしているのなら、未来を指し示し導く事こそが慈悲ではないのか。迷っている者を照らし出す光を与える事こそ施しではないのか。
「お前たち天使の考え方は理解できん!」
「マルコシアスの息子 お前は滅びを否定するの? これだけこの世界が 揺らいでいるのに?」
「揺るがせない」
迷わない。
もし世界が安定しないというのなら、自分が守り支えてやる。
「ひひひ! こいつは柱候補だからな!」
「エノクやエリヤのような 犠牲を もう出させないよ」
がぎぃん、と大気を震わす音がして剣同士がぶつかり合った。
後ろからハルファスが狙っている。
さしものラファエルも少しずつ押されてきた。
少しずつ後ずさっていくその先にあるのは、フラウロスがケテルを包んだ蒼炎の柱。
「ひひ! 焼けろ!」
ハルファスが放つ渾身の一撃がラファエルを吹き飛ばした。
背後に迫っていた炎柱がラファエルの翼を、体を飲み込んだ。
地面に降り立って息を整える。
「ひゃはは! 焼けたか?」
目の前の炎柱に消えたラファエルが出てくる様子はない。
ほっとしていったん剣を納めた。サブノックは一度魔界に帰る。ハルファスは手にしていた長剣を消して、自分の肩に降り立った。
幼児くらいしかないハルファスは、ちょうど肩に座ることのできる大きさだ。
腕に生えた羽が頬に触れて少し痒いが我慢しよう。
あのくそガキはどうなった?
そう思ってあたりを見渡すと、ちょうど黒い膜翼を背に生やした黒髪のレメゲトンが地面に膝をつくところだった。
「くそガキっ!」
見るとねえさんの幻想が放ったナイフが左大腿に刺さっている。
あの程度のものが避けられないとは思えない。いったい何があったんだ?
ハルファスを肩に乗せたままくそガキの隣に駆け寄る。
足を負傷し、地面に崩れ落ちた少女を庇うように幻想との間に立つ。
すると、信じられないことが起きた。常に表情のなかった幻想が口角を上げ、微笑みを見せて少女の名を呼んだのだ。
「ラック」
もう二度と聞けないと思っていたメゾソプラノに、全身が総毛だつ。
そうか、このせいでくそガキは……
「その名を呼ぶな、幻想。心を持たないお前が軽々しく呼んでいい名ではない」
剣を抜いて真直ぐに突きつけると、肩に乗っていたハルファスが耳元でけたたましく叫んだ。
「おかしいぞ! こいつ消えてない!」
「どういうことだ?」
「ラファエルも消えてない!」
「!」
ハルファスの言葉と共に、その場に熱風が吹き荒れた。
ラファエルの姿を飲み込んだ炎の柱が火の粉を上げ、うねり、踊り狂っている。
次の瞬間には凄まじい爆発音と共に蒼炎がはじけとんだ。
炎がおさまり、その場に風が吹き込んだ。風は熱を吹き飛ばし、爆発の土ぼこりも払っていく。
そこには翼を広げた二人の天使の姿があった――正確には、一人はメタトロンの加護を受けた人間だが。6枚の翼をたたえた栄光の天使ラファエル。数十枚の翼が金冠のように見える王冠の天使メタトロン。
その足元に、よろけながら立つ灼熱の獣の姿がある。
「炎に落とすなんてひどいな ハルファス」
ラファエルが真紅の刃の剣を振った。
服がほんの少しこげているだけで、その体にダメージは見られない。
「フラウロスさん!」
灼熱の獣を使役する主人の悲痛な声が響く。
フラウロスの姿が消える。どうやら魔界に帰ったようだ。
ナイフの刺さった左足をひきずって立ち上がったくそガキは、息を荒くしながら自分の隣に立った。傷の痛みのせいか表情が険しかった。
最悪の状況だ。
敵は無傷の天使が二人、それに破壊人形。
こちらは負傷したくそガキと自分の二人だけ。
となりに立つくそガキは震えている。痛みのせいなのかねえさんの姿をしたものに攻撃を加えてきたことへの恐怖なのか。
いったい、どうしたらいい?
逃げるという選択肢はない。今も周囲では両軍がぶつかり合っているのだ。ここでセフィラを放置すればどうなるかは火を見るより明らかだ。
ケテル一人でトロメオを陥落させたあの日の惨劇が目の前に蘇った。
あれを繰り返す事だけはしてはいけない。
すると、くそガキは唇をひき結んだ。
「ラース、出てきて」
するとガキの体から黒い霧が噴出し、漆黒の毛並みを持つ大きな狼に姿を変えた。
殺戮と滅びの悪魔グラシャ・ラボラス。
「いいのカイ? 僕ハ 容赦しナイよ?」
「いい。躊躇ったら今度はおれの大切なものが失われてしまう」
「ソウ」
グラシャ・ラボラスは殺戮の牙を煌かせた。
「じゃ メタとろンは 僕が貰ウヨ」
殺戮の獣は地を蹴り、ケテルに向かって突進する。
くそガキはもう一度ショートソードを構えてねえさんの幻想と対峙した。
「あれだけはおれが倒す」
荒い息を抑えて。
強い言葉で。
「ひひ! じゃあやっぱりラファエルだな!」
ハルファスが叫ぶ。
仕方がない。今度こそとっととカタをつけて援護したい。
くそガキがねえさんに向かうのを見てから自分もラファエルに向かって剣を抜いた。