SECT.21 抉傷
いったいどうしてくそガキがここに?
王都へ向かったはずではなかったのか?
「ごめんね、遅くなっちゃった」
「お前……なんでここに」
「言ったじゃん。おれはここで戦うためにずっとがんばってきたんだ。アレイさん、おれはアレイさんの隣で戦うって言ったよ? 本当は――ねえちゃんも隣にいるはずだったけど」
そう言ってほんの少し悲しそうに笑った少女は、完全にとはいえないが回復しているように見えた。確かに悲しみは持っていてもそれを飲み込むだけの心の余裕が見えた。
「詳しいことはまた言うよ。それより先にシアを……」
そして見上げた少女は、白髪のマルクトとそれを追う紅髪の騎士の姿を見た。
「ライディーン!」
「ラック! シアは俺に任せろ! お前はシアに攻撃なんて出来ないだろう?!」
ライディーンの言葉にくそガキはぐっと詰まった。
確かにゼデキヤ王が共に選ぶほど親しかった相手だ。攻撃するなど出来ないだろう。
「先輩、後は頼んだよ?」
ぴっと指を突きつけた少年騎士は、マルクトを追って飛び去っていく。
残された断崖で囲まれた闘技場。すでに全員が戦闘意欲を剥き出しにしていた。
ホドは大きな硝子球を抱えて地面に降りた。もう一度ぱちん、と指を鳴らすと乗っていた馬が消滅した。ケテルも同じようにして地面に降り立ち、メタトロンの加護を受けて背に数十枚の翼でできた金冠を背負った。
くそガキもマントを脱ぎ捨てて首にかけたコインをぎゅっと握り、静かに悪魔の名を呼んだ。
「フラウロスさん」
その瞬間、空間に炎が吹き荒れる。
以前見たときとは比べ物にならない灼熱の嵐に思わず一歩飛び退る。ただその場にいるだけで皮膚が焼ける感覚があるのに、あのガキはちゃんと制御できるのだろうか?!
オレンジの毛並みに黒い斑点の入った豹の姿、その周囲には灼熱を超えた蒼い色の炎が取り巻いている。
「もう少し温度下げられるかな? おれも熱いんだけど」
「難解 だが 努力する」
しわがれた声がして炎の勢いが少し弱まった。
驚いた事に、グリフィスの末裔は完全に灼熱の獣と呼ばれたフラウロスを制御下においている。それも、おそらくカマエルを吸収し力を増したと思われる強力な炎の悪魔を、だ。
「ひひ! フラウロスも来たか! カマエル倒したみたいだな!」
「ハルファス 契約 珍しい」
「いいだろ! 俺こいつ好きだ!」
「理解不能」
本当にハルファスは何故こんなにも自分に懐いているんだろう?
謎だ。
するとくそガキは目をぱちくりとさせてにこりと微笑んだ。
「すごいね、アレイさん。大人気じゃん」
「お前が言うか?」
フラウロスとグラシャ・ラボラスを従えてルシファの印を額に刻むお前が。
「だってフォルスさんもフェルメイさんも、ルーパスだってライディーンだって、ゲブラも……みんなアレイさん大好きだよ?」
いろいろ思い出したくない名前も並んでいたが、聞かなかったことにした。
じゃあ、お前はどうなんだ?
思わずそう聞きそうになって慌ててやめる。これは、この戦が終わってからでいい。
一つため息をつくと、くそガキはもう一度嬉しそうに笑った。
「ケテルは俺が引き受ける。でないとハルファスが承知しないからな」
「ひゃは!」
「んじゃあおれは……」
漆黒の瞳が死霊遣いを射抜く。
「あいつだ」
死霊遣いは笑う。大きな黒フレームの眼鏡の奥で。
まるで待っていましたと言わんばかりの様相で。
「バカだな……今回の破壊人形は前回の比じゃないぞ?」
嫌に自信ありげな様子に、少し警戒する。
「ほんの数日で何が変わる」
「変わるぞ。強力な幻想に力を裂いていたのが無くなるからな」
強力な幻想?
その言葉でくそガキは何か思いついたようだった。それを確認するかのように強い口調で問う。
「もしかしてシアがグリモワールにいた間、マルクトの幻想で軍を誤魔化していたのか?」
そうだ。
先ほど現れた元鷺部隊の少女が本物のマルクトだとしたら、これまで総指揮官として軍にいた人物は?
それは、きっとホドの作り出した幻想だ。
だが、マルクトは軍に帰還した。これ以上 幻想を形留めておく意味はない。
「勘がいいな。レメゲトン」
ホドがにやりと笑った。
その恐ろしい笑みに思わず身構えた。
要するに目の前にいるのは、すべての力を破壊人形につぎ込む事が出来るようになった――全力のセフィラ。
「行け、僕の破壊人形」
赤い硝子球が大気を震わせて砕け散る。
中に詰まっていた羽根が飛び散り、それは収束して徐々に形作っていく。
長いストレートブロンドが風に靡いた。
「……ねぇ、ちゃん」
隣の少女が呆然とした声で呟く。
しまった。
このガキはまだねえさんの幻想がいることを知らない――!
「ねえちゃん!」
金の猫眼、腰まであるストレートブロンド。真紅のドレスを纏った妖艶な美女。
その瞳に光はなく全く表情のない傀儡だとしても、あの少女にとっては3年間育ててくれた親代わりなのだ。全てをかけて共にいることを誓った大切な人間だったのだ。
黒髪の少女は目を潤ませた。
目の端に浮かんだ雫がみるみる膨らんでいく。
「ねえちゃん、何で……?」
希うように両手を伸ばし、ふらふらと幻想に寄って行く。
「待て、ラック! それはねえさんじゃ……!」
破壊人形が細いナイフを両手に数十本広げた。
危ない!
とっさにハルファスの風で少女を包む。
風に煽られたフラウロスの炎が勢いを増す――もしくは、主人が傷つけられようとされたことによる怒りで炎の勢いが強まったのか。
灼熱の獣はケテルとホドを威嚇する。
幻想の放った地面にナイフが突き刺さる頃には、すでに少女は空に浮いていた。
「ねえちゃん!!」
悲鳴のような声を上げて、遠ざかるねえさんの姿をした幻想に手を伸ばす少女。
風に涙がぱっと散ってきらきらと光を反射した。
飛んできた少女を地面に落ちる直前で受け止めた。すぐ駆け出そうとする少女を行かせないように後ろから抱きとめる。
がたがたと震える少女は、期待と絶望の入り混じった表情で真直ぐに幻想を見つめていた。死んだはずのねえさんが目の前にいる。しかし、ねえさんが自分に向かって攻撃した。この全く理解できない状況を飲み込むには、まだ早すぎた。
やっと薄皮が張っただけの傷口を抉り出され、少女は全身で悲鳴を上げていた。
右腕で少女を止めながら左手でサブノックの剣を振るう。
弾いた光球は軌道を変えきれず、顔の横をかすめていく。
「落ち着け、ラック! あれは、ねえさんじゃない!」
思い切り叫ぶと、少女は振り向いた。
潤んだ大きな漆黒の瞳に射抜かれて思わず言葉を失う。
「そんなはずない。だってあれはねえちゃんだ!」
「違う! あれはホドの創った幻想だ!」
強い口調で言い返すと、少女はぐっと唇をひき結んだ。
「嫌だよ……違うよ……ねえちゃんだよ。ねえちゃんは……」
ふるふると首を横に振る少女にだって本当は分かっているはずだ。
胸の痛みを抑え、心を鬼にしてはっきりと宣言する。
「お前だって分かってるはずだ。ねえさんは死んだ(・・・)!」
その瞬間、少女の瞳の端に溜まっていた雫がつぅと頬を伝い落ちた。
「あれは、敵だ。ホドの創り出したただの傀儡だ。ねえさんの血を持つだけの、ただの……破壊人形だ」
少女の体から力が抜ける。
腕をほどくと、その場にへたりと座り込んでしまった。
呆然と幻想を見つめながら座り込んだ少女を庇うようにして前に進み出た。
「ラック、お前はそこにいろ」
灼熱の獣が主人を守るために戻ってきた。
フラウロスに任せておけばこの少女が傷つくことはないだろう。
あの忌まわしいねえさんの亡霊は自分が打ち払う。
左手のサブノックの剣を真直ぐに幻想へと突きつけた。
ところがへたり込んだ少女はすぐに立ち上がった。
全快とは言えない、よろけながらもそれでも立ち上がった。フラウロスの炎が包む中にゆらりと立ち上がった姿には闘気が満ちている。
「待って、アレイさん」
何故だ?なぜこの少女はすぐに立ち直れた?
「あれは、おれが倒す」