SECT.19 最終決戦
そんなはずはない。あのコインは自分の目の前で砕け散ったはずだ。これが最後の仕事だ、と美しく舞った彼の姿を思い出す。彼はもう現世界に来られないはずだった。そして、コインもこの世に存在しないはず。
他のコインも調べてみると第1番目バアル、自分の持つハルファスと対にされる第39番目マルファスなどで、クローセルを含めて全部で5枚のコインが入っていた。
ねえさんから貰ったコインを胸ポケットから取り出してみる。やはり、クローセルのコインはない。残り4つのコインが鈍く光っていた。
「なに? どしたの、ウォル先輩」
「……ありえないんだ。クローセルは契約者なしに現世界に来た。その時にクローセルのコインは砕け散ったはずだ。それなのに、コインがここにある」
どういうことだ?
そう思った瞬間、オルゴールの中から黒い光が漏れた。
「うっ!」
何だ?!
思わず目を閉じた。
そして次に目を開くと――オルゴールの中のコインが一つ増えていた。
第26番目の悪魔ブーネ。サミジーナが口寄せで死んだ人間の魂を呼び寄せるのに対し、ブーネは死人を実体化させる力を持つと言われていた。
「なぜコインが増えたんだ?」
しかも第26番目ブーネはこれまで見つかっていなかったロストコインだ。
いったいそれがどうして突然ここに現れたんだ?
はっと空を見上げると、分厚い雲が青空を隠していた。
――胸騒ぎがした。
もしこのオルゴールの中に入っているコインがすべて契約者なしに召還された、すでに砕け散ったコインだとしたら。今現れたブーネのコインが、どこかで無理な召還を受けてついさっき砕け散り、このオルゴールの中に現れたのだとしたら。
王都に向かったあのくそガキが関わっている可能性が高い。だが、悪魔の怖さを誰より知っているあいつは王都にいるくそじじぃなしに悪魔を呼び出すことなど絶対にしない。
すると、ブーネを呼び出したのは誰だ?
ざわり、と背筋に冷たいものが這った。
何故かはわからないが頭の中に警鐘が鳴り響いていた。
そこへ、フェルメイが息せき切って駆けてきた。
「すみません、今入った情報です! セフィロト軍が朝、カーバンクルを発っていたそうです! おそらくあと数刻で数万のセフィロト軍がトロメオに到着するとの事です」
「……!」
最悪だ。
しかし、考えている暇はない。
オルゴールのこともブーネのコインのことも気になったが、それよりなによりここは戦場――敵が攻めてきたのなら、自分たちは迎え撃たねばならない。
この国を、この国に住む人々を守るために。
隣の新しいレメゲトンも緊張の糸を張り詰めた。
騎士特有の、実戦直前に纏う心地よい緊張だった。
「行くぞ」
そう言うと、ライディーンは少年から騎士の顔になって真剣なまなざしでこくりと頷いた。
少年は甲冑を含む騎士のフル装備を纏ったが、それはさすがに重過ぎるだろう。
悪魔を使う戦闘において、普通の盾や剣はほとんど意味を成さない。先日渡したサブノックの剣と身軽な装備があればいい。それこそねえさんの露出高い服が実はかなり理にかなっていたのだ。
甲冑と兜をすべて置き去り、すでに整列を終えた軍に向かった。
既に時刻は昼を過ぎ、夕刻までにはそれほど長い時間はない。
今日のところはほんの少しの間耐え抜けばいい。
「打ち合わせどおりだ。フォルス団長、ライガ部隊長、それにビート、クラック。4人はホドとケテル以外のセフィラが出た時点で何を後にしても相手にしてくれ。俺たちも出来る限りはやく来る。何とか持ちこたえて欲しい」
「了解だ、レメゲトン」
フォルス団長が片手を挙げて答える。
「状況によってはフェルメイとジルが参加してくれ」
「はい」
「分かりました」
一通り全員に指示を伝えた。
そして最後に少年騎士に目を向ける。
「行くぞ、ライディーン」
にこりと笑った少年騎士と拳を付き合わせ、空に飛び立った。
目下には黒旗のグリモワール軍がトロメオを背にずらりと整列している。
地平線の方向を見れば、白い旗印のセフィロト軍がこちらに向かって進軍していた。
「俺はケテルを相手にする。ホドを頼む。幻想に気をつけろ。特に……破壊人形と呼んだねえさんの分身が手ごわい」
「ホド自身は?」
「おそらくそれほど戦闘力はないはずだ。が、幻想に気をとられるとやられる」
自分が身を持って体験したように。
ライディーンの頭上には緑のフードをかぶった影が揺らめいている。これがレラージュだろうか。サブノックと同じ傷を腐らせる武器を持つというが、飛翔能力があるとは思わなかった。
自分の頭上に浮かんだハルファスがけたたましい声で笑う。
「ひゃははは! 久しぶりだな! レラージュ!」
「お前の声を聞くと 頭が痛くなりマスよ ハルファス」
「ひひ!!」
ハルファスは今までになく嬉しそうだった。
そういえばハルファスの使う、一定範囲の大気を制御下に置く空間支配『狂風鳥』という技名はレラージュがつけた、と言っていた。もともと仲がよいのだろうか。
「よくお前が契約したな! あれだけ嫌がってたくせに!」
「その台詞 そっくりそのままお返ししマス」
「俺はこいつ好きだからな! 強いしな!」
「根負け したんデスよ」
ため息をついたレラージュは、ハスキーな声で履き捨てるように言った。
悪魔を根負けさせるとは、たいした奴だ。
隣を見ると、紅髪の騎士は照れたように笑った。がんばったんだよ、と小さく呟く少年には大きな自信に満ちている。それでも一度契約に失敗した相手に根負けさせるまで食い下がるのは並大抵の事ではない。
「ひひ! 俺はケテルな! お前は傀儡で十分だ!」
ハルファスは以前サブノックにも吐いた台詞をそのままそっくりレラージュにも向けた。
「そんな事言うと 帰りマスよ?」
「何言ってんだ! お前もわくわくしてるくせに! きゃはははは!」
狂戦士ハルファス、破壊の悪魔レラージュ。戦場においてこれほど頼もしい味方はない。
西に傾きかけた太陽。その方向からやってくるセフィロト軍。
何故だろう、漠然とした不安が胸のうちを駆け抜けた。
「サブノック!」
不穏な気配を感じて悪魔の名前を読んだ瞬間、自分の真横を何かが掠めて言った感覚があった。
目に見えぬ速度で放たれる光の矢。
サブノックの加護による禍々しい気を纏った剣を抜き、左手で構えた。
隣のライディーンも同じくすらりと剣を抜く。それは昨日サブノックから受け取ったばかりの長剣だった。自分の持つ剣と非常によく似た装飾のそれは、きっと武器の悪魔が敢えて対になるよう仕組んだに違いない。
光の矢が飛んできた方向に白い神官服の姿を見つけた。
が、それはセフィロト軍の真っ只中だ。さすがに飛び込むわけにはいかない。
するとライディーンは少し考えた後に言った。
「少し荒っぽくなるけど、あれ(・・)だけ隔離しようか?」
「どうするんだ?」
「闘技場を作る。できればあの辺りの兵士だけ逃げて欲しいけど」
「……仕方ないな」
ねえさんのように効果的な罠が思いつかない自分に複雑な作戦は思いつかない。
いつも、真っ向勝負を挑むしかない。
「俺が先に降りて撹乱する。あの辺りをセフィラ以外吹き飛ばすから上空で少し待て。ケテルの光の矢にだけ気をつけろ」
「はあい」
「気の抜ける返事をするな」
ライディーンは最近遠慮がない。それに従って反応がどんどん幼くなっていき、最近では自分の前でだけひどく甘えるような態度をとるようになっていた。
このままではくそガキが戻ってくると自分はガキ二人を抱え込まなくてはいけないことになる。
今からため息の出そうな思いだった。