SECT.18 オルゴール
サブノックに武器の作製を頼み終わって部屋に戻ると、ライディーンは一人ソファにうずくまっていた。その前にあるテーブルには、先ほどの青年が置いていったと思われる資料が山積みになっている。
近寄ってみるたが反応はない。どうやら眠ってしまっているらしかった。
起こさないように隣に座る。
しかし、どうやらライディーンは眠っていなかったようだ。薄暗い部屋で、すぐに小さな声がした。
「……ウォル先輩」
「何だ」
「俺、ずっと先輩は名門クロウリーで生まれた瞬間から何もかもを持ってたと思ってたんだ。でも違ったんだな」
その言葉に自分は答えを持たなかった。
いつかは知れることとはいえ、レメゲトンとして戦場に着たばかりの少年にとって唯一の先輩が実は庶子であるというのはショックな事だったかもしれない。
少し考えなしすぎたか、と反省する。
ライディーンはじっと俯いたまま続ける。
「俺はずっとあなたを目指してたんだ。平民でも、生まれ付いての貴族に負けないってずっとがんばってた」
負けない、という言葉はそういう感情も含んでいたのかもしれない。
紅髪に隠されたライディーンの表情は分からないが、震えた声から思いが伝わってきた。
「あなたを越えたかったよ。だって、俺も……クロウリーの血を継ぐ平民だから」
「クロウリーの血を?」
「じーさんのじーさんだかがクロウリーの庶子だったって言われた。だから俺にも悪魔の血が流れてる」
突然の告白に思わず絶句した。
この少年も自分と同じ悪魔の血を継いでいる……?
「そのせいなのか俺、ぜんぜんあなたのこと嫌いになれないんだ。会う前はずっとずっと憎んでいたはずなのに。騎士としてもレメゲトンとしても越えてやるって……でも、あなたも俺と同じ、平民の出身だって聞いてしまった」
「……」
「どうしたらいい? ずっとあなたに負けないことだけを考えてきたのに、憎んでいたはずなのに、一緒にいるとそんな気がどんどん薄れていくんだ。あなたを越えようとしてた自分が小さくなっていくんだ……」
最後はほとんど涙声だった。
「どうしたらいい……?」
少年の迷いが伝わってくる。
ずっと信じてきた理が覆ってしまう事は世界の崩壊にも繋がりかねない。その姿はまるで、騎士をやめてレメゲトンになれと強要された自分そのもののようだった。
グリフィスの少女と出会ってレメゲトンでよかったと思えたように、どんな言葉ならこの少年に届くのだろう。
もしあのくそガキだったら何を言うだろう?こんなときあの優しい少女はどんな風に考えるだろう――いや、きっと少女なら何も考えない。心の内を占める感情をそのまま表に出すだろう。
「俺は……俺も、お前のこと嫌いじゃない」
口から出たのはそんな言葉だった。何の飾りもない、深い意味も慰めも一切含まない素のままの言葉。
「悪魔の血のせいかもしれないが、お前が弟みたいに思える。だからお前も――」
ぽん、と紅髪に手を置いた。よくくそガキ相手にそうしていたように。
小さな嗚咽が漏れた。
まだ幼いレメゲトンは感情を持て余していた。ずっと信じてきたものが崩れ去るのはとても言葉に表せるものではないだろう。
しかし、あのくそガキの言葉を借りるならこの少年はもっと強い心を持っている。
憎しみではなく共闘できる仲間と認識してくれたら。
きっとセフィロト国にも対抗できる力となるはずだ。
小さな小さな嗚咽が消えて、薄暗い部屋にもう一度静寂が戻ってきた。
そんな中で、今までの自分からは考えられない感情で満たされていた。まるで子を見守る親の気持ちだ。弱冠15歳のレメゲトンはまだ迷いも多いだろう。
導いていけるだろうか。
ずっとねえさんが自分に対してそうしてくれたように。
「俺を憎むのは構わない。クロウリーの名でレメゲトンになったのは事実だ。5歳以降は貴族として英才教育も受けている」
揺らいではいけない。
ずっと繰り返していた言葉は『義務』から『当然』へと姿を変えた。
「しかし、もしお前が俺のことを認めてくれるならその方が嬉しい。同じ願いを持つ事が出来るなら、きっと数を越えてセフィラにも対抗できる」
ライディーンは大きな可能性を秘めていた。
義兄上に認められるほどの腕前を持つ騎士だったこの少年となら、剣士ではないねえさんや戦闘スタイルが特殊なくグリフィス家の末裔とは実現できなかったコンビネーションを発揮できるかもしれない。
そのためには共に戦うことを心から願う必要があった。
今はまだ無理かもしれないが、いつかきっと。
初夏の夜のかすかに冷やりとする空気が部屋を満たしていた。
戦場にきてからもずっと鍛錬は欠かしていない。
その朝も早く起きるとすぐに剣を差して外に出た。
朝焼けの空は、明日の雨を示唆している。西の方は今日あたり雨だろうか。王都へ向かったあの少女がそろそろ雨に降られているかもしれない。
シェフィールド公爵家の中庭に出る。
ねえさんの葬儀が行われたこの大きな庭では様々なイベントが行われるのだろう。舞台のように作られたバルコニーがあり、大勢が並んで談笑できる広い芝生が地面に敷き詰められている。花が顔をのぞかせる花壇は邪魔にならないよう端によっている。中央付近に大理石で作られた噴水はあったが水は涸れていた。
遮るもののないこの広い空間は剣の稽古には非常に都合が良かった。
サブノックの長剣を左手ですらりと抜いてマルコシアスに教わった剣の型を打つ。あの魔界屈指の剣士のように美しく舞うことは出来ないけれど、毎日毎日続けた型は自分の体に馴染んでいた。
一通りの型を終えて剣を鞘にしまう。
すると背後に気配を感じて振り返ると、紅髪の騎士が佇んでいた。
「おはよう、ウォル先輩」
「早いな、ライディーン」
少し俯き加減だったが、表情は暗くない。むしろどこかすっきりした顔をしていた。
「毎朝練習してたんだ」
「ああ、そうだな。鍛錬を欠かすと落ち着かない」
そう言うと、ライディーンは顔を上げて笑った。まるで初夏の朝の空気のように爽やかに。
「敵わないや」
やっとこの少年の素顔が見られた気がした。敵意のような視線も、15という年にしては妙に大人びた態度もこの純粋な少年には似合わない。
きっとそれなりに理由があるのだろうが、へんな意地を持って貴族に敵愾心を育ててきたようだ。もしかするとそれは周囲の大人から植え付けられたものかもしれない。
ぽん、と紅髪に手を置くと、少年は嬉しそうに笑った。
「……俺も、あなたみたいな兄さんがいたらよかったな」
身長はそう変わらないが、やはり年下だな、と思う。
「明日にはセフィロト国の攻撃が始まるとの情報が入っている。業務を早めに終わらせて軍に顔を出そう。俺たちは、ただいるだけでも士気が上がるらしいからな」
軍に顔を出してから屋敷に戻るとすぐ、アリギエリ女爵に呼び止められた。
ここ数日医療活動に加えて残されたねえさんの遺品を整理していた彼女の顔にも疲労の色が濃い。アリギエリ女爵にもそろそろ休養が必要だった。
ライディーンとも簡単な挨拶を交わした後、女爵は本題を切り出した。
「遺品を整理していたら、衣類や武器に混じって悪魔紋章の入ったオルゴールが見つかりました。最初はジュエリーケースかと思ったのですが、第56番目のゴモリーに聞くととても大切なものだからぜひあなたかグリフィス女爵に、と」
そう言って差し出されたオルゴールにはかすかに見覚えがある。
ああ、そうだ。ねえさんの店の奥、地下倉庫にひっそり隠すように置いてあった漆黒の天鵞絨の箱。銀の悪魔紋章が張りめぐらされている立派な造りだった。底にねじまきが付いているためにかろうじてオルゴールだと分かる。
確か鍵がかかっていたはずだが。
「鍵はゴモリーが開けてくれたようです。まだ中は確認していませんが……」
ライディーンが肩に手を置いて覗き込んでいる。
少々迷ったが、オルゴールの蓋に手をかけた。
意外なほど呆気なく開いた箱の中には――コインが数枚入っていた。嫌ほど見慣れたくすんだ黄金色のそれはまごう事なき悪魔のコインだった。
「ロストコインか? かなりの数だな」
が、手にとって見ると悪魔紋章には覚えがあった。
思わず眉を寄せてその紋章をまじまじと見る。が、何度見ても同じ紋様だ。
「……クローセル?」