SECT.17 ライディーン=シン
次の日も慌しい職務が待っていた。
朝からシェフィールド屋敷内の会議室に篭り、また時にトロメオ城下を駆け回った。
やっと一息つけたのは夕刻頃になってからだった。今日一日行動を共にしていたライディーンもソファでぐったりとしていた。
「先輩、疲れたよ……」
「戦闘以外にも業務は多い。特に今、長のねえさんがいなくなり、アリギエリ女爵が医療班の方で手一杯だから必然的に俺たち二人に責がかかる」
こうしているのを見ると15の少年だというのを思い出す。そうか、ねえさんの弟のヨハンと同い年だ。
まるで年の離れた弟でも出来た気分だった。
しかし、昼間の働きは素晴らしかった。くそガキと違って言葉遣いも礼儀もしっかりしており、また期をみて自分の意見を述べる機転も持ち合わせている。これからの成長によっては長を務めるようになるかもしれない。
そんな紅髪の少年はソファにうずまったままぽつりと聞いた。
「ねえ先輩。『ウォル』って何?」
「『ウォルジェンガ』の愛称だ。俺の名はアレイスター=ウォルジェンガ=クロウリーだから、炎妖玉騎士団の者たちはみなそう呼ぶな」
「ウォルジェンガ……?!」
ライディーンは驚いたように目を見開いた。
「どうした?」
「ウォルジェンガって、だって、水龍の真実の名じゃないか!」
今度はこちらが驚いた。
王都の裏街の風景が浮かぶ。キイじぃが嬉しそうに話してくれた故郷の国の伝説――光、闇、水、炎を司る『龍』という妖魔をめぐる壮大な物語。
「どうして? それは俺の母さんの故郷の言葉なのに!」
ああ、そういうことか。この少年は珍しい髪色をした異国出身の母を持つと言っていた。きっとその母親がキイじぃと同じ故郷の生まれなのだろう。
思わぬ繋がりに驚いた。
「俺に名前をつけてくれた人が遠い国の出身だと言っていた。その人はおそらくお前の母と同じ故郷から来たのだろう」
「名前をつけてくれた人? 父親じゃなく?」
その問いには一瞬躊躇った。
しかし、折角だから話しておこうと思った。
「俺はもともと貴族じゃない。王都の下町で生まれた平民の庶子だ。父親はクロウリー公爵だが母は平民だ」
それを聞いて、少年の藍色の瞳が大きく見開かれる。驚きや戸惑いが入り混じった表情だった。
自分が庶子である事は表面的には隠してある事実だが、貴族のほとんどが知ることだ。この世界に入った以上いつかは知られることだった。
「王都の裏街で5つまで育った。そこにはお前の母と同じ出身を持つ老人がいて、俺に名をつけ、理性を司る戦神『水龍ウィオラ』の隠された忌み名なのだと教えてくれた。話好きで龍という妖魔にまつわる物語も多く聞いたな」
なぜかライディーン相手に少しばかり饒舌になっている自分を感じていた。
が、当時の話は誰にでも出来るものではない。特に、反レメゲトン感情を持つ者たちやクロウリーの名を神格化している兵、レメゲトンに精神的に依存している騎士たちにはとても言えるものではなかった。
ねえさんはいくらか知っているが、くそガキにすら話したことはない。
あまりに懐かしく話し始めると止まらなくなってしまった。
ずっと聞いていたライディーンも、キイじぃの故郷の伝説の話になるとソファから身を乗り出してきた。
「懐かしいな、母さんがよく話してくれた。母さんの住む場所では、感情を司り芸術の神と呼ばれた『炎龍フィルラ』が崇められてたって。その部落ではだいたいみんな赤茶みたいな色の髪なんだけど俺みたいに特に髪が赤い人間は神殿で神官や巫女として働けたんだって」
「ではお前の母親も巫女だったのか?」
「うーん、母さんはあんまり自分の話してくれなかったな。いつもフィルラの加護を受けた人間の話ばっかりしてた」
先ほどまでの疲れを忘れたかのように目をキラキラさせて話す様子を見るとほっとする。
本当に、弟のようだ――義兄上も自分を見てこんな感情を抱くのだろうか。
そうやって少しずつ心を許していった。
完全に日が沈む頃、漆黒星騎士団の青年、ファイアライト=リドフォールがやってきた。この金髪の青年はライガ部隊長とレメゲトンのパイプ役も担っているらしい。
「あ、ファイ先輩」
ライディーンがにこりと微笑む。
すると金髪の青年は意外、といった顔をした。
「何だ、仲良くしてるじゃないですか。散々ごねたくせに」
その言葉にライディーンはむっと口を尖らせ、ファイ先輩は意地悪だな、と言った。ほんの少し頬が赤いのは照れているんだろうか。
先ほどから少年らしい反応が見え隠れしているのがひどくかわいいらしいと思う――こんな感情これまで持っていなかったのに、自分はいったいどうしたんだろう。不思議なほどに感情が豊かになってきている自分を感じていた。
金髪の青年はにこりと笑う。それはいつも笑顔のフェルメイと少し似ているが、この青年はもっと裏にいろいろ隠し玉を持っていそうな笑顔だった。
「どうですか、ライディーンは。ちゃんとやっていますか?」
「ああ。あのくそガキ……ラック=グリフィスとは比べ物にならないくらいに良くできたレメゲトンだ」
「……でしょうね」
くすりと笑った金髪の青年に、ライディーンはぼそりと言う。
「俺はあいつに敵わない。まだ、追いつけてない」
そのまなざしは真剣で、悔しさが全面ににじみ出ていた。
あのくそガキは悪魔を暴走させたこの少年を命がけで止めたという。まだそれを引きずっているのだろう。自分の無力さを噛み締めながら。
「大変ですね、想い人が強すぎるというのは」
金髪の青年がさらりと言った言葉にライディーンは藍の瞳を鋭く吊り上げた。
……想い人?
「ファイ先輩!」
頬を赤くしたライディーンが叫ぶ。
ああ、そうか。最初から自分に向けられていた敵意はそういう意味だったのか。
やっと納得できた。
「それは……苦労するぞ」
我が身を振り返り、思わず呟いてしまう。
どうやら彼にも身に覚えがあったらしい。
もう一度ソファに身を埋めて、ライディーンはポツリと聞いた。
「ウォル先輩も苦労した?」
「……どうだろうな」
本当にあいつは天然娼婦へと育ってしまったのか?まさか他にもこんな少年たちがわらわらといたりするんだろうか。
漠然とした不安がよぎる。
ライディーンは誰に向けるでもなく言葉を紡いでいった。
「あいつは『おれはミジュクモノだから』って言ったけど、そんなことない。あいつは守るべきものをちゃんと知っているし、目標を定めてしまえば絶対に折れないし負けたりしない」
藍色の瞳はあの漆黒の瞳の少女を心から信頼していた。
その強い瞳にどきりとした。
「俺が一度契約に失敗しても立ち直れたのはあいつがいたからだ。ラックは悪魔を暴走させた後も俺のことを信じてくれた。だから今度は俺があいつを信じてる。絶対にあいつは戦場に帰ってくる」
ライディーンは膝の上に拳を握り締めた。その両手にはずっと手袋がはめられている。それは、あのくそガキが暴走を取り押さえる際にやむを得ずつけた唯一の傷を隠すためにはめているらしい。
その傷は深く、二度と剣を握れなくなるかもしれないと言われたほどだったと聞いている。おそらくもう一度剣を握るまで苦痛のリハビリをこなしてきたはずだ。
くそガキはずっとその傷を悔いていた。自分にもっと力があればそんな思いをさせずに済んだのにと嘆いていた。
「今はまだ無理かもしれないけど、ラックはきっと帰ってくる。ウォル先輩もそう思うだろ?」
「……ああ、そうだな」
ひたすらあいつを戦場から遠ざける事しか考えていなかった。傷ついて流した涙を見て、あいつの脆さにばかり目がいってしまっていた。
でも、あのくそガキは強い。それは忘れてはいけない事だ――まさかこんな少年に思い出させられるとは、自分もまだまだ未熟者だな。
「俺は負けない。あなたには、負けない!」
初めて会ったときにも聞いた台詞が何故か今度は違って聞こえた。
一歩間違えば敵意とも取れるその感情は、もっと純粋で真直ぐな思いだ。ライディーンの魂をそのまま表した正直な言葉は、とても心地よかった。
「でも……」
少し目を逸らすように、ライディーンは呟いた。
「あなたも、嫌いじゃない。会う前は、ちょっと嫌いだった、けど」
その言葉に驚いて目を丸くすると、騎士団での先輩にあたる金髪の青年はにこりと笑って紅髪をぐりぐりと撫でた。
「よく言えました」
「子ども扱いはやめろ」
頬を膨らませたライディーンが文句を言う。
レメゲトンになったとはいえ騎士団の先輩には逆らえないらしい。
昔の自分の姿を投影して思わず微笑んでしまった。
「ああ、そうだ。こんな事をしにきたわけじゃなくて、ライガ隊長からの連絡事項を伝えにきたんでした」
ぽん、と手を打った金髪の青年は手にしていた資料をぱらぱらとめくり、ライディーンに対する注意事項や連絡を重ねていった。
そろそろ新しい『覚醒』部隊候補とサブノックを会わせる時間だ。
二人を残し、部屋を出た。