SECT.16 ライガ=アンタレス
こんな事を言ったと知れたら、反レメゲトン感情を持つ貴族たちに何を言われるかわからない。いつも揺ぎ無い姿しか見せようとしなかったねえさんにも叱られるかもしれない。
それでも、自分の力ではどうしようもない事がある。
「力を貸してほしい。人知を超えた力を持つセフィラとの戦闘に巻き込んでしまうかもしれない。悪魔の力を持たぬ生身の人間に頼める事ではないのは分かっている……だが、他のものたちには任せられないことなのだ」
自分の無力さは分かっている。あのくそガキ一人救ってやることすらできない。
しかしそれを嘆いているだけでは前に進めない。
力がないのなら借りればいい。自分が持てる全てを出しても出来ない事は手伝ってもらえばいい。自分ひとりで何もかも出来るなんていう幻想はとうの昔に捨てていた。
最前列に座っていたフォルス団長が豪快な笑い声を上げた。
「ははは! そんな事分かっている。今さら何を言う!」
「そうですよ、先輩。そんな他人行儀な」
フェルメイも続けて笑った。
「でも、そんな先輩が好きっす!」
どさくさに紛れてルーパスが抱きつこうと飛んできたのを蹴り飛ばした。
それを見て隣にいたライディーンがぎょっとした顔をする。
この少年騎士もすぐにこの部隊の面々と打ち解けられるだろう。
大丈夫、お前がいなくても俺たちは負けない。誰一人死なせやしない。
だから王都に戻ってゆっくり心を癒して来い、ラック――
ミーティングを終え、漆黒星騎士団のトップメンバーと面会した。
部隊長のライガ=アンタレスは真っ青なバンダナを目の辺りまで下げており、顔はよく分からなかったが口元で笑っている事が伝わってきた。漆黒の甲冑に身を包んでいたが、その様相とバンダナがどうにも似つかわしくない。
「どうも、初めまして。漆黒星騎士団 鷹部隊長ライガ=アンタレスです」
「レメゲトンのアレイスター=クロウリーです」
握手を交わすと、ライガ部隊長は全身を嘗め回すようにじろじろと見回した。
思わず眉を寄せると、彼はにやりと笑った。
「……ラックが懐くわけだ」
レメゲトンのガキの事をラックと呼ぶのは、それなりに親しい人間だけだ。
そうか、この人は漆黒星騎士団であのくそガキの面倒を見ていたんだろう。ガキの話にヴィッキーやメリル、ルークなどの名前と並んでライガさん、というのが幾度も登場したのを思い出した。
「くそガキが迷惑をかけませんでしたか?」
「いんや、まじめに稽古してしてましたよ。誰よりも熱心に」
「それならよかった」
ほっと息をつくと、青いバンダナの部隊長はおかしそうに笑った。
「……失礼。いや、あいつは本当に幸せ者だ。想い人からこれだけ想われているんだから」
その言葉に絶句した。
……いったい何がどこまで知れ渡っているんだろう。あのくそガキは王都にいる間、何を話していたんだろう?
微妙な表情を浮かべると、ライガ部隊長ははっきりと言った。
「自分に出来ないことを『出来ない』とはっきり言うのは並大抵の事じゃない。下手なプライドが邪魔をして認める事が難しいからだ。それでもあなたははっきりと言った。助けてくれ、と口に出した。そうそう出来る事じゃない」
いつしか普段話すような口調になっていた部隊長に、不思議と違和感を覚えなかった。それどころかきっぱりと断言するその言い回しは、強い信念に裏打ちされていて心地よい。
「出来る限りの努力をし、本当に相手を信じる真直ぐな心を持っていないと無理だ。それは生半可な覚悟じゃ出来ない。本当に、素晴らしいと思う」
しかしながら初対面の人間に面と向かって褒められ、動揺していた。
そのせいか思わずぽろりと内面を吐露してしまった。
「俺に何も出来ないのは事実だ。事実、ねえさんもあのくそガキも助けられなかった」
くそガキは精神に深い傷を負い、王都へ帰還することになってしまった……隣にいれば守れると思ったのは幻想だった。
すると部隊長は額に手を当てて天を仰いだ。
「あーやばいわ、俺まで惚れそう」
「……」
今の何がそういう風に繋がるんだ。手品師といいルーパスといい……何故自分の周りにはこんな人間が多いのだろう。
困り果てていると部隊長の後ろに控えていた金髪の青年が冷たい声で言い放つ。
「隊長、やめてください。クロウリー伯爵が困ってらっしゃいます」
「何だよ、俺は思ったとおりに言っただけだ」
「それをやめてください、といつも言っているんです。しかもレメゲトンの方相手にいつもの口調になってます」
「気にすんな!」
「だからっ……」
ひくりと頬が引きつった金髪の青年に少し同情する。フェルメイとフォルス団長のやり取りを思い出してかすかに綻んだ。
すると部隊長も金髪の青年もぴたりと動きを止めてこちらを凝視した。
一体なんだ?
二人は驚いた顔を見合わせた。
「……微笑ったよ」
笑ってはいけないのか?確かに無愛想といわれているが、笑う事くらいあるぞ?いや、確かによく笑うようになったと言われるのは最近だが。
「な、ちょっと惚れたろ」
部隊長の言葉に金髪の青年は口を噤んだ。
頼むから否定してくれ!
フェルメイが間に入って打ち合わせがまともに進行するまで、この二人の漫才をただ眺めていたのだった。
ライガ隊長をはじめとして、先ほどの金髪の青年ファイアライト=リドフォールなど全部で10名のメンバー候補と対談し、最終的にはサブノックと面会させる5人を選出することができた。
業務を終えて部屋に戻る頃にはすでに真夜中を回っていた。
さすがに疲れた。
ねえさんがこれまでこなしていた仕事の多さを改めて思い知る。その上ねえさんは時間を見て兵団一つ一つに顔を出していた。疲弊した兵たちに声をかけ、時に救護班の手伝いをしながら兵と個人的に話す。とても今の自分には出来ない芸当だ。
せめてあのくそガキがいたら――
弱音が漏れそうになって慌てて頭を振る。
ベッドの端に座って頭をうなだれた。
この上さらにセフィラと、それも天界の長ケテルと戦闘するなど考えられない事だった。
右手首に括りつけたコインを左手で覆い、心を落ち着ける。
マルコシアス、サブノック、ハルファス。
「まだ、大丈夫だ」
あいつに誓ったから。
お前の代わりに俺が頑張るからと。もう誰も死なせないと。
セフィロトはいつまた攻めてくるだろうか。外壁は崩れ、その瓦礫で堀が埋まってしまったトロメオは砦としての機能をほとんど失っている。
ああ、そうだ。明日には本格的な戦闘の前にライディーンと悪魔を交えて手合わせしてみる必要がある。お披露目や挨拶もあるが、何とか時間を取れないだろうか。
あとは敵意があからさまになってきたヴァルディス卿との折り合いもつけなくてはいけない。他にも上位に位置する騎士の中でレメゲトンに不信を抱くものも増えている。その動揺が下につく兵士にまで伝わる前になんとかせねばならない。
もうそろそろセフィロトからの攻撃が始まってもおかしくはない。
それからあと今こなすべき事は何だ……?
そんな風に考えている間にいつしか眠りについていた。