SECT.15 無力
新しいレメゲトンだという少年は、珍しい紅髪を持つ長身の剣士だった。
身長は自分とそう変わらないだろう、舞台俳優のような端正な顔立ちと落ち着いた雰囲気はとても15歳とは思えなかった。シンプルな黒基調のレメゲトンの正装に身を包んでいる。
強い意思を秘めた藍の瞳を持つ少年だった。
くそガキを見送った後、シェフィールド公爵家の会議室で初めて顔を合わせた。
向けられた視線が一瞬、敵意を持ったように感じたのは気のせいか?
「初めまして、アレイスター=クロウリー伯爵。ライディーン=シンと申します。レメゲトンになる前は漆黒星騎士団 鴉部隊の構成員でした」
「よろしく」
右手を差し出すと、ライディーンと名乗る少年は軽く握手した。その間もずっと藍色の瞳に射抜かれている。
気のせいではない。
初対面だというのになぜこの少年は自分に対して敵意を剥き出しにしているんだろう?
困惑して眉を寄せると、それが不機嫌そうな顔に見えたのかライディーンのほうもあからさまに不機嫌そうな顔をした。
が、それは一瞬で、紅髪のレメゲトンはすぐにくすくすと笑った。そうするとようやく15歳という年齢通りに幼い表情がのぞく。
「無愛想だという噂は本当のようですね。クラウド団長に聞いたとおりです」
初対面だというのに失礼な奴だ。
しかしながら噂の出所が義兄上では、文句の言いようがない。
何より、あのくそガキを相手にするようになってからずいぶんと自分は寛容になった。特に年下の相手に対しては。
握手し終わった右手を引っ込めて、ぼそりと言う。
「敬語は使わなくていい。それに伯爵と呼ぶのもやめろ。同じレメゲトンだ」
レメゲトンの間に身分の上下はないし、ライディーンもこの先セフィラとの戦闘に参加することになる。共にグリモワール国を守る事になる仲間だ。
あのくそガキも敬語など全く使わないなのだから、この新入りのレメゲトンが自分に敬語を使う理由はなかった。
すると紅髪の少年騎士はどこか悲しげに微笑んだ。
「ラックと同じ事を言うんですね」
少年の言葉に思わず頬が引きつる。
くそ、またあのくそガキと同じ台詞を吐いてしまったようだ。
彼は、じゃあ敬語は使いませんよと念を押した後、なぜかぐっと唇をひき結んだ。そして、藍色の瞳に強い意思の光を灯してはっきりと宣言した。
「あなたには負けない」
「は?」
脈絡のない言葉にもう一度眉を寄せる。
聞き返そうと思ったが、そこへフェルメイが割り込んだ。
「失礼します。これから『覚醒』で打ち合わせを兼ねてシン男爵のご紹介をしたいと思います。隣の部屋へ移動していただけますか?」
負けない、と言ったライディーンの意図は分からない。
敵意はあったが深刻なものではなく、どうやら宣言どおりライバルとしての相手に向けられる類のものだった。何より彼自身が人に危害を加えるような事をする人物でない事は瞳に灯る意思の光を見ればすぐに分かった。
だとしたら、いったいどういう意味で自分に宣言をしたのだろう?
今日が初対面で何をした記憶もないのに。
共通点といえば騎士からレメゲトンになったこと、それと7人の中では年が近い男性だということくらいか?
他に全く思い浮かばなかった。
よく考えてみれば、彼の持つ敵意に近い視線はミュレク殿下が自分に向けるものと非常に良く似ていたことにすぐ気づけたはずなのに。
もともと使用人たちの食堂として使われていたであろう隣の部屋は広く、10メートルほどもあるテーブルが幾つも並んでいた。すでに『覚醒』のメンバーが集合して席についている。後ろの方には新たなメンバー候補であるライガ部隊長をはじめとした漆黒星騎士団の面々が数名並んでいた。
フォルス団長が前に立っており、席の最前列にはルーパスが陣取っている。
自分が入ってきたのに気づくとぱっと顔を輝かせて寄って来た。
「ウォル先輩!」
その右腕にはきつく包帯が巻かれ、白い布で吊ってあった。
「怪我をしたのか?」
「大丈夫っすよ、たいした事ありません!」
猟犬のような目でにかっと笑ったルーパスを見て少し胸が痛む。
自分の傷はアリギエリ女爵のコインの悪魔ブエルに治してもらった、いわば反則技だ。他にももっと重症で苦しむ兵たちもいるというのに――
癒しの悪魔を使いすぎることは出来ない。対価が大きいからだ。血を好む癒しの悪魔ブエルは、一人の怪我を治す対価に生贄となる人間一人の血を限界近くまで吸い取るという。
アリギエリ女爵がブエルを使わず、医療で兵たちを治すのにはそういった事情があるのだ。
「ルーパス、席に着きなさい。ミーティングを始めますよ」
「はあい」
フェルメイに言われてルーパスはようやくしぶしぶ席に戻った。
前に立っていたフォルス団長も最前列の席に着く。椅子が小さく見えるのはフォルス団長の並外れて大きな体が原因だろう。
よく見渡してみると、あちこちに怪我を負っている隊員が見え隠れしている。
代えの効かない『覚醒』隊員たちの疲労と負傷具合は軍の中でも特にひどかった。戦死した者や、自分のように重症で戦闘不能になった者、悪魔の武器に耐え切れず精神に支障をきたす者などが続出している。
武器を与えた者は50名近くいるのだが、現在『覚醒』として活動できているのはほんの30名ほどだった。
漆黒星騎士団が合流した事で少しは楽になるだろうか。
いつまたホドが幻想兵を使ってくるかも分からない。何しろ戦闘できるレメゲトンが新入りを混ぜて2人しかいないグリモワールと違ってセフィロトにはまだ多くのセフィラが残っているのだ。レメゲトン2人だけで相手が出来ないセフィラを部隊のトップメンバー数名で対応する作戦も視野に入れていた。
逝ってしまったねえさんと、戦線離脱したあのくそガキ。
ライディーンという少年騎士の実力は分からないが、二人分の穴を埋めることは不可能だろう。
紅髪の少年騎士が挨拶を終えた。
それを見計らってここでも司会役のフェルメイに声をかける。
「少しだけいいか?」
そして、全員の前に立った。
もう何ヶ月も生死を共にしてきた『覚醒』メンバーの視線がいっせいに向けられる。
その視線をすべて受け止めて、しっかりと見つめ返した。
「皆知っていることだが、先日の戦闘でレメゲトンの長だったファウスト女伯爵が殉職された。非常に遺憾なことであると同時に、我が軍にとって大きな戦力の喪失である事はここにいる『覚醒』の者なら承知の事だと思う」
ねえさんはこの部隊において絶対的な信頼と尊敬を集めていた。隊員たちの心のよりどころだった事実は否めず、もちろん士気の要ともいえる隊員の心に深いダメージを与えたのは傍から見ていても伝わってきた。
しかし、現状を伝え悪魔に近い力を持つ彼らに助力を仰ぐ必要があった。
「グリフィス女爵も王命で王都に帰還した。代わりに先ほど紹介されたライディーン=シン男爵は第14番目、破壊の悪魔レラージュを使役する。アリギエリ女爵は戦闘用のコインを持たないため、現在戦闘に参加できるのは俺とシン男爵のみになる」
あのくそガキの帰還理由は王命ということになっているが、『覚醒』のメンバーならあいつがねえさんを失った事によりとても戦闘できる状態でなくなったせいだということが分かるはずだ。
あいつがグラシャ・ラボラスを暴走させた事と自分が重症を負った理由は伏せてあった。
あのくそガキが殺戮と滅びの悪魔を召還して、ねえさんを手にかけたケテルを退けたことになっている。自分の怪我もすべてケテルとホドにやられたことになっていた。
「セフィロト国のセフィラは全部で10人、これまでの戦闘で故ファウスト女伯爵がコクマとビナーの2人、グリフィス女爵がゲブラを撃破した。残りは総指揮官マルクト、セフィラの長ケテル、死霊遣いホドの3人。それに加えてまだ4人のセフィラが控えている」
これまでの戦闘から、ケテルは自分がすべての力を使っても止められるかわからない。
ホドの操る幻想もかなりの難敵だ。そちらをライディーンに任せるとしても、他のセフィラが出てきた時点でグリモワール軍は壊滅状態に陥るだろう。
「『覚醒』を結成した時にも言った。俺たちレメゲトンだけでは……足りないんだ」