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LOST COIN -tail-  作者: 早村友裕
第四章 WORST CRISIS
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SECT.10 鎮魂歌(レクイエム)

 何と言うことだろう。

 トロメオの門を一撃で破壊した少女は愛らしい顔に恐ろしい表情の笑みを浮かべていた。

 この間にメタトロンが全く干渉しなかったとは考えにくい。おそらく目に見えない攻防が行われていたはずだが、殺戮と滅びの悪魔と呼ばれた殺戮者は天界の長を前に全く動じていなかった。

 同じ滅びの力を持つ天使と悪魔。

 対極に位置する彼らはいま、何を思うのか。

「僕ノ領域を荒らすナラ 滅スト言ッタ筈だ メタとろン」

 不機嫌そうな悪魔の声。

「相変わらすですね グラシャ・ラボラス」

 ケテルの体を支配したメタトロンとグリフィス家の末裔の体を支配したグラシャ・ラボラス。

 その間には険悪というにはあまりに凄まじすぎる一触即発の空気が張り詰めていた。

 何かきっかけをもって、この二人は何もかもを滅ぼす力でもって戦いを始めてしまうだろう。いかなる人間にも入り込めない戦いを。

 ぞっとした。

 自分の後ろには何万もの両国の兵がいるのだ。

 そんな場所で先ほどのような力を使われたら。

 いかにここがグラシャ・ラボラスの作り出した特殊空間といえど周囲への影響は未知数だ。

 大切な人をなくしたことで心が麻痺し、悪魔に体を明け渡してしまった少女を止めることも重要だったが、理性は大勢の兵を逃がす方が先だという判断を下した。

 何より、あの戦いに介入するのは危険すぎる。

 共倒れになる可能性が高かった。

「ハルファス! ここから出られるか?」

「俺は無理! だがお前できるだろ? 斬れる剣持ってるだろ?」

 そうか。

 サブノックの剣ならあるいはこの特殊空間も切り裂けるかもしれない。

 迷っている暇はない。

 やっと足が動いた。

 地面に横たわったねえさんの体を慎重に抱き上げる。その傍に寄り添うように転がる5つのコインを一緒に拾い上げた。

 すっかり冷えてしまったその体に、生命の息吹が戻る可能性はなかった。

 絶望に打ち震えそうになるのをこらえて、左手でサブノックの剣を振り上げた。

 この空間を、斬り裂け!

 その祈りが通じたのか。

 闇の空間はぱくりと裂け、その向こうに見慣れた戦場が姿を現した。

 一瞬だけ振り返ってから思いを振り切るように空間から脱出した。

 すぐに、戻るから。

 お前を失う事だけはしたくないから。

 だから、お願いだ。

 心を失わないでくれ……!



 冷たくなったねえさんを抱えてグリモワールの陣を目指した。

 トロメオの門が完全に粉砕した事で戦場は大混乱に陥っていた。

 特殊空間はこことは切り離された次元にあるらしく、トロメオの門の前にはセフィロト軍とグリモワール軍の兵たちが入り乱れて打ち合っている。

 危険だ。

 トロメオの門が滅びの力を受けたことから分かるように、あの闇の空間とこの場所は完全に切り離されているわけではない。

 おそらくあの空間で力を使えば、こちらに何らかの形で反映される。

 早くこの場を離れなくては大変な事になる。

 だが、どうすればいい?

 この混乱した戦場でどうやってこの多くの兵をここから遠ざければいい?

「全員退けぇぇっっ!!!」

 腹の底から叫ぶが、敵を討ち滅ぼすことにだけに集中する兵に届くはずもない。

 どうしたらいい?

 いったいどうしたら自分の声は届く?

 ねえさんだったらこんな時どうするだろう。

 きっと絶対的信念に裏打ちされたオーラでもって敵味方関係なく惹き付けてしまうはずだ。

 そんなこと、自分にはできない。

 途方にくれそうになった時、どこからか響く声があった。

「助けてやるよ 一回きりだがな」

 ねえさんの持っていた5つのコインのうち一つが熱を放った。

 そのまま空に浮いて、目の前で停止する。

 この紋章は……

「……クローセル」

 名を呼んだ瞬間、コインは蒼い光を放って砕け散った。

「!」

 そして現れたのは、金髪碧眼の美しい悪魔――水を操るクローセルの姿だった。

 美しく整った顔は絶望に沈んでいる。

 その視線の先にあるのは、零れ落ちたストレートブロンドだった。

「やっぱり俺 何も出来なかったよ ミーナねえさん」

 今にも泣きそうなクローセルは冷たくなった頬に触れ、愛しげに何度も何度も撫でながら美しい涙の粒を一粒だけ零した。

 涙の粒は青白くなってしまった頬に落ち、きらきらと宝石のように輝いた後弾けて消えた。

 絵画の世界のように完成されたその光景に息を呑んだ。

 ここが戦場であることもグリフィスの少女を残してきたことも一瞬忘れて美しい堕天の悪魔に見惚れた。

 その視線に気づいたのか、クローセルは碧い瞳をこちらに向ける。

「コインの悪魔は契約者の意思でなく 自分の意思で 一度だけこっちに来られるんだ それ以上は無理 コインが壊れちまうから」

 クローセルはそう言ってへらりと笑った。

「だから これは 俺の最後の仕事」

 大きな三叉戟をぐるりと大きく一振りして、クローセルはにっと笑った。

 まるであのくそガキが心配させないために無理に笑ったときのような表情だった。

 たとえすでに動かなくなってしまったとしても、ねえさんの前で暗い顔を見せたくないのだろう。

 悪魔も自分と同じように悲しみ、涙する事に驚きと親しみを感じた。これはクローセルだけなのか。それとも悪魔全体に言えることなのだろうか。

「ねえさんへの 鎮魂歌レクイエム

 三叉戟の柄についた鈴がしゃん、と美しい音色を奏でる。

 くるくると回される戟の先から蒼い光が漏れた。

 一度トロメオの上空からパフォーマンスとして輝光石ダイヤモンドのような水の粒を振りまいたクローセルの姿を思い出した。

 リズムをとり、メロディーを奏でるように美しい舞を見せるクローセル。

 鈴の音が水の粒のはじける音と重なり、愛らしい音を響かせた。

 本来攻撃用であるはずの三叉戟は踊りの一部と化し、背に広がる少し青みがかった大きな翼もひらりひらりと翻る。

 その度に舞い散る羽根が溢れ出る水の粒と弾きあい、太陽の光を反射して綺羅らかに輝いた。

 息を呑んでその姿を見つめた。

 翼にあわせてしなやかに伸びる手の先から水の粒が舞い落ちる。

 それはさながら宝石が舞い踊るようにして戦場に散っていく。

 その一粒一粒がクローセルの流した涙のように。

 戦いに集中していた兵たちの頭に上った熱を冷ましていった。

 金属音と怒号が鳴り響いていた戦場から、ざわめきが起きはじめる。

 人々は戦いを忘れて天を仰ぎ、そこに現れた天使とも悪魔ともつかぬ美しい舞い姿に釘付けになっていった。

 光を受けた水は輝きを増す。

 太陽の加護を受けた堕天の悪魔は、その瞬間すべての光を司る輝王に見えた。

「これで さよならだ」

 最後にクローセルは三叉戟の先から水のシャワーを戦場に浴びせた。

 人々からどよめきと歓声が上がる。

「マルコの息子 お前に全部託してやるよ ねえさんも あのがきんちょも 世界も」

 蒼い瞳で真直ぐに見つめ真剣な声で言った。

 ゆらりと揺らめいて、足元から少しずつ消えていく。

 喉の奥が張り付いたようにして声が出なかった。

 答えなければと思ったのに、全く動けなかった。

「さよなら ねえさん 大好きだったよ」

 消え行く中でクローセルはねえさんの頬に軽く口付けた。

 そのまま、光の化身は空に溶けるよう消え去った。


 しん、と戦場が静まり返った。

 遠くの方ではまだ戦の音が響いていたが、少なくともトロメオ付近にいた軍からは音が消え去っていた。

 メフィストフェレスによって時が止められたかのように。

 同じねえさんの使役していたクローセルによって沈黙がもたらされたのだ。

 はっとした。

 クローセルが作ってくれたこの時を無駄にしてはいけない。

「両軍、退け! 滅びが来る! 早くトロメオから離れろ! メタトロンとグラシャ・ラボラスの巻き添えを喰うぞ!」

 自分の声が響き渡った。

 もう時間はないだろう。

 そう思った瞬間だった。

 轟音を立ててトロメオの外壁が崩れ落ちた。

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